SUPER FLAT 2

非ファルス的にもっこりするものを肯定せよ!(神の性的不器用あるいはその性的悪戯に由来するもの達について)

養老天命反転地12

2008年05月03日 | Weblog
>自由意志の存在は、我々には未来は知りえないことを意味する。そして、我々はその直接的経験があるからということで、自由意志は存在するだろうと確信している。意思作用は意識の本質的要素なのだと。 いや、そうなのだろうか? もし、未来を知るという経験がひとを変えるのだとしたら? それは切迫感を、自分はこうなると知ったとおりの行動をすべきだという義務感を呼び覚ますのだとしたら?(テッド・チャン『あなたの人生の物語』より抜粋)

 いまさらだが、荒川修作が自分の母校を間違えていた本当の理由が判明した。『現代思想』誌の荒川特集号(1996年)に掲載された岡田隆彦氏作成の年譜に、そのような誤記があったのである。なんのことはない、荒川は記憶違いをしたわけではなかった。そこに自分の母校が名古屋市立瑞穂小学校であると記されていたので、そうしただけだ。そもそも記憶が無いのである。過去の記憶が未来を知るという経験として与えられ、自分はこうなると知ったとおりの行動をしただけだ。荒川修作はいつだって、そういう意味で「本気」なのだ。