函館に来た。そういえば高田屋嘉兵衛は函館に縁があったような気がしたので、少し街中を調べるとたくさんの史跡がある。何と嘉兵衛の銅像が町の一等地に建っているではないか。
司馬遼太郎「菜の花の沖」は20年ほど前に読んだ実話に基づいた長編小説だ。司馬遼太郎は綿密な文献と現地の調査を行い、高田屋嘉兵衛の一代記をまとめている。嘉兵衛は北前船を組織し交易で財をなし、江戸後期から幕末にかけて蝦夷地開発の先駆けとなった凄い人物だ。もう一度読み返したいが文庫本はどこかに行ってしまった。
高田屋嘉兵衛は淡路島の都志の生まれだ。淡路島といえば私と同郷になる。正確にいうと私が生まれたのは淡路島の富島という町で、富島と都志は同じ兵庫県津名郡であったものが、現在は富島が淡路市に、都志が洲本市に合併されたようだ。10kmほど離れたところが嘉兵衛の出身地、都志だ。
私が「菜の花の沖」を読んだころ、まだ息子が小さかったころで、正月には横浜から両親が住んでいた神戸に里帰りして、正月の初詣には家族一同で車に乗って明石大橋を通り、日本誕生の神話で有名な淡路島の伊弉諾(イザナギ)神宮に行った。神宮には伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)が祭られ、2人が結婚し最初にできたしずくが淡路島だと子供のころ神話を教えられた記憶がある。
伊弉諾神宮からそれほど遠くない距離に高田屋嘉兵衛の記念館、高田顕彰館があり、思いもかけず立ち寄った。嘉兵衛を知るにつれてこんなすごい人物が近くにいたのかと感動した。淡路には高田の姓の人も多く、もう何十年も会っていない幼少のころ一緒に遊びころげた親友も高田君でした。
さて今回は函館にある高田嘉兵衛資料館を訪ねたが、冬期間は2月28日まで閉館との看板があった。そこで私は残念ながら雪の中に立ちすくんだという次第です。ただ高田屋嘉兵衛の銅像は函館山の麓から、背筋を伸ばして威厳を持って港を望んでいた。
まだ少しは函館や北海道に引き寄せられる予感がした。