先の脱構築の殉教者による「動物は喪の象徴論を、ときにはある種の墓さえもっている」という発言は謎めいているが、養老天命反転地にも同じように謎めいた場所がある。まさしく「不死門」と命名されたその場所は、養老天命反転地へのゲートと位置付けられている。以下、公式サイトからの説明である。
>一見、竹林のようにも見えるこのモニュメントは、養老天命反転地の構想時から荒川氏のプランにあったもので、養老天命反転地へのゲートと位置付けられています。足もとには、「養・老・天・命・反・転・地」の七つの文字がデザインされ、銅板に包まれた猫やうさぎ、小鳥、蛇が配置されています。銅板という人工的な素材で、動物や竹といった自然を閉じ込めることで、与えられたもの一切を否定するという、作者の意思を表しています。ゲートといえば、日本古来の鳥居を思い浮かべますが、鳥居はもともと2本の竹から始まったもの。この不死門は、現在の形式に至るまでの人工的な装飾を取り除き、原点に立ち返った門でもあります。
謎が謎を呼ぶ展開だが、ここで小説家の保坂和志氏の語るおとぎ話にも耳を傾けてみよう。もしかしたら「不死門」の謎を解く何かのヒントになるかもしれない。以下、『小説の誕生』の450ページから転載する。
遠い昔、まだその土地に農民しか暮らしていなかった頃のこと、ある農夫が毎日小さい娘と犬をつれて畑仕事に出ていた。ある日、いつものように農夫が娘を犬と遊ばせて畑仕事をしていると、娘の悲鳴が聞こえ、あわてて駆けつけると、すでに娘は血を流して死んでいた。
農夫はてっきり犬の仕業だと思って、犬をその場でたたき殺したのだが、はっと気がつくと死んだ娘のすぐ傍らに毒蛇がいた。農夫は自分が大きな間違いを犯したことを知り、その場に犬を手厚く葬った。
それから何世紀か経ち、その場所には街道が通るようになった。農夫が犬を葬った粗末な墓標は朽ち果てず残っていて、街道を行く旅人たちはそこに腰をおろして休むのが習慣となっていた。ある日ひとりの旅人が足を痛めてやっとの思いで墓標まで歩いてきて、しばらく休息をとって立ち上がると、足が治っているではないか。
それ以来、そこでは奇蹟がたび重なり、
「これはありがたい聖人のお墓に違いない。」
という評判が広がり、そこに教会が建ち、その教会には多くの人が集まるようになった。
そしてまた時が過ぎ―、教会が老朽化したので再建の話が持ち上がった。それではせっかくだから昔からそのままになっている聖人のお墓をもっとちゃんとしたものに替えようと言って、お墓を掘り返したら、そこにあったのは犬の骨だった。
(a suivre)
>一見、竹林のようにも見えるこのモニュメントは、養老天命反転地の構想時から荒川氏のプランにあったもので、養老天命反転地へのゲートと位置付けられています。足もとには、「養・老・天・命・反・転・地」の七つの文字がデザインされ、銅板に包まれた猫やうさぎ、小鳥、蛇が配置されています。銅板という人工的な素材で、動物や竹といった自然を閉じ込めることで、与えられたもの一切を否定するという、作者の意思を表しています。ゲートといえば、日本古来の鳥居を思い浮かべますが、鳥居はもともと2本の竹から始まったもの。この不死門は、現在の形式に至るまでの人工的な装飾を取り除き、原点に立ち返った門でもあります。
謎が謎を呼ぶ展開だが、ここで小説家の保坂和志氏の語るおとぎ話にも耳を傾けてみよう。もしかしたら「不死門」の謎を解く何かのヒントになるかもしれない。以下、『小説の誕生』の450ページから転載する。
遠い昔、まだその土地に農民しか暮らしていなかった頃のこと、ある農夫が毎日小さい娘と犬をつれて畑仕事に出ていた。ある日、いつものように農夫が娘を犬と遊ばせて畑仕事をしていると、娘の悲鳴が聞こえ、あわてて駆けつけると、すでに娘は血を流して死んでいた。
農夫はてっきり犬の仕業だと思って、犬をその場でたたき殺したのだが、はっと気がつくと死んだ娘のすぐ傍らに毒蛇がいた。農夫は自分が大きな間違いを犯したことを知り、その場に犬を手厚く葬った。
それから何世紀か経ち、その場所には街道が通るようになった。農夫が犬を葬った粗末な墓標は朽ち果てず残っていて、街道を行く旅人たちはそこに腰をおろして休むのが習慣となっていた。ある日ひとりの旅人が足を痛めてやっとの思いで墓標まで歩いてきて、しばらく休息をとって立ち上がると、足が治っているではないか。
それ以来、そこでは奇蹟がたび重なり、
「これはありがたい聖人のお墓に違いない。」
という評判が広がり、そこに教会が建ち、その教会には多くの人が集まるようになった。
そしてまた時が過ぎ―、教会が老朽化したので再建の話が持ち上がった。それではせっかくだから昔からそのままになっている聖人のお墓をもっとちゃんとしたものに替えようと言って、お墓を掘り返したら、そこにあったのは犬の骨だった。
(a suivre)