SUPER FLAT 2

非ファルス的にもっこりするものを肯定せよ!(神の性的不器用あるいはその性的悪戯に由来するもの達について)

養老天命反転地5

2008年03月22日 | Weblog
>バリアを取り除きアクセス可能にしていくことは、少数の特殊な要求に対する特別な対応として取り組むこともできるが、このような要求をより普遍的な多くの人が潜在的に抱える問題と解釈し、根源的な対応として取り組むこともできる。設計や計画の初期の段階から利用者の多様性に注目し、対応可能な幅を拡大させるアプローチである。多くの人は融通が利くので、建築や製品に制限があっても特に問題を感じることなく使用してしまう。しかし、状況が変化すれば同じ建築や製品に対して不便を感じることも多い。建築や製品がもっと融通が利くように作られていれば、状況が変化したときも不便に感じることがなくなり、融通が利かない高齢者や障害のある人にも使える建築や製品を提供することができる。問題が発生するたびに対症療法的にとりくんできたバリアフリーに対して、問題自体が生じないため、配慮そのものに気がつかずに利用することができる。自らの能力の制限を自覚させられることもなく、最も自然な方法で行為が達成されれば、能力の制限そのものは意味のないことになる。かつてヘレンケラーは「障害は不便だけど、不幸ではない」と言ったが、不便でもなくなれば障害もある意味では無くしてしまえることになる。(相良二朗「バリアフリーとユニバーサルデザイン」より抜粋)