ある作家は
「自分と接点があったり、心に残った人達を
原型に、また抽斗にいっぱいある 印象深い風景も
それを軸に物語にしていく」と書いていた
私にだって「出あった人・心に刻んだ風景」は
溢れるほどあるが、いかんせん その画面を
膨らませたり、紡いだりは無理。
普段全く「無意識の画面」も加齢とともに
引き出されることもあるようだ。
《幼くして別れた弟と戯れている姉》
晩年の母が抽斗から出した「無意識の画面」は
きっとこれだった。宙を見て懐かしそうに
彼を呼んでいたから。
「自分と接点があったり、心に残った人達を
原型に、また抽斗にいっぱいある 印象深い風景も
それを軸に物語にしていく」と書いていた
私にだって「出あった人・心に刻んだ風景」は
溢れるほどあるが、いかんせん その画面を
膨らませたり、紡いだりは無理。
普段全く「無意識の画面」も加齢とともに
引き出されることもあるようだ。
《幼くして別れた弟と戯れている姉》
晩年の母が抽斗から出した「無意識の画面」は
きっとこれだった。宙を見て懐かしそうに
彼を呼んでいたから。
ブログを書くのにも語彙不足は年々加速、言葉遣いや漢字までネット辞書のお世話になる始末。ブログを毎日更新していたなど夢のようです。
が、すべてを加齢のせいにするのはいけませんよね。
加齢のせいにして反省、努力、なしの近頃。
今回のブログ記事、さすがsuri-ribaさん大切な要所は押さえた名文と拝見して納得
モデルのような容姿で運動も勉強もピカ一.
それでも 思いやりのある優しい女学生。姉たちの
ジェラシーに悩むわたし・・。
夢を真っ逆さまにしたの現実でくやしい~!
まぁじたばたしても「認知症」がでると皆同じ。
周りのものは羨ましく僻んでいましたよ。
「天は二物を与えず」なんて出来の悪いこどもを納得
させる言葉ですよ。
一物も与えられなかった当方としてはこれを聞くたび
さらにがっくりでした。