宮澤賢治の里より

下根子桜時代の真実の宮澤賢治を知りたくて、賢治の周辺を彷徨う。

Ⅳ 庚申塔の建立日

2009年03月24日 | Weblog
 さて、花巻一帯に建っている庚申塔の建立はどのような日に行われたのだろうか。単純に考えてみて、おそらく庚申日に建てられたのではなかろうかと推測しつついままでに出会えた庚申塔についてのリストを作ってみると末尾の<表4>のとおり。
 そして、この<表4>から明らかに言えることとして次のようなことがある。
 賢治が生きていた頃の花巻一帯の「庚申信仰」に関しては
(1) 『庚申塔』は『五庚申』あるいは『七庚申』にその殆どが建てられている。

(2) 「五庚申」あるいは「七庚申」の年に建てる『庚申塔』の銘は単に「庚申」であることもある。
  ←<表4>における漢数字の( )書きにした庚申塔がこれらの庚申塔に当たる。
(3) 花巻一帯においては、『五庚申』あるいは『七庚申』には必ず『庚申塔』が建っている。
  ←<表4>で確認できるとおり。
(4) 庚申信仰は『旧暦』に基づいていた。
  ←<表4>における建立日と庚申日のかなりの一致から。
 <注:『庚申塔』とは『庚申塔』『七庚申塔』『五庚申塔』等の総称のこととする>

 ここで、<表4>を集計すると次の<表5>のようになる。
   <表5 庚申塔建立日は何庚申日か(1870~1960年)>
   [(a)七庚申塔]    [(b)五庚申塔]    [(c)(六)庚申搭]
   初庚申日 1基    初庚申日       初庚申日  1基
   二庚申日 1 基    二庚申日       二庚申日 
   三庚申日 0 基    三庚申日 1基    三庚申日 
   四庚申日 5 基    四庚申日       四庚申日 
   五庚申日 7 基    五庚申日 5基    五庚申日 
   六庚申日 5 基    その他の日1基    六庚申日 
   七庚申日 15 基     合計    7基   その他の日 2基
   その他の日15基                 合計    3基
   月日不明 11基
   合計    60基

   [(d)(庚申年)庚申塔] 二庚申日 1基

   [(e)庚申日該当数]         [(f)庚申塔種類別]
  庚申日該当 42基 (59%)       七庚申塔    60基(85%)
  納め庚申日 20基 (28%)……内数 五庚申塔    7基(10%)
  その他の日 18基 (25%)       (六)庚申塔    3基(4%)
  月日不明  11基 (15%)       (庚申年)庚申塔 1基(1%)
  合   計  71基 (100%)       合   計   71基(100%)

 なお、<表5>について2点補足説明をすると、
(1) <表5の(c)>は
 庚申日が年に6回の場合でも庚申塔が建てられることがある、ということである。
 当初、花巻一帯の『庚申塔』は『七庚申』か『五庚申』に建っているものしかないと思っていた。ところが例えば次の庚申塔
《2 庚申》(平成21年2月15日撮影、狼沢稲荷)

を見つけて焦ってしまった。その建立年月日は大正11年である。まさかと思ったが、どう見ても
   大正十一年八月廿日
としか刻まれていない。
 この年は『五庚申』でも『七庚申』でも、はたまた60年に一度訪れる『庚申年』でもない(因みに大正9年が『庚申年』ある)。
 具体的には、旧暦大正11年の庚申日は次のとおり。
  大正11(1922)年(賢治26歳) 壬戌(水の兄戌)閏年
   1/25 3/26 5/26 6/28 8/29 11/1
念のため、新暦大正11年の庚申日を示すと次のようになっている。
   2/21,4/22,6/21,8/20,10/19,12/18 
従って、旧暦であっても新暦であってもこの年は『七庚申』ではないし、まして『五庚申』でもない。ただし、このことから判るように8/20は新暦四庚申日だから、この庚申塔は新暦の庚申に基づいて建立されているのかも知れない。新暦に基づいていて建てられている庚申塔は調べてみた限りあまり多くないと思うので、これは珍しい庚申塔だと思う。

(2) <表5の(d)>は
 『庚申年』に建てられる「庚申塔」もある、ということである。 
 因みに次の写真の中央の庚申塔がその具体例である。
《3 庚申》(平成21年3月5日撮影、戸塚蒼前神社)

この庚申塔の建立年月日は大正9年3月14日であり、この年は60年に一回廻ってくる『庚申年』である。

 なお、<表4>から次のようなことが言えるのでこのことについては次回以降少し考察してみたい。
(1) 五庚申搭の建立日は納めの庚申日である割合が高い(5/7)。
(2) 庚申塔は庚申日に建てられることが多く(59%)、
  それも殆どが七庚申塔である(85%)。
(3) 庚申塔は納め庚申日に建てられる割合が高い(28%)。

*******************************************************************
   <表4 庚申塔と庚申日(1870~1960年分)>
【明治12年=『七庚申』◎◎◎】
《01 (七)庚申(明治12年8月)》(狼沢の追分)
《02 (七)庚申塔(明治12年10月吉日)》(清水観音)
【明治14年◎】
《03 庚申(明治14年6月20日)6/30三庚申日》(石鳥谷八幡宮)
【明治22年=『七庚申』◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎(10基)】
《04 (七)庚申(明治22年3月25日)3/15二庚申日》(戸塚蒼前神社)

《05(七)庚申塔(明治22年12月19日=納め庚申日)》(三嶽神社)
《06 七庚申(明治22年12月19日=〃)》(狼沢稲荷)
《07 七庚申(明治22年12月19日=〃)》(石鳥谷貴船神社)
《08 七庚申(明治22年12月19日=〃)》(石鳥谷八幡宮)
《09 七庚申(明治22年閏12月19日=〃)》(石鳥谷八幡宮)
《10 七庚申(明治22年閏12月19日=〃)》(小瀬川熊野神社)
《11 (七)庚申塔(明治22年旧12月19日=〃)》(椚ノ目熊野神社)
《12 七庚申(明治22年閏12月19日=〃)》(糠塚稲荷神社)

《13 (七)庚申(明治22年12?月)》(戸塚蒼前神社)
【明治30年◎】
《14 庚申(明治30年旧2月1日=初庚申日)》(愛宕沢坂庚申塚)
【明治33年=『七庚申』◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎(17基)】
《15 七庚申(明治33年旧1月17日=初庚申日)》(堰袋金毘羅山)
《16 七庚申(明治33年旧3月18日=二庚申日)》(石鳥谷北寺)
《17 七庚申(明治33年7月21日=四庚申日)》(二枚橋稲荷神社)
《18 七庚申(明治33年7月21日=〃)》(鍋倉春日神社)
《19 七庚申塔(明治33年7月21日=〃)》(三嶽神社)

《20 (七)庚申塔(明治33年8月12日)》(清水観音)
《21 七庚申(明治33年8月21日=五庚申日)》(石鳥谷八幡宮)
《22 七回庚申(明治33年閏8月21日=〃)》(田力庫理稲荷)
《23 七庚申(明治33年8月21日=〃)》(糠塚稲荷神社)

《24 七庚申(明治33年閏9月11?日)》(石鳥谷貴船神社)
《25 七庚申(明治33年10月21日)10/22六庚申日》(矢沢八幡宮)
《26七庚申塔(明治33年10月22日=六庚申日)》(鍋倉愛宕神社)
《27 (七)庚申(明治33年12月19日)》(湯口太神宮)
《28 七庚申(明治33年12月23日=納め庚申日)》(戸塚蒼前神社)
《29 七庚申(明治33年12月23日=〃)》(狼沢の追分)

《30 七庚申(明治33年12月2?日)》(胡四王山岩谷不動)
《31 七庚申(明治33年)》(鞍掛白山神社)
【明治35年=『五庚申』◎◎◎◎△】
《32 五庚申(明治35年7月2日=三庚申日)》(石鳥谷八幡宮)
《33 五庚申(明治35年旧11月4日=納め庚申日)》(戸塚蒼前神社)
《34 五庚申(明治35年11月4日=〃)》(鍋倉春日神社)
《35 五七庚申併刻(35年11月4日=〃)》(湯口中村)
《36 五庚申(明治35年旧11月4日=〃)》(戸塚蒼前神社)
《37 五庚申(明治35年旧11月4日=〃)》(台羽山神社)

【明治36年=『七庚申』◎◎◎◎△】
《38 (七)庚申塔(明治36年3月4日)3/5二庚申日》(似内稲荷神社)
《39 七庚申(明治36年7月12日)》(上円膝公民館前)
《40 七庚申併刻(36年8月9日=五庚申日)》(湯口中村)
《41 七庚申(明治36年10月10日=六庚申日)》(花巻八ツ森)

《42 七庚申塔(明治36年秋)》(花巻養護学校前)
【明治44年=『七庚申』◎◎】
《43 七庚申(明治44年旧12月27日=納め庚申日)》(糠塚稲荷神社)
《44 (七)庚申(明治44年旧12月30?日)》(石鳥谷八幡宮)
【大正元年=『五庚申』◎】
《45 (五)庚申塔(大正元年11月2日建立)11/8納め庚申日》(湯口中村)
【大正3年=『七庚申』◎◎◎◎◎】
《46 七庚申(大正3年8月12日=五庚申日)》(槻ノ木千手観音堂)
《47 七庚申(大正3年10月1日)》(椚ノ目熊野神社)
《48 七庚申(大正3年12月15日=納め庚申日)》(糠塚稲荷神社)
《49 七庚申(大正3年)》(椚ノ目熊野神社)
《50 七庚申(大正3年)》(石鳥谷八幡宮)
【大正9年=庚申年◎】
《51 庚申(大正9年3月14日=二庚申日)》(戸塚蒼前神社) =庚申(金の兄申)
【大正11年◎】
《52 庚申(大正11年8月20日)8/29五庚申日》(狼沢稲荷)
【大正14年=『七庚申』◎◎◎◎◎◎◎◎◎】
《53 七庚申(大正14年6月15日=四庚申日)》(石鳥谷貴船神社)
《54 七庚申(大正14年7月12日)》(上円膝公民館前)
《55 七庚申塔(大正14年8月12日)8/16五庚申日》(三嶽神社)
《56 五七庚申(大正14年10月17日=六庚申日)》(大木神明社)
《57 七五庚申(大正14年10月17日=〃)》(湯口太神宮)
《58 七庚申(大正14年旧10月17日=〃)》(石鳥谷八幡宮)

《59 七庚申(大正14年旧12月18日=納め庚申日)》(糠塚稲荷神社)
《60 七庚申(大正14年旧12月18日=〃)》(鼬幣稲荷神社)

《61 七五庚申(大正14年)》(湯口洗沢)
【昭和11年=『七庚申』◎◎◎◎◎◎△】
《62七庚申(昭和11年4月)4/18三庚申日》(椚ノ目熊野神社)
《63 七庚申(昭和11年6月19日=四庚申日)》(鞍掛白山神社)
《64 七庚申(昭和11年旧8月20日=五庚申日)》(上円膝公民館前)
《65 七庚申(昭和11年旧8月20日=〃)》(下小路金毘羅さん)
《66 七庚申(昭和11年10月21日=六庚申日)》(花巻城址観音寺観音堂)

《67 七庚申(昭和11年旧12月21日=納め庚申日)》(糠塚稲荷神社)
《68 七庚申追刻塔(右側昭和11年)》(鍋倉地森バス停)
【昭和22年=『七庚申』◎◎△】
《69 七庚申塔(昭和22年9月吉日)》(地蔵堂)
《70 七庚申(昭和22年12月24日)12/26七庚申日》(糠塚稲荷神社)
《71 七庚申追刻塔(左側昭和22年)》(鍋倉地森バス停)
 <注>◎印は単刻の『庚申塔』、△印は併刻あるいは追刻の『庚申塔』


 続きの
 ”庚申塔への想い”のTOPへ移る。
 前の
 ”『七庚申塔』『五庚申塔』建立理由”のTOPに戻る。
 ”宮澤賢治の里より”のトップへ戻る。
目次(続き)”へ移動する。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿