宮澤賢治の里より

下根子桜時代の真実の宮澤賢治を知りたくて、賢治の周辺を彷徨う。

〈浮世絵展覧会印象〉

2016年10月05日 | 「装景手記」等

   浮世絵展覧会印象     一九二八、六、一五、

   膠とわづかの明礬が
     ……おゝ その超絶顕微鏡的に
        微細精巧の億兆の網……
   まっ白な楮の繊維を連結して
   湿気によってごく敏感に増減し
   気温によっていみじくいみじく呼吸する
   長方形のごくたよりない一つの薄い層をつくる
     いまそこに
     あやしく刻みいだされる
     雪肉乃至象牙のいろの半肉彫像
     愛染される
     一乃至九の単色調
     それは光波のたびごとに
     もろくも崩れて色あせる
   見たまへこれら古い時代の数十の頬は
   あるひは解き得ぬわらひを湛え
   あるひは解き得てあまりに熱い情熱を
   その細やかな眼にも移して
   褐色タイルの方室のなか
   茶いろなラッグの壁上に
   巨きな四次の軌跡をのぞく
   窓でもあるかとかかってゐる
   高雅優美な信教と
   風韻性の遺伝をもった
   王国日本の洗練された紳士女が
   つゝましくいとつゝましくその一一の
   十二平方デシにも充たぬ
   小さな紙片をへめぐって
   或はその愛慾のあまりにもやさしい模型から
   胸のなかに燃え出でやうとする焔を
   はるかに遠い時空のかなたに浄化して
   足音軽く眉も気高く行きつくし
   あるひはこれらの遠い時空の隔りを
   たゞちに紙片の中に移って
   その古い慾情の香を呼吸して
   こゝろもそらに足もうつろに行き過ぎる

   そこには苹果青のゆたかな草地や
   曇りのうすいそらをうつしてたゝえる水や
   はるかに光る小さな赤い鳥居から
   幾列飾る硅孔雀石の杉の木や

        永久的な神仙国の創建者
        形によれる最偉大な童話の作家

   どんよりとよどんだ大気のなかでは
   風も大へんものうくて
   あまりにもなやましいその人は
   丘阜に立ってその陶製の盃の
   一つを二つを三つを投げれば
   わづかに波立つその膠質の黄いろの波
     その一一の波こそは
     こゝでは巨きな事蹟である
   それに答へてあらはれるのは
   はじめてまばゆい白の雲
   それは小松を点々のせた
   黄いろな丘をめぐってこっちへうごいてくる

        一つのちがった atmosphere と
        無邪気な地物の設計者
   人はやっぱり秋には
   禾穂を叩いたり
   鳴子を引いたりするけれども
   氷点は摂氏十度であって
   雪はあたかも風の積った綿であり
   柳の波に積むときも
   まったくちがった重力法によらねばならぬ
   夏には雨が
   黒いそらから降るけれども
   笹ぶねをうごかすものは
   風よりはむしろ好奇の意思であり
   蓮はすべて lotus  といふ種類で
   開くときには鼓のやうに
   暮の空気をふるはせる

   しかもこれらの童期はやがて
   熱くまばゆい青春になり
   ゆたかな愛憐の瞳もおどり
   またそのしづかな筋骨も軋る
   赤い花火とはるかにひかる水のいろ
   たとへばまぐろのさしみのやうに
   妖冶な赤い唇や
   その眼のまはりに
   あゝ風の影とも見え
   また紙がにじみ出したとも見える
   このはじらひのうすい空色
   青々としてそり落された淫蕩な眉
   鋭い二日の月もかゝれば
   つかれてうるむ瞳にうつる
   町並の屋根の灰いろをした正反射
   黒いそらから風が通れば
   やなぎもゆれて
   風のあとから過ぎる情炎
   やがては ultra youthfulness の
   その数々の風景と影
   赤くくまどる奇怪な頬や
   逞ましく人を恐れぬ咆哮や
   魔神はひとにのりうつり
   青くくまどるひたひもゆがみ
   うつろの瞳もあやしく伏せて
   修弥の上から舌を出すひと
   青い死相を眼に湛え
   蘆の花咲く迷の国の渚に立って
   髪もみだれて刃も寒く
   怪しく所作する死の舞
   白衣に黒の髪みだれ
   死をくまどれる青の面
   雪の反射のなかにして
   鉄の鏡をさゝげる人や
   あゝ浮世絵の命は刹那
   あらゆる刹那のなやみも夢も
   にかはと楮のごく敏感なシートの上に
   化石のやうに固定され
   しかもそれらは空気に息づき
   光に色のすがたをも変へ
   湿気にその身を増減して
   幾片幾片
   不敵な微笑をつゞけてゐる
   

   高雅の      丶丶丶
             丶丶丶をもった
   日本
              丶丶丶
   つゝましく いとつゝましく
   

   恐らくこれらの    丶丶丶たちは
   その   をばことさら    より   し
   その     は          丶丶丶

   やがて来るべき新らしい時代のために
   わらっておのおの十字架を負ふ
   そのやさしく勇気ある日本の紳士女の群は
   すべての苦痛をもまた快楽と感じ得る

   褐色タイルのこのビルデングのしづかな空気
   天の窓張る乳いろガラスの薄やみのなかから
   青い桜の下暗のなかに
   いとつゝましく漂ひ出でる
             <『校本宮澤賢治全集第六巻』(筑摩書房)239p~より>

《鈴木 守著作案内》
◇ この度、拙著『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』(定価 500円、税込)が出来しました。
 本書は『宮沢賢治イーハトーブ館』にて販売しております。
 あるいは、次の方法でもご購入いただけます。
 まず、葉書か電話にて下記にその旨をご連絡していただければ最初に本書を郵送いたします。到着後、その代金として500円、送料180円、計680円分の郵便切手をお送り下さい。
       〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木 守    電話 0198-24-9813
 なお、既刊『羅須地人協会の真実―賢治昭和二年の上京―』、『宮澤賢治と高瀬露』につきましても同様ですが、こちらの場合はそれぞれ1,000円分(送料込)の郵便切手をお送り下さい。

『賢治と一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』   ☆『羅須地人協会の真実-賢治昭和2年の上京-』   ☆『羅須地人協会の終焉-その真実-』

『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』            ☆『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲との共著)

◇ 拙ブログ〝検証「羅須地人協会時代」〟において、各書の中身そのままで掲載をしています。


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