一瞬一瞬を大切に!

毎日を大切に楽しく過ごしたい

7日目 ウィーン 最終日

2007-10-27 20:34:16 | Weblog
いよいよ旅も今日の観光で終わりです。7日間なんてすぐ過ぎてしまうものですね。この日は昨日と違って、とても良い天気で暖かく穏やかな日でした。
まずパプスブルグ家歴代の見事な収集品がある美術史美術館へ。
ベラスケスの宮廷肖像画”青い服の王女マルガリータ”は本ではよく見かけましたが本物を見るのは初めてです。青いビロードの服の光沢が丁寧に描かれていて、噂にたがわず素晴らしい作品でした。ラファエロの聖母像。フェルメールの”絵画芸術の寓意”等絵葉書で見た事のある絵の実物が見られるのにも感激しました。
でも私はやはりブリューゲル父子の作品が好きです。上野の美術館でいくつか作品を見た事がありますが、その時に買った絵葉書をいつも見ては楽しんでいました。庶民の生活を一人一人細かく細かく描いてあり、色々な人間の表情を見ることが出来ます。”農民の結婚式”や”バベルの塔””農民の踊り”等をみました。
ゆっくり見たとしても1日や2日では足りませんでしょう。素晴らしい作品が沢山ありましたから。次にシュテンファン寺院の近くまで歩いて、最後の昼食でした。
シュテファンの近くにあるレストランでした。ここで2度目のシュトルムがあり、(何処にでもあるわけではないのです)嬉しかったです。
ブリューゲル ”農民の結婚式”
フェルメール ”絵画芸術”

ラファエロ ”草原の聖母”

ベラスケス ”青い服の王女マルガリータ”

右側にあるロゼ色のがシュトルム(発酵途中のロゼのワイン)です。
昼食後は夕方まで自由行動の時間でしたので、まずシュテファン寺院の地下のカタコンベを見に行こうと、中に入ったら、素晴らしい賛美歌の合唱をやっていました。暫くこの歌声を聴いてゆっくり。


地下のカタコンベはハプスブルク家の人々の心臓以外の内臓が保管され、その他ペストで死んだ一般の人々約2000体の骨が埋葬されていました。
その後昨日相談して、友人に薦められベルベデーレ宮殿の中にある美術館に出かけました。クリムトとエゴン・シーレ(共にオーストリア出身)の絵をみるためです。
グスタフ・クリムト(1861~1918)父は彫刻師。父の影響もあって同じ彫刻の道に進む。彼の絵には彫金師のような手法で、細かい筆使いが感じられますね。大変な猫好きだったとか。優しい人だったのでしょう。
猫を抱いた晩年のクリムト。
”抱擁”
"接吻”
”猫”こう言う向き方の絵です。
"水辺の城館”クリムトにはこんな穏やかな絵もあるのですね。

エゴン・シーレ(1890~1918)わずか28歳で生涯を終えた画家。当時大流行したスペイン風邪で妻が死んだ3日後に彼も同じ風邪で亡くなったそうです。クリムトはシーレの絵の面倒もよくみたそうですが、彼も同じ年に亡くなっています。
 
 "死と乙女”
”クルマウの風景”
"ほうずきのある自画像”

若くして亡くなった彼の絵には線の太さ、タッチの大胆さを感じるのですが、短い生涯を精一杯生きたのだなあと思います。もっと沢山描いてほしかったと思います。彼もそう思ったでしょう。残念です。クリムトもシーレもいい作品を残して今私達の目を楽しませてくれているのですね。画家には死んだ後も残せるものがあって良いなあと思いました。
 
 以上で私のオーストリアの旅も終わりです。
オーストリア航空の直行便でしたので、行きは約12時間10分でしたが、歳と共に辛くなって来ました。贅沢な話ですが。
次回も行けるでしょうか? 体力をつけていつまでも行きたいです。

6日目 リンツからウィーン着

2007-10-26 21:25:58 | Weblog
ウィーン市内観光です。世界遺産のシェーブルン宮殿見学です。マリア・テレジアの生活の後を見て往時を偲びました。
シェーンブルンの庭園
ベルベデーレ宮殿庭園。明日最終日の自由時間に、ここの美術館で、クリムトとエゴン・シーレの絵を見る予定です。楽しみです。
昼食 サラダの前菜
メインディシュウが何だったか、写真を見てもよく思い出せません。夢中で食べ終えてしまいました。お腹が空いていたのですね。デザートは綺麗で美味しかったです。
作日までは、ずっと晴天で暖かく過ごしていましたが、ウィーンに着いたとたん、すごく寒くて、ダウンのジャケットを着る事になりました。風が冷たく、町を歩いている人もみな冬支度でした。

6日目 リンツからウィーンへ

2007-10-25 20:58:50 | Weblog
オーストリア第3の都市リンツからウィーンに向かう日です。途中メルクの修道院を訪れました。ベネディクト派の修道院。オーストリア・バロックの至宝と言われる程の華麗な姿です。マリー・アントワネットがフランスのルイ16世のもとに嫁ぐ途中で、この修道院で1泊しているそうです。
院内入り口
院内の天井
礼拝堂

テラスから見た町。右に流れている川はメルク川で、ドナウ川本流へと流れて行きます。
昼食。魚のフライ。ポテトは軟らかくて美味しかったです。
コーヒーはいつ何処で飲んでもさすがに美味しかった。
町の中を散策している時にあったパンやさん。

5日目 インスブルックからリンツへ( 2 ) ーハルシュタットへ

2007-10-24 11:43:20 | Weblog
いよいよ世界遺産のハルシュタットへよる日です。とても楽しみにしていました。”春のワルツ”に出てきた場所です。ユン・ソクホ監督はさすがに美しい場所を見つけるのが上手ですよね。
広場へと出る小道。
美しいマルクト広場。
湖水へのボート乗り場小屋があるところ。ウニョンが雪を積み上げて、スホ(チェハ)に再会出来るように祈った場所です。左隅の茶色の建物がボート乗り場です。

あの有名な場面。教会の見える場所ですが、湖水上から撮影しないと、あのような美しい写真は無理です。
寒い冬に備えて薪が沢山用意してありました。

道沿いにあった綺麗なホテルです。アイビーゼラニュウムのキャスケード。日本でもたまに見かけますが、花屋さんに聞いたら、今年の日本は酷暑で全滅。今年は無理だと言われました。
ハルシュタットは紅葉が始まり冬もまもなくでしょう。今回は一泊も出来ませんでしたが、いつの日かゆっくり滞在出来たらなあと思います。チェハがどのホテルからウニョンを見ていたのかはわかりませんでした。

5日目 インスブルックからリンツへ

2007-10-23 12:55:55 | Weblog
途中、湖水地方ザルツカンマーグートに立ち寄りました。ザンクト・ヴォルフガングで昼食です。オペレッタ”白馬亭”の舞台となったホテルのレストランで頂きました。とてもいい景色の場所でゆっくりした気分になりました。
白馬亭の入り口。
湖水で獲れた”ます”。お頭の向きが日本と違うのは、ナイフとホークで食べるため?
何もかも美味しくて幸せでした。
レストランから見た外の風景。
町の歴史が書いてある看板。
そばにあった教会です。
 

4日目 ザルツブルグからインスブルックへ

2007-10-23 12:22:40 | Weblog
チロル州インスブルクでは、オリンピックジャンプ台。黄金の小屋根。宮廷教会など見学。又ここにはスワロフスキーの本店があり、美しいクリシタルガラスを見ました。この時はカメラの電池切れで撮影できませんでした。自由時間に王宮を拝観。可愛らしい小さな建物でしたが、素晴らしい調度品がありました。最後の部屋に、マリア・テレジアが夫亡き後ずっと喪服で過ごしたと言う、レースのロングドレスが展示してありました。やや太目のドレスでしたが撮影禁止でお目にかけられないのが残念です。

インスブルックに行く途中、オーストリアで最も美しい村に選ばれた”アルプバッハ”に立ち寄りました。とても美しい村でした。長期滞在にいいかもしれません。
オリンピックのジャンプ台近くから見たインスブルクの町並み。中には入れませんでした。着地点の真下にお墓がありました。全く命がけだと言う事でしょうか。
インスブルックの町でのパフォーマンス。全く動きませんでした。でもお金を貰うとニッコリして白い歯が見えて不思議な感じがしました。
(友人からフィルムをお借りして)スワロフスキー本店です。


一緒に行った友人が、冬にスキーに来たいからと、通り道の小さなホテルで聞いてみました。初め年取ったおばあさんが出てきて、娘に聞かないとわからないからと、”テレージア! テレージア!”と読んだので、女帝と同じ名前だなと期待して待っていたら、奥から巨体をゆすりながら、のっそりといいかげんな歳の女性が出てきたとか。がっかりしたとかしないとか。


3日目 ザルツグルグ(3)

2007-10-22 18:17:45 | Weblog
マーケットの風景。
林檎は毎朝頂きましたが、見てくれは悪いのですが、味は甘くて美味しかったです。
どこにも犬は沢山いて、レストランやカッフェにも自由に一緒に入れますし羨ましかったです。日本とは文化が違いますね。針金をはったりペットボトルを置いたりして、犬や猫の害を防ごうとしている家は一度もみませんでした。


3日目 ザルツブルグ( 2 )

2007-10-19 21:19:29 | Weblog
ザルツブルグ州にあるザルツブルグを1000年に渡って支配し、権力をほしいままにした歴代の大司教の邸宅レジデンスを自由時間に訪れましたが、生憎この日は城内は休館日で代わりに現代美術展をやっていました。とに角城内の一部は見られるからと入ってみました。
入り口にあった彫刻。

城内にある階段。大司教はこの階段を馬車で4階まで登ったそうです。その為階段の一段一段が低くなっていました。何て贅沢な大司教達でしょう! この階段を見ただけで、如何に横暴な振る舞いをしていたかがわかりますね。キリストが見たら、何と言ったでしょうか。馬達も可愛そうだったですよ!

城内の調度品。
屋上から見下ろした広場。馬達は今でも一生懸命働いていました。

疲れるのか後ろ足の踵を少し上げて休めていました。

3日目 ザルツブルグ

2007-10-18 21:12:03 | Weblog
グラーツから4時間バスに乗り、通り過ぎるブドウ畑や、羊や牛の放牧など眺めながら到着しました。観光客がすさまじく沢山いて、まずそれにがっかり。現地のガイドさんが初めにミラベル庭園に案内してくれましたが、サウンド・オブ・ミュージックがやれこの階段で撮影されたとか、この上でドレミの歌を歌ったとか、私にはあまり興味がなかったので失望しましたが、ガイドさんにしたら、やはり話さなければならない事だったでしょう。この宮殿は大司教ヴォルフ・ディートリッヒが愛人サロメと子供達のために1606年に建てたもの。何と言う不謹慎な大司教でしょう。でもこの当時は大司教の勢力は非常なものだったそうです。1818年に火災で焼失し現在の形に修復され、現在は一部市長公邸です。
メインはやはりモーツァルトですね。オーストリアの白と赤の旗が建物に出ているのは、全て由緒ある建物の事だと学びました。

ミラベル庭園。背景に見える山の上の建物は、ホーエンザルツブルグ城壁。
字の上、四階がモーツァルトが生まれ住んだ家。台所だとか、彼が書いた楽譜。使ったバイオリン。髪の毛。色々展示してありました。四階まで登ったり、降りたり、大変だっただろうと足の痛い私は同情!

モーツァルトのお姉さんが住んだ家。モーツァルト・ハウスからすぐの所にありました。
指揮者、カラヤンが住んでいた家。

カラヤン宅のすぐ傍を流れているザルツァッハ川。
ザルツブルグ音楽祭が開かれる中心会場、祝祭劇場。
モーツァルトチョコレートで有名なお店。元祖だそうですが、銀色の紙に包まれたチョコは高級で、ここにしかないそうですよ。
私は金紙につつまれたのしか食べた事もないし、お土産にもらったこともないですが、買って食べた人は味は同じだと言っていました。
歩き疲れて入った、モーツァルトやカラヤンも入ったと言う伝統あるカッフェ、"トマセッリ"です。
美味しいコーヒーを飲んで一息つきました。
夜はミラベル宮殿でのピアノ演奏を聴きました。正面の白いピアノがベーゼンドルファーです。モーツァルトもここで演奏したそうです。天井が高すぎて音響はひどく悪かったです。

2日目 ウィーンからグラーツへ( 2 )

2007-10-17 20:11:45 | Weblog
オーストリアは日本の北海道程の大きさで、気候も北海道と似ているそうです。
全8州からなり、ウィーンはニーダーエスターライヒ州。今日行くグラーツはシュタイヤマルク州に属します。途中温泉で有名なバーデンを通りました。ここにはピアノのスタインウェイと並び称されるベーゼンドルファーの工場があり、全て手作りだそうです。ベートーベンもここを好み、滞在したこともあり、第9もここで構想がねられたそうです。グラーツの街に近づくにつれ、何とも言えない心地よい気分になって来ました。落ち着いた感じの家並みが続き、ブドウ畑が何処までも何処までも広がり、ゆったりと時が過ぎて行く感じです。街の中心に入っても、観光客も少なく、色々なお店が立ち並び、ぜひ次回は一人で滞在したいと思いました。
今回の旅行で一番気に入った街でした。始め、町全体が見下ろせる小高い山の上にある時計塔に、ケーブルカーで登りました。花々も綺麗だし、グラーツの町並みも素敵、面白いススキもありました。
時計の長針と短針が普通の時計と逆の変わった時計。






これはかぼちゃだそうです。面白い形ですね!


可愛い犬もいました。ピッピはどうしているかな?
甘栗やさん。新聞紙を筒にした中に入れてくれました。熱くてほかほかでとても美味しかった。
街のなかにあるルドルフが住んだことのある家の入り口。

ランチ。サラダとスープ。スープの中に入っているお団子みたいなのは、ジャガイモとメリケン粉で出来たもの。かるかんに似た舌触りでした。
ロゼの新ワイン(シュトルム)が物凄く美味しくて日本に持ち帰りたかったのですが、発酵途中で、この時期、現地でしか飲めないそうです。これを飲みに又来たいくらい!
メインはかの有名なウインナシュニツェルです。軟らかくて美味しい牛肉でした。
デザート。アプフェルシュトゥルーテル、シナモン風味の林檎を薄いパイ皮で包んで焼いたお菓子。普通は生クリームがたっぷり添えてありますが、幸か不幸かこれには載っていませんでした。