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最期の言葉を大事にみる生き方

2018年05月30日 | 読書
 死生観は極端に言えば三種類だと加地伸行は言う。死後何も残らない」「肉体は消滅するが、精神は霊魂として存在」「肉体・精神ともに存在」とし、類型的には順にマルキシズム、仏教とキリスト教、儒教や道教と位置付けた。日本人の多くが葬儀、先祖供養をしている事実は、仏教と言いつつ儒教の考え方に基づく。


 精神は慰霊によって現在に帰り、肉体は子孫の継続によって現在を生きる、つまり「生命の連続」を意識しつつ暮らすと言ってもいいだろう。加地は「黙って仏壇の前に坐れ。一生懸命に、未来にそして祖霊に祈ることである」と締め括る。そんな思考回路が出来ているからこそ、下のような本も出版されると思った。


2018読了57
 『いかに死んでみせるか ~最期の言葉と自分~』(弘兼憲史 廣済堂新書)


 弘兼は、同世代やそれ以上をターゲットとしながら人生指南本を多く発刊している。少し毛色が違うかなと手にとったが相通ずる内容が多い。この新書の前提としての死生観はやはり、上に挙げた三つ目なのだと思う。そうでなければ「最期の言葉」を取り上げたりはしない。その言葉は引き取った側にしか残らない。


 スティーブ・ジョブスが病床で語った言葉の紹介から始め、有名人だけでなく、市井の方々の言葉も拾い上げている。それまでの生き方を象徴する言葉を残す方、生き方とはかけ離れた意外な言葉を残す方、心に秘めていた思いを吐露する方、さらに残った者や社会に対して挑戦的な一言を残す方など、実に様々である。


 立川談志が放送禁止言葉を呟き去ったのは痛快だし、その人生を象徴している。ぼんやり生きていれば、多くの場合「最期の言葉」を残すことは叶わないかもしれない。「終活」にその要素を、というのが著者の趣旨である。それにしても著者自身は「実は、俺は…」と絶句する予定という。そこまで脚色しなくともねえ…。