SUPER FLAT 2

非ファルス的にもっこりするものを肯定せよ!(神の性的不器用あるいはその性的悪戯に由来するもの達について)

美術と臨床をめぐる対話 その2

2009年05月07日 | Weblog
>私たち美術に関わるものの世界では、「作家は黙って良い作品を作れ」というイデオロギーがあります。作り手が、作品批評なり美術史に意識的な発言や分析なりをすると、決まってこういう言説が現れ、一方的に怒られたり軽蔑されたりします。(永瀬恭一)

 ダメな絵描きが口先だけで何言ってもダメだろ。なぜ内海聖史が売れて永瀬恭一は売れないのか、理由は言うまでもない。黙ろうと喋ろうと、永瀬の絵は作品としてお話にならないのだ。貸し画廊の日曜画家の絵に目を付ける人などいない。作品の良し悪しの判断能力がまず作家自身に要求されるのであれば、客観的に永瀬はいっそ絵を止めるべきだ。そしてブログも止めて、人様にこれ以上の迷惑をかけないようにすべきだ。そうすればもう怒られたり軽蔑されたりすることもなくなる。(ちなみにかつて古谷利行が非難した内海聖史の作品は今年、東京都現代美術館に収蔵された。古谷の見立ての見当違いがよく分かる事例だろう。あらためて古谷の言うことは絶対に信用してはならない。奴の目は腐っている)