>よく見ると、壁とタンスの隙間に幅一ミリの女がいて、その女がゆっくりとこっちを向いた、と。この話の面白いところは、幅が一ミリしかない女が「こちらを向く」という、決して具体的には視覚化できないが、しかし強烈な印象を与える「イメージ」だろう。幅一ミリの女というのが既に視覚化困難なのだが、そのほとんど幅のない女が「向きをかえる」のが、何故か目で見て「分かる」ということ。これは、視覚的にはありえないが......以下略。(古谷利裕の偽日記2008-11-16より)
http://www.youtube.com/watch?v=jZXp3Ik1sOY
古谷利裕の頭の中が心配だ。この話で桜金造は「最初、ポスターか何か貼ってあるのかと思った」と言っている。ということは「幅が一ミリ」なのではなくて「厚みが一ミリ」ということである(実際に桜金造は「幅が」なんて言っていない)。どうやら古谷は「厚み幅」と「横幅」の区別が付かないようだが、それこそ視覚的にはありえない、というよりも常識的にありえない誤解だと思うのだが......。
http://www.youtube.com/watch?v=jZXp3Ik1sOY
古谷利裕の頭の中が心配だ。この話で桜金造は「最初、ポスターか何か貼ってあるのかと思った」と言っている。ということは「幅が一ミリ」なのではなくて「厚みが一ミリ」ということである(実際に桜金造は「幅が」なんて言っていない)。どうやら古谷は「厚み幅」と「横幅」の区別が付かないようだが、それこそ視覚的にはありえない、というよりも常識的にありえない誤解だと思うのだが......。