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499 伊藤儀一郎からの事情聴取

《創られた賢治より愛すべき賢治に》
伊藤儀一郎の花巻勤務の期間
 なぜならば、次のようなことが『阿部晁日記』に記載されていることに気付いたからである。
【大正十五年】
◎一〇月三日
[往来・往] 前署長菅沢松三郎/新署長伊藤儀一郎両氏歓送迎会
【昭和二年】
◎六月二四日
[往来・往] 伊藤小川両警察署長歓送迎会 公会堂
              <『宮澤賢治研究Annual Vo.15』(宮沢賢治学会イーハト-ブセンター)167p~より>
 ということは、
・大正15年10月初めに花巻警察署に新署長伊藤儀一郎がやって来たので歓迎会をし、
・昭和2年6月末に伊藤儀一郎は花巻警察署を去ることになったので送別会を行った。
ということになろう。なんとあの〝伊藤儀一郎〟がこの日記に登場していたのである(「新校本年譜」によれば伊藤儀一郎のこのときの在任期間は大正15年9月25日~昭和2年6月18日となっていることとも大体符合する)。
伊藤からの事情聴取は大正15年10月頃~昭和2年6月頃の間
 一方、先の件のインタビューで境忠一氏の質問に対して堀尾氏が
 これは左翼的な思想や、社会主義の立場からではない――いわゆる危険思想での取り調べではなかったようです。
と答えていたところの、賢治が伊藤儀一郎から受けた事情聴取だが、この事情聴取については「日時不明」となっていたので私は賢治が伊藤儀一郎から事情聴取を受けた時期はまさしくこの時期昭和3年8月頃であったと当初推測していた。しかし、この推測は撤回せねばならなくなった。それは、前述したように、この時期に伊藤儀一郎はもやは花巻警察署にはおらず一ノ関警察署に異動していたことが判明したからである。
 同時に、不明だという事情聴取を受けた日は逆に次のように狭まってくることになる。
 賢治が花巻警察署長伊藤儀一郎から事情聴取を受けた日は、
  少なくとも大正15年10月頃~昭和2年6月頃の間
にである。
と。そしてその際の事情聴取は堀尾氏の言うとおり「いわゆる危険思想での取り調べではなかった」であろうし、その取り調べもそれほど厳しいものではなかったであろう。このときならば岩手の「特高」は実質的にまだスタートしていなかったはずだからである。もちろんこの期間であるならば、「3・15事件」が起こる前であるからでもある。
 したがって、消去法で言えば
 賢治が花巻警察署長伊藤儀一郎から事情聴取を受けのは、やはり新聞報道のあった「昭和二年二月一日」直後であったという可能性が極めて高いことになるし、それを受けて止めたのはあくまでも「楽団活動」だけであり、その後も少なくとも4月10日頃までは従前のような講義や集会は続けていた。
という判断がかなり妥当であるということになりそうだ……そう思ったのだが、実はこの判断も危うくて、この時期よりももっと可能性が高いのは同年6月だということを知った。

 『賢治昭和三年の自宅蟄居』の仮「目次」
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 なお、その一部につきましてはそれぞれ以下のとおりです。
   「目次
   「第一章 改竄された『宮澤賢治物語』(6p~11p)
   「おわり
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