SUPER FLAT 2

非ファルス的にもっこりするものを肯定せよ!(神の性的不器用あるいはその性的悪戯に由来するもの達について)

ヨーゼフ・ボイスの地層

2010年07月04日 | Weblog
>だがその展示風景は、端的にいえば、美術館で作品を展示しているというより、むしろ博物館で資料を展示しているかのようだった。〔...〕もちろん、それがボイスのいう「拡大された芸術概念」の現われだといえなくもないが、それにしてもフェティッシュな仏神崇拝の匂いを拭い去ることはなかなか難しい。(福住廉*1)

 ボイスの「遺物」をまさか「美術作品」としてまじまじ鑑賞しようとしている福住など最初から論外なんで(爆)、水戸芸の学芸員もそんなにムキになって反論する必要もなかった(*2)。ボイスの遺した物を、たとえば考古学的あるいは地質学的な視点から観直せば、それが博物館での資料展示に似るのは当然であるし、また「拡大された芸術概念」という考えも、ならばほとんど惑星規模にまで拡大された芸術概念であったと捉えることができる。そういう意味で、ワタリウム美術館の和多利恵津子氏による「エコロジーへの思想にしても、ボイスはただ理論からではなく、土から生えるというか、土の中から湧き上がるような考え方を持っていたんじゃないでしょうか」という意見は何気に面白いし(『ヨーゼフ・ボイス よみがえる革命』(フィルムアート社)73ページ)、さらには次の山本和弘氏による壮大な話も、ますます興味津々である。

>ボイスの彫刻理論の基本は温めるとやわらかくなり、冷やすと硬くなる、ということである。わかりやすい例が脂肪という素材の使用である。脂肪は常温では固体であるが、わずかの熱で溶けてやわらかくなり、私たちがその形を思いどおりに成形できる硬さになる。こうしてみると、温暖期と氷河期を繰り返してきた地球そのものもまたボイス的視野に立てば温熱によって可塑的になる彫刻素材であることがわかる。ボイスのいうエコロジーはこのような極めて長期的視野から語られることもまた自明であろう。〔...〕この美術館を訪れる人々を待っているのはボイスの作品の残骸ではけっしてなく、活動休止状態にある作品である。私たちは活動が休止している、あるいは次の活動に向けて待機している状態をそこに見るのである。活動期と休止期という分け方はちょうど火山活動にあてはまる。これもまた温暖期と氷河期との交互到来と同じく人智を超えた時間の中にある。(同132ページ)

*1http://artscape.jp/focus/1210808_1635.html

*2 http://www.art-it.asia/u/ab_takahashi/4PXSNiA5WfC9QmJMEnhu/

ヨーゼフ・ボイスの〈アメリカ〉 その2

2010年07月04日 | Weblog


>レネ・ブロック・ギャラリーは、ソーホーのアート地区に現れたヨーロッパ空間でした。ベトナム戦争の間、ヨーロッパのアーティストとアメリカの動物がお互いに接近して生産的に関与し、対話するような場所はここしかなかったのです。また、アクションのタイトルは気に障るようなものにしようと考え、実際にその効果がありました。〈私はアメリカが好き、アメリカも私が好き〉は、愛の宣言ではありません。それは文化的かつ政治的なステートメントを意味しており、そのステートメントのもとに、檻の中でコヨーテが「ウォール・ストリート・ジャーナル」に毎日数回ずつ排泄するという、政治的なアクションへと変化したのです。ちなみに、そのころの朝食といえば、長方体のバター2本がつきものでした。アメリカのスーパーマーケットでは、バターがカッティングボードの上でそのように売られるのがお決まりなのです。「倒れたツインタワーみたいだな」とボイスは気がつき、そのバターの棒をまっすぐに立てました。「こっちのほうがよい脂肪だ」と言い、彼はそれを「コスマスとダミアン」と呼びました。コスマスとダミアンは双子で、シリア、つまりアラブで生まれました。イスラム帝国がまだ設立していない時代、アラブ人でキリスト教徒である彼らが、外科医としてお金をとらずに治療したために、その土地の人々の多くがキリスト教徒に改宗します。そのため、彼らは当時の統治者に迫害されてしまったのです。後に医学の守護神となりますが、人間の手足の移植を初めて行ったのも彼らだという伝説さえあります。彼らは病に冒された白人の脚を切断し、それを死んだばかりのムーア人(有色人種はそう呼ばれていました)の脚と交換したのです。ですから、ワールドトレードセンターのヘッドクォーターに、ボイスがノマドの医者である双子「コスマスとダミアン」の名前をつけたのは、意図的なことだったのです。しばらく経ってから同じ年に、ボイスは、バターのワールドトレードセンターをあしらった図柄のポストカードを、エディションで発行しました。ボイスは、タワーのうちの一本の黄色っぽい表面に「ダミアン」の名を書き入れ、もう一方には「コスマス」ではなく語呂合わせで「コスモス(宇宙)」と書き入れました。カトリック教会がこの殉教者を祭るのは、毎年9月です。いまとなっては、資本主義のカテドラルである2本のタワーが政治的なテロ活動により破壊されたのも、2001年の9月だったということを思わずにはいられません。(レネ・ブロックのテキスト「ニューヨークで本当に起こったこと」より抜粋、水戸芸術館現代美術センター編『ヨーゼフ・ボイス よみがえる革命』(フィルムアート社)158ページ)

ヨーゼフ・ボイスの〈アメリカ〉

2010年07月04日 | Weblog


>私がニューヨークに借りたスペースが74年にオープンしたとき、ボイスは〈私はアメリカが好き、アメリカも私が好き〉(以下、〈アメリカ〉)を行いました。彼の一連の作品のなかでも、中心的な役割を担っている作品です。そして、ほかのすべてのアクションのように、このアクションにもまた「前後」の話しがあります。ここでは、これまで注目されてこなかった、このアクション以前の彼の作品との関連性について注目したいと思います。実際、この〈アメリカ〉は、新しい視点で解釈することが可能です。(レネ・ブロックのテキスト「ニューヨークで本当に起こったこと」より抜粋、水戸芸術館現代美術センター編『ヨーゼフ・ボイス よみがえる革命』(フィルムアート社)156ページ)

 レネ・ブロックが水戸芸術館のボイス展シンポジウムで発表した新しい解釈というのをさらに拡大解釈すると、たとえばデヴィッド・ヒュームの「空間と時間の中の近接と距離」みたいな話になるのかもしれんと思うのは気のせいなのかな。また適当なこと言って失笑を買わなければよいのだが(だいぶ暑くなってきたので)、このボイスの伝説的アクション(1974年)が、ある種の「遠隔作用」と関わりがあることはブロックの発表からも間違いないようだ。1964年のベルリンでの〈首長〉のアクション、そして2001年のニューヨークWTCの崩壊、その狭間にこのコヨーテとのアクション〈アメリカ〉があるというのだ。これは一考に値する。