東西圧縮回流記

仙台青春風の旅 ブーメランのように 

阪神淡路大震災 19年目

2014-01-17 | 淡路・神戸・明石・京都

神戸の実家のほうで地震があったようだが電話が通じなかった。
いつものことで大したことがないと思った。

いつもの通勤電車に乗った。
山手線に乗リ変えたとき、出入口ドアのテレビでは神戸で火災があり黒煙が昇っているのが見えた。
そのころは東池袋のNEDOに出向していた。
サンシャインビルに到着し1階の公衆電話から神戸へやっと電話が通じた。

電話口の向こうで、寝ている布団の目の前をタンスが1回転して飛んで行った、と親父が何事もなかったような口調で話した。
両親は無事だった。

1階から32階だったか、ビルの上の職場に戻ると、神戸の街が黒煙で覆われ、火の手が上がっているのを延々とテレビが中継していた。

あれから19年が経過した。

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