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東西圧縮回流記

仙台青春風の旅 ブーメランのように 

マレーシア北部高原 避暑地と農産物

2016-08-28 | Weblog
マレーシア北部の通称キャメロンハイランドは標高1500m程度で日本でいえば上高地と同じ標高だ。朝夕は涼しく寒いくらいです。

この地はイギリス人が紅茶用のお茶の栽培のために開発したそうだ。彼らの避暑地としても重宝された。

朝市に立ち寄ったがサツマイモ、大根、キャベツも細くて小さい。イチゴも一昔前の品種のようだ。まだまだ改良の余地がありそうだ。

マレーシアのこの地の農家はイチゴ栽培で景気が良く、連れ立って冬は北海道のスキー場へレジャーに行くのだそうだ。儲かっている地域がリードして世の中はどんどん変わっていきますね。







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殿、利息でござる! 記録は残る!

2016-08-21 | Weblog
仙台藩、吉岡宿は宮城県黒川郡大和町吉岡にある。

この映画の原作は磯田道史氏の「無私の日本人--穀田屋十三郎」。
美談にするな、控えめにしろというのが言い伝えだった。何年か前に地元の方が磯田氏に連絡したのがきっかけだ。
当時の僧侶、栄州瑞芝が國恩記を残した。克明な記録が残っていたことで実話が表に出た。

宿場の伝馬制度が物語の発端でそれを跳ね返すのが金融である。
羽生結弦さんが伊達藩領主で特別出演したのも見どころ、御愛嬌!
それにしても千両の貸付で百両の利息はいいね。仙台藩がきっちり返済するところも信頼関係があったということだ。

さて、昔は宿場の雇用維持が主題だが、現在の流通構造ではかつての宿場町は維持できない。懐古に徹するか、情報社会に合わせるか? これは全国各地の経済と生活基盤の維持の問題に帰着する。
アイディアを出して前進するしかないでしょう。



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おがち 雄勝 小野小町

2016-08-08 | Weblog
小野小町は絶世の美女の誉れが高く、出生地は各地が名乗りを上げている。
秋田湯沢の雄勝は小野小町出生地として有名です。
美女とは単に見映えが良いだけでなく、機知に富み、いとおかしく、落ちそうでなびかず、同じ時を忘れて過ごせるひとなのでしょう。そういうひとに私はなりたい?

花の色はうつりにけりな いたずらに
わが身世にふる ながめせしまに




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仙台七夕祭り

2016-08-05 | Weblog
ようこそ仙台へ!
今日は前夜祭の花火
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太閤秀吉の指月伏見城

2016-07-23 | Weblog
先日の散歩 やっと指月伏見城の遺跡にたどり着いた。

指月城(しげつじょう)遺跡が発見され2015年に発掘された。400年経過した昨年のことだ。やっと太閤秀吉の指月城が実在することを確認したそうだ。その発掘も終わりライオンズマンションが建設中である。詳細は知らないが遺跡がマンションになるとは釈然としないところがある。 

1.指月伏見城
1592年 築城開始 豊臣秀吉(1537年生 55歳)
1594年 秀吉入城(57歳)
1596年 完成 閏7月13日 慶長伏見地震により崩壊(59歳)

2.木幡山伏見城
1597年 指月伏見城の北東1km 新しく木幡山伏見城が完成(60歳)
1598年 8月18日 秀吉没(61歳)
1600年 関ケ原合戦 合戦前に木幡山伏見城焼失
1602年 家康が再建
1619年 廃城

3.現在の伏見城
1964年 遊園地「伏見桃山城キャッスルランド」5重6階大天守と3重4階小天守など鉄筋コンクリート構造の模擬天守を作る(建設費当時6億円)

(Wikipediaほか参照)








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Kyoto de 散歩

2016-07-19 | Weblog
先日は京都にて想い出旅行
センチメンタルジャーニー

まずは伏見桃山の伏見城
続いて宇治の平等院
あとは祇園祭の宵山

黄檗付近から京大の研究所の建物群が見えたよ
結構な距離で万歩計は 3万5000歩

カミサンが疲れたと申しておりました。




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下天の夢 タカラヅカ 信長

2016-07-16 | Weblog
昨日の散歩 宝塚大劇場

タカラヅカは華やかでいいですね!
出だしは信長の敦盛の舞
最後は信玄との合戦に出陣する前で幕となる
作演出は大野拓史氏
ストーリーは常識からぶっ飛んでいるがこれもまた良し
基本的にはミュージカル
訓練されたモダンな踊りと歌唱力が素晴らしい
ファンの熱気が凄い
男性比率は20分の1くらいで気が引けるが...
千秋楽は今月18日
あとは東京の宝塚劇場に移る

メインテーマは自分の中に龍が存在する
小事にこだわらず前に進むのみ
付いてこれる者は我に続け!



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アレキサンダー大王

2016-07-12 | Weblog
先日の散歩
古代ギリシャ展が国立博物館で開催されている。

アレキサンダー大王は英語読みであり、正式名称はアレクサンドロス3世
年譜を追ってみると(カッコ内年齢は筆者が概略推定)

BC(紀元前)356年 マケドニアで誕生
BC 338年(18歳)初陣勝利
BC 336年(20歳)王位継承 即位
BC 333年(23歳)ペルシャ軍に勝利
BC 332年(24歳)エジプト王となる
BC 331年(25歳)ペルシャ平定
BC 327年(29歳)インド遠征
BC 323年(33歳) 没

ギリシャからペルシャに到る大帝国を30歳までの若さで築き上げた。
なんという人生だろう。
自分の人生が如何に小さなものであったか恥じ入る限りだ。
もちろん古代中国など世界の歴史上には若き英雄がいた。
アレクサンドロス3世に勝る人などそんなにいるものでもない。
アレキサンダー大王と後世に名が残っているが、若干30歳で大仕事を成した。

知力、武力と戦略を合わせ持つ若者は世の中を一変させる!





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天正遣欧少年使節 伊東マンショ

2016-07-04 | Weblog
今日の散歩
天正遣欧少年使節
伊東マンショの肖像画が一昨年イタリアで発見され、東京国立博物館で公開している。

1582年長崎出港が13歳のとき
1585年 4人の少年がローマ教皇に謁見
1587年 秀吉のバテレン追放令
1590年 帰国

1600年 関ケ原合戦
支倉常長がローマ教皇に謁見したのが1615年で大阪夏の陣の年
帰国が1620年
時系列で追ってみましょう。




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支倉常長は伊達政宗の隠し球?

2016-06-15 | Weblog
午前中に少し時間があったので、支倉常長メモリアルパークまで自転車で行った。

常長はローマ法皇にも謁見したようだ。徳川と諍いがあれば、伊達政宗はイスパニアと組んで徳川と覇権争いをすることも選択肢にあったようだ。

その後、徳川の世となりキリシタン禁制が布かれ、常長は大郷村に蟄居し、84歳で世を去った。晩年は退屈だっただろう。

さてボクの午後は皆さんとご一緒にご挨拶と、その後は暫しの清談。





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