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桜と絵本と豆乳と

その「日記」には訳がある

2018年05月16日 | 雑記帳
 先日立ち寄った文房具店で、ふと目に入ったのが「スキマ日記」という小さな体裁のもの。手にとってみたら形式はいわゆる自由日記と変わらず、スペースが短めになっているだけだった。思いついたときに、軽く書き留める感じなのか。それから数日後、東京の大きな書店に入って文房具ウォッチングをしていたら…。



 ずいぶんと「〇〇日記」という類があるものですな。もちろん「10年日記」などはロングセラーで同系統も多く「去年の自分に出会える日記」などとコピーも洒落ている。そうした連用日記とは別に、目的達成型の「ダイエット日記」、書く感情を指定した「しあわせ日記」、はてには時間帯指定の「おやすみ日記」など…


 単に縦罫線にしただけの「縦書き日記」、勝手気ままに書くことを推奨しているような「気まぐれ日記」等々。またその横のコーナーには「ノート」と銘打って、「からだを大事にするノート」「人のおつき合いを大事にするノート」「かしこくお金を使うノート」…まあ、持てば日々の生活に劇的変化の予感が…しないか。


 文房具好きには見飽きることはないが、よくもまあこれだけの商品開発をするものだと感心してしまう。昔だったら、普通の日記帳や大学ノートで済んでいたものを、こうした型や形式を示し一種の自己啓発を促すことで購買意欲をそそらせるということか。つまり、スペースではなくスタイルを売り物にしている。


 そして一面では「手書き」活用とも関わる。もはやキーボードに留まらず、予測変換の文章作成が中心になり、漠然とした不安をしばしば感じる。老化防止が気になるお年頃でもあり、意識せねばと行動に移すことにする。まずは手始めに百均で万年筆を買い、新しいノートを開く。…あ、書くことが思い浮かばない。