すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

いざ鎌倉は閑散期に

2018年05月21日 | 雑記帳
 鎌倉は機会がなくて今まで訪れたことがなかった。鎌倉、湘南などという土地は、東北の山間部に住む者にとっては「東京」以上に縁遠い響きを感じる。それはもちろん物理的な距離ではなく、心理的なことだ。具体的に何と問われれば言葉に窮するが、見える景色の違いやそこで暮らす人の佇まいとでも言おうか。


 たった一日だけの観光だけれども、普通の海辺の街とはどこか異質な感じがした。観光客が多いわりに淡々としている空気に包まれている。鶴岡八幡宮へ向かう路上に「一の鳥居」「二の鳥居」とあることもそうだし、江ノ電の通る独特な雰囲気も街に馴染んでいる。質素とは一概に言えないが、落ち着きが感じられた。



 ドラマや映画の舞台によく上げられる街だ。最近で「DESTINY 鎌倉ものがたり」だが、それより「海街diary」の方が良かったなあ。それ以上に思い入れがあるのはTVドラマ「最後から二番目の恋」。ねらったわけではないが、泊まった宿が「極楽寺駅」に近く、ミーハー的に早朝散歩をしたら、少し中井貴一気分だ(笑)。


 ガイドさんから、GWはあまりに観光客が押し寄せて渋滞するし、江ノ電は動かなくなるほどと聞いた。こうした文化的な箇所への観光は混雑だと有難みが薄れるし、「場の持つ情緒」を受け止められない気がする。この地には歴史的な事件や悲惨な物語が語り継がれているが、浸ってみたいと思えば閑散期がお薦めだ。


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 鎌倉皐月散歩~壱

 鎌倉皐月散歩~弐

 鎌倉皐月散歩~参


何度も仕切って進化する

2018年05月20日 | 読書
 著者は、相撲好きには変わらないがライターではなく、いわゆる「タニマチ」と称される存在のようだ。出版社の書籍紹介に「タニマチが描く力士たちのサイドストーリー」とある。現役力士、引退した力士、そして行司などの様々なエピソードが興味深い。私たちがふだん見聞きする情報は、ほんの一部と痛感する。

2018読了53
 『土俵の周辺』(岩崎友太郎 白水社)


 目次に「六 ヒタチきめない 豪風旭」とあった。それぞれが読みきりのようだし、そこからページを開くこととした。豪風は、先場所十両へ陥落し、引退も考えられた危機があったわけだが、この復帰がいかに凄いかを今さらながらに知る文章に出会った。平成26年秋、最年長の三役昇進を果たした時のことである。


 祝宴であまり喜ぶ表情を見せない豪風をいぶかる周囲に対して、こう答えた。「よくヒタチきめてるヤツがいますけど、そんなことをしている場合じゃないスよ。この年になっても進化を続けなければやっていけない世界ですから」…「ヒタチきめる」とは調子にのるという隠語。維持ではなく進化という言葉が重い。


 これは相撲界入りを99%の人に反対され、現実の厳しさを「研究」や「理論」で克服してきた力士だけが持つ重みを感ずる。だからこそ、現役はわずか二人しか取り上げられていない、この著に載る価値があった。もう一人は隠岐の海。これは隠岐という風土を背負った物語だ。実はこの力士も秋田の血を引いていた。


 冒頭の「譲り団扇 木村庄之助」も読み応えがあった。行司も最近の不祥事で話題になったが、実にシビアな世界だ。また、現役を退き別の道を歩むことになった者の厳しさも描かれた。神事であり、競技である相撲に生きる人々はやはり「特殊」だ。「普通」の世間とまみれて生きていくために、何度も仕切っている。

斑もしくは縞模様の彼女

2018年05月19日 | 読書
 あれは2005年、プロ野球セ・パ交流戦がスタートした年である。「楽天vs巨人」カードのチケットを手に入れることが出来て、娘たちと一緒にスタジアムへ向かった。球場入口まで来た時、どこか落ち着きない動作だが、光るような笑顔を見せて歩き回っている女性が目に入った。「あっ、ウドウユミコ」と心で叫んだ。


2018読了52
 『ウドウロク』(有働由美子 新潮文庫)



 当時はサンデースポーツ担当だったか。NHKアナウンサーの中ではひときわ異彩を放っていた。というより、もう既に紅白の司会をしていたのだから認知度は抜群だったのだろう。その後、NY勤務を経て帰国してからもやはりウドウはウドウだった。「あさイチ」は時折しか観なかったが、存在感の濃さが際立った。


 NHK退社のタイミングでこのエッセイ集が文庫化された。十年近い年月のあれこれが記されているが、面白く読めた。「はじめに」にあるように「男性が読んだら中年女が怖くなり、順風満帆に幸せになった女性が読めば、軽蔑する」文章と言えるかもしれない。しかし、それはまさしく彼女の個性発揮そのものだ。


 章立てされている「黒ウドウ」と「白ウドウ」。これが実に象徴的だ。いわゆるブラック的な物言いと、逆に弱気なモードとが対照的に出現しているようだ。画面に映っている時も、そうした振れ幅の大きさは感じられるし、それが魅力でもある。そして黒と白とは、ある意味で「メタ認知と本音」に通じていないか。


 結婚式司会についての文章に、彼女の本質を見る。様々なカップルの司会を全身全霊込めて準備、没頭する姿には純粋さを感じつつ、「自分の結婚式」でもピンマイクをつけて「自分で司会したい」と本気で思う彼女に、黒と白の「中間色」などという半端さは似合わない。斑もしくは縞模様のイメージの彼女が麗しい。

その男は、静かに去った

2018年05月18日 | 雑記帳
 実話である。確か大学4年だった。ゴールデンウィークで帰省した折に、母親と二人で田起こし前の整備(石や異物等を除く作業)に出かけた。今はもう無いその田圃は、町の体育館の裏手に位置していた。ちょうどその日は、午後からその体育館内で有名な歌手たちが来てコンサートが行われることになっていた。


 昼近くになった頃だった。腰をかがめて作業していたら、カーン、カーンと何かを打つような音がする。何だろうとその方向に目を向けてみた。当時、体育館横の駐車場になっていた所は、私が居た田圃から道路を挟んで一段高い場所にあった。そこで一人の細身の男が、ゴルフクラブのようなものを振り回していた。


 どうやら小石をゴルフボールに見立てて、打ちっぱなしの練習をしているようだ。少し向きが違うので、家の田圃にはその石が入ってくることは無さそうだが、他家にとっては問題だろう。「おまえ、何してるんだ!」と口を開こうとしたとき、男がふとこちらに気づいたようだ。遠目に見えたその顔に見覚えがあった。


 ラフなシャツを着て、下半身はぴたっとフィットしたジーンズ。実物は画面で見るよりえらくスマ―トだなあと感じつつ、ここは農村に生きる者の意地を見せねばと、キッと睨みつけてやった。眼差しに同い年でありながらこの落差は何だ!という悲哀が…有るやなしや。数秒後、その男西城秀樹は静かにそこを去った。


 勝手に名づけた「21歳の対決」。職に就いた頃、中学生に話して大ウケした。今でもあの話は…と言われることがある。あの場所を去った男は、その後も順調なスター街道を歩み、病に倒れても復帰し、道を全うし、今本当に静かに姿を消してしまった。一瞬だけの一方的な邂逅であったが懐かしく思い出される。合掌。

40年目の「成田屋」顛末

2018年05月17日 | 雑記帳
 教職員の中央研修に参加したことがある。期間約4週も最後に近づく頃、センター外の研修が催された。なんと、歌舞伎見学である。確かこうした内容は翌年から廃止になったはず…(時代の流れを感じる一コマ)。歌舞伎は初めてではなかったが、衝撃を受けたのはその時である。あの坂東玉三郎の花道登場場面だった。


 上体のブレのなさに驚愕した。それは舞台上での踊りでも揺らがなかった。歌舞伎に限らず「生」の「本物」の良さを体感することは、本当に素晴らしい時間になることを改めて感じた。そう言えば歌舞伎初観劇は、新任校での研修旅行。旅行社にかなりいい席を用意してもらった。40年前だ!今でも目に浮かぶ。


 花道で見得を切る市川海老蔵(12代目団十郎)を間近で見て、ほおうっと口をぽかんと開けていたことだろう。全く縁がなかった(というより遠すぎて想像もできなかった)世界を垣間見たのだから。縁遠さはしばらく続いたが上に書いた「衝撃」もあり、十数年前から何度か足を運ぶようになった。少しずつ理解も進んだ。


 今回久しぶりに運よくいい席を手に入れることができた。花道近くの前方席。役者を間近で見られる絶好のポジションである。今月は「團菊祭」となっていて、市川家、尾上家が中心となった舞台。午前の部は現市川海老蔵が一人五役を務める通し狂言がメインである。多彩な役どころを見事に演じ、さすがと思わされた。


 中々できない歌舞伎での掛け声…「○○屋!」というアレである。何度か聞いた経験から実は大声ではなく、さりげなく叫ぶ感じが粋と言われるようだ。チャンスがあればと心秘かに…。しかし、今回見事に(笑)周囲の拍手に紛れさせ「成田屋!」と海老蔵に掛けて念願達成。されど、通常一階席はご法度と知る田舎者(泣)

その「日記」には訳がある

2018年05月16日 | 雑記帳
 先日立ち寄った文房具店で、ふと目に入ったのが「スキマ日記」という小さな体裁のもの。手にとってみたら形式はいわゆる自由日記と変わらず、スペースが短めになっているだけだった。思いついたときに、軽く書き留める感じなのか。それから数日後、東京の大きな書店に入って文房具ウォッチングをしていたら…。



 ずいぶんと「〇〇日記」という類があるものですな。もちろん「10年日記」などはロングセラーで同系統も多く「去年の自分に出会える日記」などとコピーも洒落ている。そうした連用日記とは別に、目的達成型の「ダイエット日記」、書く感情を指定した「しあわせ日記」、はてには時間帯指定の「おやすみ日記」など…


 単に縦罫線にしただけの「縦書き日記」、勝手気ままに書くことを推奨しているような「気まぐれ日記」等々。またその横のコーナーには「ノート」と銘打って、「からだを大事にするノート」「人のおつき合いを大事にするノート」「かしこくお金を使うノート」…まあ、持てば日々の生活に劇的変化の予感が…しないか。


 文房具好きには見飽きることはないが、よくもまあこれだけの商品開発をするものだと感心してしまう。昔だったら、普通の日記帳や大学ノートで済んでいたものを、こうした型や形式を示し一種の自己啓発を促すことで購買意欲をそそらせるということか。つまり、スペースではなくスタイルを売り物にしている。


 そして一面では「手書き」活用とも関わる。もはやキーボードに留まらず、予測変換の文章作成が中心になり、漠然とした不安をしばしば感じる。老化防止が気になるお年頃でもあり、意識せねばと行動に移すことにする。まずは手始めに百均で万年筆を買い、新しいノートを開く。…あ、書くことが思い浮かばない。

アスタリスクが拾うもの

2018年05月15日 | 読書
 自分ばかりではないと思うが、キーボード上の「」の正式名を知らなかった。なんとなく「星」と呼んでいた気はする。調べてみたら「アスタリスク(アステリスク)」。結局「星印」という意味らしいが、統一はされていない。表計算では「×」の代わりに使われる。この書名にある*印は、そういうことなのかな。

2018読了51
 『小さな男*静かな声』(吉田篤弘  マガジンハウス)


 小さな男静かな声(を持つ女性)の毎日が、人称を織り交ぜた形で交互に書かれている。男はデパートの寝具売り場に勤め「ロンリー・ハーツ読書倶楽部」に通う。女はラジオ番組のパーソナリティで、その職を周囲に気づかれないように暮らしている。「小さな」と「静かな」という自身の特性に固執している二人だ。


 結局、最後まで二人は直接関わりはしないが、ある知り合いを介して、お互いを知らないままに深いところでつながり合う。いわば、その過程を描いた物語だ。人はどんなに消極的な性格だったとしても、何かしら表現をしたいものだし、心がそう捉える材との出会いを求め、きっかけを常に探しているのではないか。


 小さな男が反応したのは「自転車の遠乗り」だった。深夜の放送で「静かな声」が語るその響きに反応し、今までとは違う変化をみせる。静かな声を支えたのは「真っ赤な手帳」だ。派手さを好まない彼女があえてそれを選び、放送で語る「材」を書き込む。自分が語った自転車の話が廻り回って、彼女に戻ってきた。


 洒脱な文章が全編に散りばめられていて、楽しい小説だった。事象や言葉に対しての視線が独特で、はっとさせられる。静かな声の女性が、数少ない友人と手帳についてあれこと語り合った時、メモが役立っていると感じながらこんなふうに独白させたことに、作家の価値観や現状認識があり、また一つ揺さぶられた。

 「結局、いちばん残しておきたいものはいつでもこうしてこぼれ落ちてゆく。人の記憶なんてそんなものだ。赤い手帳を買って、それがよく分かった。代わりに、どうでもいいことばかりが克明に記録されてゆく。

結局「あまのじゃく」が結論か

2018年05月12日 | 雑記帳
 雑誌を読んでいたら、「安全地帯」という語が出てきた。その文章にあまり集中できなかったのだろうか、ぽっと「なぜ『安全地帯』なんてバンド名にしたんだろう」と思い浮かんできた。あの玉置浩二がだよ…。まあ当時は安全だったのかな、それでもあまりに面白みに欠けないか。何か意味合いがあったんだろうか。


 と、自分が学生時代に所属したバンド名を思い起こせば、恥ずかしながら(笑)「ブラディマリー」「チョコレートパパ」「ウィンクル」と、結局何かのパクリかパロディのようで、本当に素人っぽい。その点では「安全地帯」にセンスを感じる。それにしても変わったバンド名はあるものだ。→こちらのサイトが笑える。


 ほとんどが、清潔感や快活路線から外れていることをアピールしている。それがロックだろ!と思っているに違いない。メジャーなところでも「SEKAI NO OWARI」「ゲスの極み乙女。」などあることだし。ここは逆手にとる方が怖い気もするが…例えば「規則そんちょう」「YUZURIAI」「常時微笑集団」などはどうか。


 道徳の価値や徳目ではあるまいしと自嘲してみたら、急に「安全地帯」の意味が深く思えてきた。確か…と辞書を引くと、やはり。安全地帯とは「路面電車などの乗降客の危険を防ぐために~~」とあるではないか。ああ、あれと田舎者でもイメージできた。危険を防ぐために「」状に作ってある部分を指している。


 「そこ」からは通りを行き交う人や車を冷静に見つめられるし、そこに立てば安心感はある…なかなか洒落ているではないか。ここでWikiを見てみたら、どうやら「」の形状に似ていたことが直接の訳らしい。「危険地帯」も候補に上ったが、平凡だからと不採用。なんだ、結局「あまのじゃく」がロックという結論か。

「矢」ではなく「砂」の時代

2018年05月11日 | 雑記帳
 朝ドラ『半分、青い。』で、永遠のアイドル(笑)の一人である原田知世が、武田鉄矢(金八先生)のモノマネをする箇所が数回あった。なんとなく観ているこちらが恥ずかしくなる感覚になってしまったのは私だけか。それはともかく、その真似が一つの時代性を表わす仕草でもあることは確かだと再認識させられた。


 『金八先生』の後に『刑事物語』等の映画やドラマ出演、そして司会等もこなし、さらに何代目かの『水戸黄門』役をこなす武田鉄矢。野暮ったさを持ちながらも真っ当なことを言う人柄のように、視聴者の多くは感じているのではないか。そんなイメージに対してライター武田砂鉄(氏名が一字違い!)が噛みついた。

 cakesの連載に次のように書く。

 武田鉄矢という、「自分はいつだって規範になりうる」と信じて止まない話者がいるが、山口達也の事案を受けて、「(TOKIOに)すこし濁ったイメージがあるともうちょっとよかったのかもしれないですけど」「あまりにもみんな、清潔なものを求めすぎている」と苦言を呈していた。自分は視野が広い、と信じ込んでいるのだろう。


 直接画面を見てはいないが、いかにも言いそうだし、あの口調が聞こえてきそうだ。そして、確かにソウダヨナと肯きそうになることも認める。自分も含めた中高年の多くは同意する物言いだろう。もちろん、どういう場で発言するかは重要だが、それ以上にその程度の規範意識が覆っていることを認めねばならない。


 私たちは「あまり細かいことを気にするな」という声のなかにある、心底を疑ってみることを課すべきだろう。他者が介在している出来事において通用すると考えてはいけない。大物政治家も最近の事案で似たようなことを言うが、まさしく強者の論理ではないか。それは、確実に武田鉄矢の言辞につながっている。


 現状は「武田鉄矢的な規範がまだ機能してしまう社会」なのだ。それが全く「悪」だったとは考えにくいが、育つ芽を摘んできたことも確かだ。のように脇目もふらず真っすぐに向かう時代ではなく、のように細かくもろい足元に気を配り一歩ずつ進む時代であることを、「鉄矢」を批判した「砂鉄」が教えてくれた。

3Kに支えられてきた意義

2018年05月10日 | 雑記帳
 仕事の3Kと言えば、いわゆるブルーカラーの「きつい・汚い・危険」。しかし最近では「新3K」として「きつい・帰れない・給料が安い」が、様々な職種に当てはまるようで時々見かける表現となった。学校現場にも、かつて3Kがあり、わが師はそれを「学校曖昧3K」と称していた。「勘・経験・記憶」である。


 それは昭和50年代に職に就いた者の多くが経験したことだろう。典型的なのは職員会議の場。紫煙がたなびく!その一室で(実は私も吸っていた)提案文書もない話し合いが延々と続くことがあった。「あの時はこうしていた」「それは誰々がやることだ」「あっちの方がよかったはずだ」…数年はそんな感じが続いた。


 と、どうでもいい昔話を思いしたのには訳がある。地域にある地蔵尊の祭典当番になり、様々な段取りを組もうとすると、どうしてもこの「勘・経験・記憶」に頼る方々と向き合うことになる。今の土地に引っ越して約30年。当番も3回目で繰り返しているから承知しているとはいえ、壁のように感じてしまう時がある。


 家に帰って「なんだか昔の職場と似ている」としばし家人と笑いあった。しかし、よく考えてみるとそれは明らかに違う。祭事と生業を一緒にしてはいけない。何故なら、こうした神を奉る形は人間の記憶と経験に支えられて存続するものだからである。合理的な考えと相対する存在を尊ぶこと自体に、意義を見出す。


 祭事に達成目標があるわけではない。個々の祈念や信心を、周囲との協働によって確認する場である。だからこそ、新しい何かを持ち込むためには配慮を要する。しかし旧態依然で続けてよしとはならない。人口減少、地縁関係の変貌、価値観の多様化が爆発寸前のように蠢いている。鎮める祈り以外の行動が必要だ。