宮澤賢治の里より

下根子桜時代の真実の宮澤賢治を知りたくて、賢治の周辺を彷徨う。

376 文圃堂版『宮澤賢治全集一』

2011年07月02日 | Weblog
                《1↑『宮澤賢治全集一』(文圃堂)》

 宮澤賢治没後約1年の昭和9年10月に早々と文圃堂から『宮澤賢治全集第三巻』(童話編)が刊行されたということだが、そのシリーズの第一巻がこのブログの先頭のようなものである。

 森荘已池の「ふれあいの人々宮澤賢治」によれば、この表紙の字は高村光太郎の手によるものなそうで、
《2 『宮澤賢治全集一巻』奥付き》 

には発行は
  昭和十年七月二五日
とあり、編輯者としては
   高村光太郎
   宮澤清六
   藤原嘉藤治
   草野心平
   横道利一
の五氏が名を連ねている。

 ところが森荘已池の前著によれば、この出版元文圃堂は残念なことにほどなく破産し、そのときの破産世話人だった十字屋書店に文圃堂は『宮澤賢治全集三巻本』の紙型を寄贈したのだそうだ。

 さてこの文圃堂版『宮澤賢治全集一』の中味は〝「詩」(春と修羅)〟であり、「春と修羅」の第一集~第三集が載っている。
 そしてこの第一巻の最後の詩は次のようなものであった。
《3 「白菜畑」》


 これで明らかなようにこの詩の一部は改竄されている。つまり〝戦時中の賢治の詩の改竄〟で触れた十字屋書店版『宮澤賢治全集第二』の「白菜畑」と同じような改竄がなされていたのであった。

 まあ考えてみれば文圃堂版と十字屋書店版は同一の紙型を用いているようだから当たり前のことかも知れないが、昭和10年の7月のこの時点でこの詩は既に改竄されていたことになる。
 十字屋書店版の『宮澤賢治全集二』が発行されたのは昭和15年の第二次世界大戦下であったので「白菜畑」の改竄も(もちろん許されることではないが)当時の情勢を考えれば十分あり得ることであったとは思うが、それよりも5年も前の昭和10年のこの時点で既に改竄されていたということは予想だにしていなかった。恐るべし。

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