宮澤賢治の里より

下根子桜時代の真実の宮澤賢治を知りたくて、賢治の周辺を彷徨う。

379 二人の甥

2011年07月05日 | Weblog
                       《↑高瀬露》
          <『宮澤賢治と幻の恋人澤田キヌを追って』(澤村修治著、河出書房新社)より>

 あれっ、もしかするとあの人は小笠原露(高瀬露)と親戚ではなかろうかと思いついた。その人とはいまから30年ほど前に同じ職場で大変お世話になった人Nさんである。
 というのは、最近花巻のある図書館で調べ物をしていた際に資料の寄贈者にNさんの名と思われる記載があった。そういえばNさんは花巻出身だったはず。そこで直感が働いた。もしかするとNさんは小笠原露と親戚なのではあるまいかと。

 そのNさんとは長いことご無沙汰にしていたのだが、暫くぶりで電話連絡をとってみた。そして、Nさんは小笠原露さんとはもしかするとご親戚ではないのですかと訊ねてみると予感はピッタリ、そうですという返事であった。
 私は、露さんは伊藤チヱさんとはあまりにも違う扱い方をされておかしいと思います。一方的な資料を、それも露さん宛かどうかはっきりしない、かつまたその通りの内容で露さん宛に出したかどうかも定かでない手紙の下書きなどを根拠に、賢治の周囲の親しい人たちが露さんを悪し様に言うのは不公平だと思います、などと話した。
 するとNさんは
 『もう済んだことですから』
ともらした。受話器の向こうからは無念さがありありと感じら取られた。いまとなれば賢治はあまりにも偶像化・神格化され過ぎてその無念さを晴らす術はない、露の「悪女伝説」がまことしやかに流布してしまっているいま、いまさら真実を明らかにしようと思い立ってもどうしようもないということなのであろうか。

 受話器を置いてしばし、かつて投稿した〝あまりにも気の毒な高瀬露〟で触れたように
 「雨ニモマケズ手帳」に詩『聖女のさまして…』を10月24日にしたため、それから殆ど時を置かない約10日後の11月3日にあの『雨ニモマケズ…』を書いている
ということを思い起こしながら、賢治と露の非対称性に軽い眩暈を感じた。

 そして二人の甥御さんを私は心の中でいつの間にか比べていた。一人は前述のNさんであり、もう一人はA氏である。
 そのA氏とは賢治の甥御さんのことであり、A氏はかつて私達に語ってくれた。
『賢治はあまりにも偶像化・神格化され過ぎてしまい、実は私は色々なことを知っているのだがそのようなことは簡単には明らかにできなくなってしまった』
というような意味のことを。
 露の甥御さんであるNさんの不本意さと、賢治の甥御さんのA氏の戸惑いを私はいつの間にか心の中で比べていたのである。

 ともに甥御さんなのだが、一方はまことしやかに「事実」が流布していることに対して無念さを抱き、他方は事実を吐露出来ないという戸惑いを抱いているという図式がそこにはあるのではなかろうか。
 しかし、A氏の場合は戸惑いはあっても無念さをあまり感じないであろうが、Nさんの場合はその無念さは不条理からくるものであると感じているに違いない。なぜなら、A氏は賢治がおじであることを私に明らかにしてくれたが、一方のNさんは露がおばであることをいままで私に一言も明らかにしていなかったからである。

 続き
 ””のTOPへ移る。
 前の
 ””のTOPに戻る
 ”宮澤賢治の里より”のトップへ戻る。
目次(続き)”へ移動する。
目次”へ移動する。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿