一瞬一瞬を大切に!

毎日を大切に楽しく過ごしたい

ピッピとベス

2007-08-30 19:59:41 | Weblog
ベスはピッピの散歩の時間になると、何処からか出てきて一緒に散歩を楽しみます。今日は涼しかったので二人(?)とも元気です。
ベスは2日ほど前に口の中に何かできたのか、よだれが多く、餌を食べるとき変な噛み方をしていました。何か病気でしょうか。捕まえる事は出来ないので、獣医さんに状況を話して、粉薬をもらい、餌に混ぜて与えました。2分の1量位はなめてくれたでしょうか。今日は少し症状がいいようです


何ともくつろいでいるベス。体調もいいようです。よかったね!
早くおいでよピッピ!


ネットカフェ難民5400人

2007-08-28 20:18:57 | Weblog
新聞記事を読みました。住居がなく週の半分以上をネットカフェに泊まる人を言うそうです。20代と50代が多く、ついで30代の人達です。
理由は、職を失って家賃が払えないが1位だとか。日雇い、1ヶ月未満の日雇い派遣や、建築現場の日雇い等をしてその日暮らしをしているそうですが、部屋を借りる事が出来ない1番の理由は、敷金、礼金など1度に沢山のお金がいる為だそうです。しかもこれを2年毎に更新と称して2ヶ月分の家賃を払わなければならないのです。何で日本では家を借りるのに、礼金とか敷金を1度に沢山払わなければならないのでしょう。これは戦後すぐの住宅難時に出来た制度だとか聞きましたが。
その制度を未だにそのまま手付かずにしている政府も政府です。おかしい!
外国ではどうなのでしょう。イギリス人にこの件を以前聞いたことがありますが、彼女も部屋を借りるのに、あまりにも沢山お金が掛かったと憤慨して、自分の国ではこんな制度はないと言っていました。勿論この件でだけで解決するわけではないでしょうから、もっと真剣にこの問題に取り組んでもらいたいです。
日本政府は貸す側にばかり有利にしていませんか?
最も政治家の皆さんは立派なご自宅がおありですし、その上赤坂にある立派なアパートを超安く借りられますものね!
それにしても、安倍政権に楯突いていたのに、大臣にと乞われ、尻尾を振った新厚労大臣が、この件について記者から質問されて、「彼らは家が借りられないだけが原因じゃないからね」とあっさり言ってのけたのが気になりましたよ。

水泳へ

2007-08-27 19:27:09 | Weblog
毎週月曜日は水泳に行く日です。
久しぶりに準備体操から始めました。いつも途中から参加する事が多く、これでは駄目だと思っていました。やはり準備体操から始めると体の動きが違い、泳いだ後もあまり疲れを感じません。私は足痛があり、ひどいときは帰りに歩くのが辛く、自転車で来ればよかったと思ったりするのですが、準備体操をした今日は壮快で、足も軽く感じました。何でも始めからきちんとやらなければ駄目なのですね。
 所で、いつも仲間と楽しむランチをするビルが解体される事になり、行き所がなくなり、今日は仕方なく、おすし屋のサービスランチ、握り寿司にサラダ、味噌汁付きで950円を頂きました。ここはすぐに追い出されます。
まだ新しいビルなのに勿体無いと思うのですが、何で日本はこんなにすぐに建物を解体してしまうのでしょうか?
外国は古い建物ほど値打ちがあると言うではありませんか。
勿体無い! What a waste !


解体されるビルでいつも食べた懐かしいランチです。
これにお代わり自由のコーヒーがついて990円でした。
いつまで喋っていても店長さん達に嫌な顔をされないので嬉しかったです。

せみ

2007-08-26 18:54:57 | Weblog
夕方いつものように花の水遣りと、外の道の水撒きをしようとしてふと見ると、門のそばの塀にせみがいました。確り塀にしがみついて、全く逃げようともしません。もう勤めを終えて死を待っているのでしょうか?
何と言う種類のせみかわかりませんが、じっとして動きません。昔、子供達が小さい時に、オーシンツク(ツクツクぼうし)が鳴き始めると、夏の終わりで、宿題をしなければと、あせるんだと言っていました。つい昨日のように思いますが、あれから随分時が経っているのですね。せみさん暑い夏をご苦労様でした。

 

くにちゃんのお母さん

2007-08-23 19:27:08 | Weblog
 前にもお話しましたが、戦争中長野県のある都市に疎開していましたが、間借りしていた農家から駅に近い場所に引っ越して、戦後4年間そこにいました。
父は東京に仕事があり時々帰って来ました。暫くして、姉2人と兄は学校の問題もあり早くに東京に戻り、私と母、それに弟の3人で、姉兄がいなくなった、かなり広い家に残りました。テレビもない時代で、ラジオだけが唯一の娯楽でした。周りは田んぼばかりで、お隣と、裏に数軒家があるだけの寂しいところでした。ですから夜になると母は針仕事をしながら、私とラジオで落語とか、講談を聞いたものです。
 昼間学校から帰ると、近所の子供達と、メンコ、おはじき、こま回し、縄跳び、ゴムとび等して暗くなるまで遊びました。勉強なんてしたことなど殆ど記憶にありません。
遊び友達の中に、くにちゃんと言う少年がいました。ちゃんとした名前は覚えていませんが、私より歳下だったと思います。くにちゃんの家は私の家からちょっと離れた所にありましたが、今思うとかなり立派なお屋敷で、庭も広く今で言う資産家でした。よく一緒に遊び、家にも上がらせてもらいゲームをしたり、かくれんぼをしたりして遊びました。くにちゃんのお母さんは今思うと、小暮実千代(昔の女優さん)に似たかなりの美人でしたが、体が弱く、よく臥せっていました。それでも遊んでいる私達にいつもにこにこして、美味しいおやつを持って来て下さいました。
 それからしばらくして、くにちゃんのお母さんは病が重くなり入院したと聞きました。
ある時、くにちゃんの家の裏の道を通った時に、裏庭に面した部屋で布団の上に起き上がって、窓越しに道を通る人をじっと見ているくにちゃんのお母さんを見ました。
私はちょっと恥ずかしくて、にこっと笑ってその場を通り過ぎましたが、それがくにちゃんのお母さんを見た最後でした。今思うと手でも振ってあげればよかったのにと思うのですが、まだ子供だったのですね。
お葬式から戻った母にこの話をしたら、あんな立派なお家の奥様なのに、お座敷にでも寝かせてあげればよかったのに、と言っていましたが、私はその時も、今も思うのですが、くにちゃんのお母さんは、子供達の遊ぶ声や姿を見たかったのだと。だから、わざわざ道行く人が見える裏庭に面した部屋にいたのだと。
まだ30歳ちょっと過ぎだったと思います。本当に短い生涯でした。結核だったそうです。どんなにか、一人息子のくにちゃんの将来を、見届けたいと思った事でしょう。無念だったと思います。
 それからまもなくして、くにちゃんの家に遊びに行った時に、新しいくにちゃんのお母さんが、おやつを持ってきてくれました。とても背が高く、若くて、綺麗な、優しいお母さんだなあと、子供の私でも思いました。くにちゃんが、死んだお母さんや、新しいお母さんの事をどう思っていたのかなど、聞きもしなければ、聞くと言う事さえ私の頭にはなかったのですが、今思うと、くにちゃんはどんな気持ちだったのかと考えてしまいます。
その後くにちゃんは何処かに引越しして行ってしまい、それ以来会っていません。
 
 布団の上に起き上がって、じっと外の道を窓越しに見ていたくにちゃんのお母さんの姿を今でも時々思い出します。

ジョー . オドンネルさんの死

2007-08-21 20:02:20 | Weblog

米従軍カメラマンとして原爆投下後の広島、長崎に入り、被爆した市内の惨状を撮影した方です。ご自身も残留放射能による二次被爆で健康被害に苦しみながら、核兵器の悲惨さを訴え続けた方でした。8月10日にテネシー州で亡くなったとの新聞記事を見ました。85歳でいらしたそうです。
彼が撮影した、「亡くなった弟をおぶって立ち尽くす少年」の写真はいつ見ても、胸が一杯になり、涙ぐんでしまう写真です。この写真の右側は、確か死者を火葬している光景だったと思います。もう死んでいる弟をおぶい紐でしっかりおんぶして、裸足の両足を揃え、「きおつけ」の姿勢で死者を見送っています。親御さんを見送っていたのかも知れません。まだ小学校低学年位でしょうか。何てしっかりした姿でしょうか。きっと泣き出したい程の悲しみをぐっと堪え、しかも弟はもうすでに亡くなっているのに、その悲しみに必死に絶えているのでしょう。何と健気な少年でしょうか。この写真に見覚えのある人を探しているとの記事がありましたが、もし元気でいたらどんなにいいでしょう。この写真を世界中の人々に見てもらって、原爆が如何に悲惨なものであるか、戦争が一般民衆にとって如何に悲しい出来事であるかを考えてもらいたいです。

松ノ木

2007-08-19 19:23:54 | Weblog

皆さんは木を見上げる事がおありですか?
私は木を見るのが大好きです。特に背の高い高い木を。
私達よりずっと前から、長い間、周りの色々な出来事を見ていて、何も言わずにじっと見守っていてくれるのだと私は思い、悲しい事やつらい事があった時は、心の中で木に話しかけます。
この松ノ木は、もう亡くなった姑がお嫁に来た時にすでにあったそうですから、
100年程になるのでしょうか。一度枯れかかった事がありましたが、植木屋さんからお酒を根元にやるといいと聞いて、一升瓶を買ってきて根元に撒いてやりました。それ以来元気になって私を見守ってくれています。冬の風が強い夜、お風呂に入っているとザーと枝をゆらす音がします。そう言う時は、深い深い山の中にに迷い込んだような錯覚におちいります。そして何か私に話しかけてくれているような気がするのです。
この松の木は、私の悲しい時や、つらい時をずっと見守り、慰め勇気付けてくれました。
毎日、一年中、雨が降る時以外は朝晩バケツ一杯の水を根元にあげます。

 いつの日か、私がいなくなる日まではこの松の木を守ってあげようと思います。

夏の夕暮れ

2007-08-18 16:31:51 | Weblog
夕空と棕櫚。私が結婚した時はまだおちびさんだったのに、何時の間にかこんなに高く伸びてしまい、切るべきか、切らざるべきか、ハムレットの心境でした。でも私をずっと見守っていてくれたのですもの、私がいなくなるまでは、このままでいて下さいね。
夕暮れのテーブルの上の花壇。


猛暑で野良ちゃん達は

2007-08-16 20:15:15 | Weblog
連日の暑さでこの二日間全く来なかったベスが今朝来てくれました。嬉しかった!何も食べていなかったのか、ニャーニャー鳴いてご飯をおねだりしました。カリカリと鶏のささ身を茹でたのを細かく刻んであげました。必死に食べるベスちゃんを見て、嬉しいやら安心したのか、思わず涙が出てしまいました。
本当に暑くて、野良ちゃん達も必死に少しでも涼しい所を探してこの暑さをしのいでいるのでしょう。後少しでいくらか涼しくなるようですよ!頑張って野良ちゃん達!