それでは、今回は「経埋ムベキ山」早池峰山について報告する。
さて、宮澤賢治はいつ早池峰山に登ったのかを調べてみる。
○大正 7年9月23日(22歳) 岳-早池峰山-七折れの滝-岳
<『賢治のイーハトーブ花巻』(宮沢賢治学会・花巻市民の会編集 猫の事務所)より>
○大正14年8月10日(28歳) 河原の坊(野宿)-11日 早池峰頂上でご来光迎える
<『今日の賢治先生』(佐藤司著 永大印刷)より>
とあった。
なお、大正13(1924)年8月17日(27歳)にも賢治は早池峰山に登っているようだ。なぜなら、次の詩『早池峰山巓(春と修羅 第二集)』の日付が二四・八・一七となっているからである。
あやしい鉄の隈取りや
数の苔から彩られ
また捕虜岩の浮彫と
石絨の神経を懸ける
この山巓の岩組を
雲がきれぎれ叫んで飛べば
露はひかってこぼれ
釣鐘人参のいちいちの鐘もふるえる
みんなは木綿の白衣をつけて
南は青いはひ松のなだらや
北は渦巻く雲の髪
草穂やいはかがみの花の間を
ちぎらすやうな冽たい風に
眼もうるうるして息吹きながら
踵を次いで攀ってくる
九旬にあまる旱天つゞきの焦燥や
夏蚕飼育の辛苦を了へて
よろこびと寒さとに泣くやうにしながら
たゞいっしんに登ってくる
…向ふではあたらしいぼそぼその雲が
まっ白な火になって燃える…
ここはこけももとはなさくうめばちさう
かすかな岩の輻射もあれば
雲のレモンのにほひもする
<『宮澤賢治全集三』(筑摩書房)より>
まずは、早池峰山は花巻からどのように見えるかを紹介する。
《1 「下ノ畑」からの早池峰山》(平成20年6月17日撮影)
胡四王山、旧天山、観音山の三山の向こうに見える。ズームアップすると
《2 〃 》(平成20年6月17日撮影)
《3 イギリス海岸からの早池峰山》(平成20年6月17日撮影)
右のピークが早池峰山、その左隣りが中岳であり、鶏頭山及び稜線は見えない。
《4 宮沢賢治記念館からの早池峰山など》(平成20年6月17日撮影)
賢治記念館の駐車場の端のテラス?から、背伸びするとかろうじて望める。
さてそれでは、小田越コースを用いて早池峰山へ登ってみよう。
《5 小田越登山口》(平成20年6月16日撮影)
ここにはかつては大鳥居があったはずだが無くなっている、どうしたのだろうか。
《6 早池峰山一帯は国定公園です》(平成20年6月16日撮影)
《7 早池峰山登山案内》(平成20年6月16日撮影)
まず登山者名簿を記入し、歩き始めると最初のナンバー・プレート
《8 NO.50》(平成20年6月16日撮影)
がある。なお早池峰山頂のそれはNO.100である。
早速、路沿いには
《9 ショウジョウバカマ》(平成20年6月16日撮影)
《10 ミツバオウレン》(平成20年6月16日撮影)
《12 オサバグサ》(平成20年6月16日撮影)
《14 ミヤマスミレの叢》(平成20年6月16日撮影)
《16 ウスバスミレ》(平成20年6月16日撮影)
《17 〃 》(平成20年6月16日撮影)
《18 オオタチツボスミレ》(平成20年6月16日撮影)
《19 ツバメオモト》(平成20年6月16日撮影)
《20 〃の花》(平成20年6月16日撮影)
《21 ツクバネソウ》(平成20年6月16日撮影)
《22 ツルシキミ》(平成20年6月16日撮影)
等の花が咲いていた。
ほどなく
《23 三里の標識》(平成20年6月16日撮影)
があり、
《24 サンカヨウ》(平成20年6月16日撮影)
《25 ギンリョウソウ》(平成20年6月16日撮影)
《26 ムラサキヤシオ》(平成20年6月16日撮影)
《27 ミネザクラ》(平成20年6月16日撮影)
などが咲いている。縦走路には結構ミネザクラがあったが、これが一番立派なミネザクラである。今年最後の花見となった。
《28 クロウスゴ》(平成20年6月16日撮影)
一合目の御門口(ごもんぐち)を過ぎるとハイマツの中に蛇紋岩の露岩が続き、コースはその岩の間を縫う。栄養分の乏しい超塩基性の蛇紋岩の間に色とりどりの花々が続く。
《30 岩の割れ目に咲く》(平成20年6月16日撮影)
《31 ミヤマキンバイ》(平成20年6月16日撮影)
《32 チシマアマナ》(平成20年6月16日撮影)
《34 キバナノコマノツメ》(平成20年6月16日撮影)
《35 〃の花》(平成20年6月16日撮影)
《36 ミヤマシオガマ》(平成20年6月16日撮影)
《37 〃の花》(平成20年6月16日撮影)
《38 ヒロハヘビノボラズ》(平成20年6月16日撮影)
《39 間もなく咲きそうなミヤマオダマキの蕾》(平成20年6月16日撮影)
《40 〃 ミヤマヤマブキショウマ》(平成20年6月16日撮影)
このミヤマヤマブキショウマは早池峰山の固有種である。
《41 チングルマ》(平成20年6月16日撮影)
《42 〃の花》(平成20年6月16日撮影)
そして、この時期でなければ見られない(7月にはいればもう見られない)
《44 蛇紋岩の岩陰に咲くヒメコザクラ発見》(平成20年6月16日撮影)
《45 周りの地形》(平成20年6月16日撮影)
蛇紋岩の岩塊が累々と続くが、ヒメコザクラはあちこちに咲いている。
《46 岩礫地のヒメコザクラ》(平成20年6月16日撮影)
《47 多少の草地の中にも》(平成20年6月16日撮影)
《48 ウスユキソウのそばにも》(平成20年6月16日撮影)
《49 ヒメコザクラの根生葉がみずみずしい》(平成20年6月16日撮影)
《50 朝日に輝く》(平成20年6月16日撮影)
《51 〃 》(平成20年6月16日撮影)
《52 〃 》(平成20年6月16日撮影)
《53 〃》(平成20年6月16日撮影)
《54 〃 》(平成20年6月16日撮影)
なお、ヒメコザクラは早池峰山以外の北上山地の蛇紋岩地帯からも見つかっているらしいが、実質はほぼ”早池峰山の特産種”と言っていいようだ。
悲しいことだが、県道紫波川井線(大迫町岳~川井村江繋)が完成してからは早池峰山では高山植物の盗掘がかなりあるという。嘆いていたら、既に賢治は詩『花鳥図譜、八月、早池峰山巓』の出だしで
(根こそぎ抜いて行くやうな人に限って
それを育てはしないのです
ほんとの高山植物家なら
時計皿とかペトリシャーレをもって来て
眼を細くして種だけ採って行くもんです)
と、早池峰山での高山植物の盗掘に怒っている。
続きの
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さて、宮澤賢治はいつ早池峰山に登ったのかを調べてみる。
○大正 7年9月23日(22歳) 岳-早池峰山-七折れの滝-岳
<『賢治のイーハトーブ花巻』(宮沢賢治学会・花巻市民の会編集 猫の事務所)より>
○大正14年8月10日(28歳) 河原の坊(野宿)-11日 早池峰頂上でご来光迎える
<『今日の賢治先生』(佐藤司著 永大印刷)より>
とあった。
なお、大正13(1924)年8月17日(27歳)にも賢治は早池峰山に登っているようだ。なぜなら、次の詩『早池峰山巓(春と修羅 第二集)』の日付が二四・八・一七となっているからである。
あやしい鉄の隈取りや
数の苔から彩られ
また捕虜岩の浮彫と
石絨の神経を懸ける
この山巓の岩組を
雲がきれぎれ叫んで飛べば
露はひかってこぼれ
釣鐘人参のいちいちの鐘もふるえる
みんなは木綿の白衣をつけて
南は青いはひ松のなだらや
北は渦巻く雲の髪
草穂やいはかがみの花の間を
ちぎらすやうな冽たい風に
眼もうるうるして息吹きながら
踵を次いで攀ってくる
九旬にあまる旱天つゞきの焦燥や
夏蚕飼育の辛苦を了へて
よろこびと寒さとに泣くやうにしながら
たゞいっしんに登ってくる
…向ふではあたらしいぼそぼその雲が
まっ白な火になって燃える…
ここはこけももとはなさくうめばちさう
かすかな岩の輻射もあれば
雲のレモンのにほひもする
<『宮澤賢治全集三』(筑摩書房)より>
まずは、早池峰山は花巻からどのように見えるかを紹介する。
《1 「下ノ畑」からの早池峰山》(平成20年6月17日撮影)
胡四王山、旧天山、観音山の三山の向こうに見える。ズームアップすると
《2 〃 》(平成20年6月17日撮影)
《3 イギリス海岸からの早池峰山》(平成20年6月17日撮影)
右のピークが早池峰山、その左隣りが中岳であり、鶏頭山及び稜線は見えない。
《4 宮沢賢治記念館からの早池峰山など》(平成20年6月17日撮影)
賢治記念館の駐車場の端のテラス?から、背伸びするとかろうじて望める。
さてそれでは、小田越コースを用いて早池峰山へ登ってみよう。
《5 小田越登山口》(平成20年6月16日撮影)
ここにはかつては大鳥居があったはずだが無くなっている、どうしたのだろうか。
《6 早池峰山一帯は国定公園です》(平成20年6月16日撮影)
《7 早池峰山登山案内》(平成20年6月16日撮影)
まず登山者名簿を記入し、歩き始めると最初のナンバー・プレート
《8 NO.50》(平成20年6月16日撮影)
がある。なお早池峰山頂のそれはNO.100である。
早速、路沿いには
《9 ショウジョウバカマ》(平成20年6月16日撮影)
《10 ミツバオウレン》(平成20年6月16日撮影)
《12 オサバグサ》(平成20年6月16日撮影)
《14 ミヤマスミレの叢》(平成20年6月16日撮影)
《16 ウスバスミレ》(平成20年6月16日撮影)
《17 〃 》(平成20年6月16日撮影)
《18 オオタチツボスミレ》(平成20年6月16日撮影)
《19 ツバメオモト》(平成20年6月16日撮影)
《20 〃の花》(平成20年6月16日撮影)
《21 ツクバネソウ》(平成20年6月16日撮影)
《22 ツルシキミ》(平成20年6月16日撮影)
等の花が咲いていた。
ほどなく
《23 三里の標識》(平成20年6月16日撮影)
があり、
《24 サンカヨウ》(平成20年6月16日撮影)
《25 ギンリョウソウ》(平成20年6月16日撮影)
《26 ムラサキヤシオ》(平成20年6月16日撮影)
《27 ミネザクラ》(平成20年6月16日撮影)
などが咲いている。縦走路には結構ミネザクラがあったが、これが一番立派なミネザクラである。今年最後の花見となった。
《28 クロウスゴ》(平成20年6月16日撮影)
一合目の御門口(ごもんぐち)を過ぎるとハイマツの中に蛇紋岩の露岩が続き、コースはその岩の間を縫う。栄養分の乏しい超塩基性の蛇紋岩の間に色とりどりの花々が続く。
《30 岩の割れ目に咲く》(平成20年6月16日撮影)
《31 ミヤマキンバイ》(平成20年6月16日撮影)
《32 チシマアマナ》(平成20年6月16日撮影)
《34 キバナノコマノツメ》(平成20年6月16日撮影)
《35 〃の花》(平成20年6月16日撮影)
《36 ミヤマシオガマ》(平成20年6月16日撮影)
《37 〃の花》(平成20年6月16日撮影)
《38 ヒロハヘビノボラズ》(平成20年6月16日撮影)
《39 間もなく咲きそうなミヤマオダマキの蕾》(平成20年6月16日撮影)
《40 〃 ミヤマヤマブキショウマ》(平成20年6月16日撮影)
このミヤマヤマブキショウマは早池峰山の固有種である。
《41 チングルマ》(平成20年6月16日撮影)
《42 〃の花》(平成20年6月16日撮影)
そして、この時期でなければ見られない(7月にはいればもう見られない)
《44 蛇紋岩の岩陰に咲くヒメコザクラ発見》(平成20年6月16日撮影)
《45 周りの地形》(平成20年6月16日撮影)
蛇紋岩の岩塊が累々と続くが、ヒメコザクラはあちこちに咲いている。
《46 岩礫地のヒメコザクラ》(平成20年6月16日撮影)
《47 多少の草地の中にも》(平成20年6月16日撮影)
《48 ウスユキソウのそばにも》(平成20年6月16日撮影)
《49 ヒメコザクラの根生葉がみずみずしい》(平成20年6月16日撮影)
《50 朝日に輝く》(平成20年6月16日撮影)
《51 〃 》(平成20年6月16日撮影)
《52 〃 》(平成20年6月16日撮影)
《53 〃》(平成20年6月16日撮影)
《54 〃 》(平成20年6月16日撮影)
なお、ヒメコザクラは早池峰山以外の北上山地の蛇紋岩地帯からも見つかっているらしいが、実質はほぼ”早池峰山の特産種”と言っていいようだ。
悲しいことだが、県道紫波川井線(大迫町岳~川井村江繋)が完成してからは早池峰山では高山植物の盗掘がかなりあるという。嘆いていたら、既に賢治は詩『花鳥図譜、八月、早池峰山巓』の出だしで
(根こそぎ抜いて行くやうな人に限って
それを育てはしないのです
ほんとの高山植物家なら
時計皿とかペトリシャーレをもって来て
眼を細くして種だけ採って行くもんです)
と、早池峰山での高山植物の盗掘に怒っている。
続きの
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