SUPER FLAT 2

非ファルス的にもっこりするものを肯定せよ!(神の性的不器用あるいはその性的悪戯に由来するもの達について)

インランド・エンパイア8

2009年03月23日 | Weblog


>ドゥルーズの『ニーチェと哲学』[国文社]によれば、マラルメは骰子を擲げることによって偶然を肯定したが、ニーチェはさらに進んで偶然の必然をも肯定した――多だけではなく多の一を、生成だけではなく生成の存在(すなわち回帰)を肯定するように。ドゥルーズはそのような高次の存在の一義性を強調する。(浅田彰「マラルメから始まる」より抜粋)

 というわけでマラルメを通して『インランド・エンパイア』について考えていたら普通に出てきたのがニーチェの「永劫回帰」なのだった。たしかに映画の後半に登場する娼婦たちはニーチェ的な強度を生きる存在であるかのように見える。ニーチェ的な強度とは、難しく言えばピエール・クロソウスキーいわくの「人格の同一性の下にざわめく言語以前の無数の欲動」のことであり、簡単に言えば宮台真司いわくの「まったり革命」のことである。なるほど、いかにも「まったり」としたエンディングじゃないか。