宮澤賢治の里より

下根子桜時代の真実の宮澤賢治を知りたくて、賢治の周辺を彷徨う。

81 『どんぐりと山猫』の舞台は早池峰の麓?

2008年12月05日 | Weblog
 ここでは、賢治の童話『どんぐりと山猫』の舞台について考察したい。

《どんぐり》(平成20年9月16日胡四王山にて撮影)


 まずは、『どんぐりと山猫』の出だしを書き出してみよう。 
 おかしなはがきが、ある土曜日の夕がた、一郎のうちにきました。
   かねた一郎さま 九月十九日
   あなたは、ごきげんよろしいほで、けっこです。
   あした、めんどなさいばんしますから、おいで
   んなさい。とびどぐもたないでくなさい。
                   山ねこ 拝
 こんなのです。字はまるでへたで、墨もがさがさして指につくくらいでした。けれども一郎はうれしくてうれしくてたまりませんでした。はがきをそっと学校のかばんにしまって、うちじゅうとんだりはねたりしました。
 ね床にもぐってからも、山猫のにゃあとした顔や、そのめんどうだという裁判のけしきなどを考えて、おそくまでねむりませんでした。
 けれども、一郎が眼をさましたときは、もうすっかり明るくなっていました。おもてにでてみると、まわりの山は、みんなたったいまできたばかりのようにうるうるもりあがって、まっ青なそらのしたにならんでいました。一郎はいそいでごはんをたべて、ひとり谷川に沿ったこみちを、かみの方へのぼって行きました。
 すきとおった風がざあっと吹くと、栗の木はばらばらと実をおとしました。一郎は栗の木をみあげて、
「栗の木、栗の木、やまねこがここを通らなかったかい。」とききました。栗の木はちょっとしずかになって、
「やまねこなら、けさはやく、馬車でひがしの方へ飛んで行きましたよ。」と答えました。
東ならぼくのいく方だねえ、おかしいな、とにかくもっといってみよう。栗の木ありがとう。」
 栗の木はだまってまた実をばらばらとおとしました。
 一郎がすこし行きますと、そこはもう笛ふきの滝でした。笛ふきの滝というのは、まっ白な岩の崖のなかほどに、小さな穴があいていて、そこから水が笛のように鳴って飛び出し、すぐ滝になって、ごうごう谷におちているのをいうのでした
 一郎は滝に向いて叫びました。
「おいおい、笛ふき、やまねこがここを通らなかったかい。」滝がぴーぴー答えました。
「やまねこは、さっき、馬車で西の方へ飛んで行きましたよ。」
「おかしいな、西ならぼくのうちの方だ。けれども、まあも少し行ってみよう。ふえふき、ありがとう。」
 滝はまたもとのように笛を吹きつづけました。
 一郎がまたすこし行きますと、一本のぶなの木のしたに、たくさんの白いきのこが、どってこどってこどってこと、変な楽隊をやっていました。
 一郎はからだをかがめて、
「おい、きのこ、やまねこが、ここを通らなかったかい。」
とききました。するときのこは、
「やまねこなら、けさはやく、馬車で南の方へ飛んで行きましたよ。」とこたえました。一郎は首をひねりました。
みなみならあっちの山のなかだ。おかしいな。まあもすこし行ってみよう。きのこ、ありがとう。」
 きのこはみんないそがしそうに、どってこどってこと、あのへんな楽隊をつづけました。
 一郎はまたすこし行きました。すると一本のくるみの木の梢を、栗鼠がぴょんととんでいました。一郎はすぐ手まねぎしてそれをとめて、
「おい、りす、やまねこがここを通らなかったかい。」とたずねました。するとりすは、木の上から、額に手をかざして、一郎を見ながらこたえました。
「やまねこなら、けさまだくらいうちに馬車でみなみの方へ飛んで行きましたよ。」
「みなみへ行ったなんて、二とこでそんなことを言うのはおかしいなあ。けれどもまあもすこし行ってみよう。りす、ありがとう。」りすはもう居ませんでした。ただくるみのいちばん上の枝がゆれ、となりのぶなの葉がちらっとひかっただけでした。
 一郎がすこし行きましたら、谷川にそったみちは、もう細くなって消えてしまいました。そして谷川の南の、まっ黒な榧の木の森の方へ、あたらしいちいさなみちがついていました。一郎はそのみちをのぼって行きました。榧の枝はまっくろに重なりあって、青ぞらは一きれも見えず、みちは大へん急な坂になりました。一郎が顔をまっかにして、汗をぽとぽとおとしながら、その坂をのぼりますと、にわかにぱっと明るくなって、眼がちくっとしました。そこはうつくしい黄金いろの草地で、草は風にざわざわ鳴り、まわりは立派なオリーブいろのかやの木のもりでかこまれてありました。
(『注文の多い料理店』(宮澤賢治著、角川文庫)より)

 さて、ここに出て来た『笛ふきの滝』だが、このモデルになったのは早池峰山の麓を流れる岳川の『笛貫ノ滝』であることが『賢治のイーハトーブ花巻』(下の資料参照)等で指摘されている。まさしく、かつてこの滝は”まっ白な岩の崖のなかほどに、小さな穴があいていて、そこから水が笛のように鳴って飛び出し、すぐ滝になって、ごうごう谷におちて”いたからである。
【Fig.1 笛貫の滝】(『賢治のイーハトーブ花巻』(宮沢賢治学会・花巻市民の会編集、猫の事務所)より)

 しかし、私はこの滝だけがモデルになっている訳ではないと思う。この童話の出だしの赤字部分等を総合しての直観から、モデルに関しては次のような仮説を立てたい。
 『どんぐりと山猫』の舞台のモデルは”早池峰の岳川に沿った登山路とその周辺”である。

 それでは、その検証を試みたい。
【Fig.2 早池峰山】(『日本百名山 岩手山早池峰山』(朝日新聞社)より)
 
 先ずは、赤字の部分に対してそれぞれ検討する。
(1)谷川に沿ったこみち:岳の集落から早池峰山に登るコースは”岳川”という谷川に沿った道になっている。
(2)かみの方へのぼって行き:岳川に沿った登山路はゆるい上り坂になっている。
(3)東ならぼくのいく方:登山路は東方向へ延びている。
(4)笛ふきの滝:『賢治のイーハトーブ花巻』等の指摘の通りである。
(5)西ならぼくのうちの方:この登山路はほぼ東西に直線状に造られていて、西側へ戻れば岳の集落である。
(6)ぶなの木:この一帯にはぶなの木がある。
(7)みなみならあっちの山のなか:登山路の南側は薬師岳~小白森の山腹であり山の中になっている。
(8)くるみの木:この岳沢沿いにはくるみの木が結構生えている。

 というわけでこの仮説の妥当性は結構あると思う。
 いやこれだけじゃそれほどの説得力はない、と仰る人もあろう。そのような人に対しては、次のことが説得力を持つと思うがどうだろうか。
 それは、
(9)谷川の南の、まっ黒な榧の木の森
の部分である。
 この『榧』については、この角川文庫版の大塚 常樹氏の注釈には
 イチイ科の常緑高木で、高さは30メートルに達する。葉は針状で、雌雄異株。耐陰性があるので、比較的暗いところにも生えるが、分布は宮城県以南とされる。
とある。
 そういえば、たしかに岩手に生えている榧の木は植栽されたもののようだと私も思っていた。ところが、以前私がこの笛貫ノ滝を見に行き、帰りにキノコを探し回っていた際に榧の実を見付けたことがある。なるほど、見回すと何本かの榧の大木が自生していた。そして、そこは岳川の南の森の中だった。珍しい、自生のものもあるのだとそのとき思った。というわけで、この童話中の『谷川の南の、まっ黒な榧の木の森』にぴったしである。
 実際、『樹の花2』(倉田 悟解説、山と渓谷社)によれば、その分布は本州(岩手、山形県以南)、四国、九州、済州島の暖帯林に散生とあり、矛盾しない。つまり、岩手にも自生しているのである。 
【Fig.3 カヤ】(『樹の花2』(倉田 悟解説、山と渓谷社)より)

 したがって、『どんぐりと山猫』の中の『笛ふきの滝』のモデルは『笛貫ノ滝』であるということだけでなく、
 『どんぐりと山猫』の舞台のモデルは”早池峰の岳川に沿った登山路とその周辺”である。
という仮説はこれでかなり検証できたのではなかろうか。

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