一瞬一瞬を大切に!

毎日を大切に楽しく過ごしたい

寂しいです

2011-11-26 11:32:38 | Weblog
19日の猛烈な風雨の中の御通夜、彼女がもっと生きたかったと叫んでいるような夜でした。でも翌日は晴れて爽やかな葬儀日和、彼女もふっ切れたのでしょうか。
一週間置いた遺体はやはり初めよりかなり変わっていました。
美人だった彼女の高い鼻筋をしっかりと目に焼き付けておきました。
先月までは憎まれ口やら悪口やら言いたい放題だった彼女。
でも亡くなってみるとそれさえ懐かしく思い出されます。
体調が悪くていらいらしていたのだなと、今では哀れでもっとホームに行ってあげればよかったと後悔しています。
死ぬ二日前、帰るときに手をしっかり握って「必ず帰って来るのよ!待っているからね!
頑張らなければ駄目よ!」と言った時は、高圧マスクをした頭でしっかりうなずいてくれたのに。
救急車さえ呼ばなければ、もっと生きられたのに!無念です。
遺骨は彼女が長らく暮らした隣の家に戻ってきています。
毎朝雨戸を開けて、暖かいお茶や、コーヒーを供えてあげています。
遺影に向かって、「嘉子ちゃん、苦しくないね、もう楽になったでしょう。」
話しかけると切なくて胸が一杯になります。
ピッピもおばちゃんの所へ連れて行くと、「ほら、嘉子おばちゃんよ。」と言っただけで舌なめずりをします。おやつをもらったのを覚えているのですね。
でも玄関の戸の所で、「ほらおばちゃんに、おやつのおねだりしなさい。」と言っても決して以前のように扉をかりかりしません。何となく本能的に存在しない事を察知しているようです。
ベスは相変わらず木の塀で爪とぎをしていますが。

彼女の息子も一日おきにはやって来てお線香をあげて行きます。
49日がお正月にかかるため、12月23日の祭日に小石川にあるお寺で納骨する事に決まりました。
それまで毎朝暖かい飲み物を供えてあげましょう。
残された私が出来る唯一の事ですもの。


今日のベス いつものようにお気に入りのこの場所で日向ぼっこです

亡くなりました

2011-11-15 11:13:05 | Weblog
作朝3時半頃彼女の息子から電話があり、脈が弱くなったからすぐ来るようにと病院から電話があったそうで、出来たら来てほしいと言う事。
とに角起きてピッピの散歩と餌とクスリ、ベスに餌を与えて、自分も軽く食べてからピッピを自転車で行き動物病院に預け、朝早くの電車で大宮まで駆けつけました。
一時間以上かかります。
着いた時はもう息をひきとった後でした。
昨日は娘が会いに行ってくれたのですが、よく眠っているようだったので手を握ってあげて暫くいたそうです。彼女は姪にあたる娘のことをとても可愛がってくれたので、最後にあえて義妹も嬉しかったでしょう。
息子が、母があんなに帰りたがっていた家に連れて帰りたいと言う事で戻ってきました。
通夜と葬儀を葬儀屋さんが電話で葬儀場にきいてくれたのですが、最近の寒暖の差の激しさで葬儀が一杯で近くの葬儀場は皆一週間待ちです。
通夜は19日、葬儀は20日に決まりました。
まだ早過ぎる死でしたが、死顔は穏やかであの息苦しかった呼吸も今はなく、ゆっくり寝入っている顔です。今にむくっと起きあがって何かいいそうです。
でもこんなに早く行ってしまうなんて。
隣の家で寝ていた頃が懐かしく思い出されます。
毎朝スイカを切って持って行ってあげたこと。喜んでくれてよかった。
甘いものが好きで、練りきりは一番のお気に入りでした。
若かった時の彼女との色々な葛藤も今となってはいい思い出です。
今は大好きだった母親との再会を手を取り合って喜んでいるだろうと思います。
今日午後葬儀場の霊安室に彼女を葬儀まで預かってもらうために家を後にします。
よく頑張ったね!
さようなら。
嘉子ちゃん!

疲れました

2011-11-13 16:55:22 | Weblog
義妹の息子に今日も来てほしいと言われたのですが、さすがに疲れてとても無理でした。娘が行ってくれました。
高圧マスクをつけてぐっすり眠っていたそうで、起こさず暫く手を握ってあげていたと先ほどメールがありました。
昨夜息子達が部屋にベッドを入れてもらって、交代で監視したようです。
いくら若くてもさぞ疲れたでしょうと思います。
今日はとに角帰宅してゆっくり休みなさいと言いました。
まだ先が長いでしょう。
いい方向にいってくれるといいのですが。

今日も暖かく私もつかれ切って久しぶりにぐっすり昼ねをしました。
でもまだ何だか疲れています。

ベスもピッピも元気です。
今朝ベスにご飯をあげようとしたら、例の鼻の両脇に黒いホクロのある猫ちゃん、最近メスを求めてゴロゴロ変な声でないているのですが、それがゴロゴロ言って塀伝いにやって来たら、何とベスが走って駆け寄ってこのポーズ。
初めて見ましたよ。
ピッピにこんなしぐさをした事など一度だってありません。
びっくりして、思わずパチリ。




義妹が

2011-11-12 19:19:23 | Weblog
突然危篤状態になって大宮にある自治医大病院に搬送されました。
最初に救急車で運ばれた病院で、彼女が胸が苦しいと言ったために人口呼吸の酸素量を増やしたそうです。夜は人は寝ているため呼吸量が少なくなりますが、健康な肺なら酸素とCO2も平均してうまくバランスをとれるのですが、彼女のように肺が4分の一しかない人はCO2を肺から出す事がうまくいかず、意識がなくなったそうなのです。
電話で呼び出された息子の嫁が救急車で再搬送したと電話があり、私も家からかけつけました。

二酸化炭素を外に出すために人工呼吸器が必要となり、
次の三つの方法から選択をせままれました。

① 通常の酸素投与(ただし、CO2が増加し、呼吸停止→死の可能性が高い)
② マスク型人工呼吸器管理(痰の問題もあり、酸素化の悪化は必発。本人の協力が得ら  れなければ、①又は③しかない。
③ 気管内チューブを使用した人工呼吸器管理、一時的に意識を落として管理する。改善  しても抜官は難しく、常に人工呼吸器をつけた状態となる可能性が高い。

結局息子が②を選択しました。
でも本人が最初の日は嫌がって物凄い力で引っ張り取ろうとするのです。
皆で変わりばんこに手を押さえつけたり、ベッドに手をくくりつけたり大変でした。
昨日も今日も急変したと電話があり、三日連続でかけつけ、私もさすがにくたくたです。
今日も今ちょっと前に帰宅したところです。
息子夫婦は今夜は徹夜でベッドの脇で見張り番です。
今夜の様子を見て今後の治療法を決めましょうと言う医師の提案です。
本人はもういいからマスクを取ってほしいと言っているのですが、息子の気持ちとしてはそれは出来ないでしょうし厳しい選択をせままれている状態です。







膝の注射へ

2011-11-08 18:10:04 | Weblog
右膝のオペを今年やりたかったのですが、義妹の事もあり不可能でした。
今は月に一回右膝の注射に病院へ行っています。
当日はお風呂は駄目です。
朝風呂をして行きます。夜決してシャワーも駄目ですし、もし入ったら大変な事になるのでちょっと恐怖感があります。それでお風呂の入り口に「風呂に入るな!」と張り紙をしておく事にしています。これでちょっと安心です。

義妹、彼女の息子に聞くと実際と違った事を言っているから信用するな、と言われているのですが、昨日お隣の奥さんに電話が来て、息も絶え絶えに苦しいのに誰も来てくれないと言ったそうで、それなら救急車でも呼んだらと言ったら、ホームには何も言わずに自分で呼んだらしいのです。今病院に入院中です。塩分を控えすぎて体調を崩したようなのです。ホームもこれでは面子がたたず困っているみたいです。
彼女昔からかなり我ままだったから、ボケが出てからは昔の性格がでるのでしょうか。
義母が元気な頃は私も随分悲しい思いをしました。
息子はもうあきれて放棄したいと昨夜12時頃電話が来ました。
彼女、なにせ血を重視していて、嫁や私には実に冷たいです。嫁など一生懸命やっているのに可哀そうな位、料理は作らない、寝てばかりいる、食べ歩きばかりしているとか悪口ばかり言っています。結局一番世話になるのに。

今日は割りと暖かかったですね。
ベスも一日このお気に入りの場所で過ごしていました。
これから段々寒くなって来るようなので、巣箱の上に布団袋のビニールも又一枚かけてあげて、今二枚かけてあります。
真冬になったらもう一枚かけて三枚かけてあげましょう。
それにホカロンも入れてあげなければね。




義妹

2011-11-02 19:11:04 | Weblog
帰りたい帰りたいの連発だった義妹。
珍しく今日は電話がありませんでした。
彼女の息子によると、ホームの職員に聞くと結構歩いて食堂に行って他の人達とお話しているそうです。
でも食事は一人で部屋で食べるのです。
中にやはりぼけた方がいて、そのおじいさんが食後お皿をペろぺろ舐めるのだそうです。
それが嫌で食堂では食事をしないのですって。
わかります。
彼女もまだそこまではぼけていないですもの。

朝起きて、彼女が居た裏の家の玄関を見ると、まだ居るみたいな気がします。
やはり寂しいです。
色々あったけど寂しです。
ピッピもまだおばちゃんいると思うらしく、リードロープを解いてあげると、おばちゃんの家の玄関に駆け寄って、扉をカリカリ手でかいておやつの催促をします。
ピッピも覚えているのですね。
でも何でいつものようにくれないのか不思議に思っているでしょう。
ついこの前までもらうのを楽しみにしていたのに。
ピッピもきっと寂しく思っていますよ。
奇跡が起きておばちゃん帰って来れたらいいのになあ。