SUPER FLAT 2

非ファルス的にもっこりするものを肯定せよ!(神の性的不器用あるいはその性的悪戯に由来するもの達について)

永瀬恭一氏の違和感について その2

2006年05月11日 | Weblog
>村上氏自身が、自らの作品価格の下落を予感しているからこそ、手っ取り早く現金化できるものを引出した、と考えなければ今回の「和解」は理解できない。普通に考えて、話題作り、という観点からも、自らの正統性を完全に表明するためにも、この裁判は最後まで争われることが必要なはずだが、それが「和解」した、というのは純粋に金銭だけが問題になっていた事になる。

 いかにその和解金が高額であったとしても、おそらく村上氏の作品の数点分の金額でしかないと思われる。村上氏の作品は24時間の交代制で製作され続け、完成したそばから梱包され、海外へ輸出されていく。70人からのスタッフを雇う人件費だけを考えても、その販売額がどれほどのものなのか、サラリーマン画家の永瀬氏にはおよそ想像できないスケールであろう。村上氏には、和解金欲しさに裁判などやる必要はないし、そんな暇もない。また今さら話題作りなどするまでもなく有名である。では何が目的なのか。村上氏はこうコメントしている。
 
>日本ではアートの社会的評価や理解度は低いままです。功利主義で、文化発展への尊敬の念乏しき,文化の民意が著しく低い国。それが日本です。

 芸術文化の歴史は剽窃の歴史であるが、しかしそれも尊敬の念があってのことである。村上氏は、ミッキーマウスやドラえもんを、作者に対する尊敬の念をもって借用した。そしてそこから何かを学んだ。だがナルミヤのデザイナーには(そして今の日本には)それがなく、アートから何かを学ぼうとして真似していない、と言って怒っているわけだ。(続く)