>横浜の野毛山動物公園に、中野成樹、誤意訳・演出『Zoo Zoo Scene(ずうずうしい)』(エドワード・オールビー『動物園物語』)を観に行った。まず、スタッフに先導されて動物園をひとまわりして、閉園後、動物園内の広場で上演がはじまる、というもの。野毛山動物公園は、浪人時代にスケッチに行ったり、大学時代に映画の撮影に行ったりしたことがあったが、訪れるのは二十年ぶりくらい。(旧偽日記08/05/17(土)より抜粋)
>猿たちの動きを見ていると、木の枝と枝との間に、実際には目に見えない中空という抽象的な平面が見えてくるかのようだった。僕が作品のなかに見ようとしているのは、というか、作品が僕に見せてくれるものというのは、猿の動きによって見えてくる中空のようなものなのではないだろうか。作品を構成する細部というのは、一匹一匹の猿の動きのようなもので、それが、物理的にあるわけではない中空という平面を浮き上がらせる。それは、猿の動き以前には存在しなかった潜在的な何かを、その動きそのものがつくりだしているということだ。中空という平面そのものは、直接的に目で見ることも、手で触れることもできないが、しかし、それがあることは感じられる。(『世界へと滲み出す脳』あとがき329ページより抜粋)
>土曜の野毛山動物公園の公演を観ていたという人からいただいたメールに、会場にいた「どこかのバンドのミュージシャンみたいな男」の記憶と、偽日記の記述と、「美術手帖」の前の号に載っていた写真の記憶とが、後になって頭のなかで一致して、あ、あれが古谷だったんじゃねえの、と思った、と書かれていた(多少、脚色あり)。「どこかのバンドのミュージシャン」みたいって...。他人の描写(視線)を通して自分を観るのって、すごいへんな感じがする。(旧偽日記08/05/19(月)より抜粋)