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すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

自分ファーストを疑え

2017年06月07日 | 雑記帳
 「〇〇ファースト」というコピーは、確かに上手い。しかし広まるにつれ、徐々に手垢や装飾が気になって仕方ない。乱発されると「〇〇ファースト」とは、結局立場を換えた「自分ファースト」に過ぎないのでは…と勘繰りたくなる。久しぶりに読んだ『ちくま』(5月号)が面白かったので、小見出しにつけてみた。


「顧客ファースト」
 冒頭にある橋本治の連載エッセイは「電波で荷物は運べない」と題された、宅配業者の話題。ネット等による通販が過剰になっている現状は誰しも感じているが、その便利さに嵌り、利用者が先々を想像できなくなっているようだ。人の力を減らすだけ減らして「ドローンで運ぶ未来」を、どんな気持ちで迎えるのか。



「政局ファースト」
 書評家斎藤美奈子が「安倍ヨイショ本に見る『忖度』の構造」と題し、斬りまくっていた。内容から現政権チームの結束の固さが強調され、野党のふがいなさを次のように締め括ったのは見事だ。「政権を罵倒する暇があるなら、反安倍陣営は彼らの周到な権力掌握術、メディアコントロール術に少しは学ぶべきだろう


「読者ファースト」
 岸本佐知子は、自分の文章が大学入試に取り上げられた不安を「自分も正解がよくわからない」と書く。作家がこんなふうに記すことをよく見るが、趣旨や主旨をとらえ「文章の特徴」を決めるのは、読者としての出題者だ。客観的な評価をして妥当性を探るからだ。ただ主観性の強い作家かどうか見極めが大事だな。


「閣下ファースト」
 「帝国軍人は何を書き残したか」という保坂正康の連載で、瀬島龍三が取り上げられた。名前は山崎豊子作『不毛地帯』の主人公のモデルとして聞いたことがあった。「大本営参謀」という肩書の持つ重みはあるが、最終的に責任を持てない立場の甘さも微かに感じ取れる。今の時代に置き換えてみると少し不気味だ。

何度でも何度でも♪

2017年06月06日 | 読書
 またぞろ書棚の整理に取り掛かったが、例によっていつも中途半端なままだ。
 今回の原因の一つは、ぽろっと出てきた一冊の新書。
 書名を見て笑うなかれ。
 整理をひとまず中断して、再読することになる。

2017読了63
 『「挫折しない整理」の極意』(松岡英輔  新潮新書)


 2004年刊とある。ちょうどこの住宅を建てた年である。絶好の機会を逃さずに、と考えたろう、その時は(笑)。もっともこの手の本はかなり持っていて、もはや読むことに関してはプロ中のプロだ。当然、実行が伴わないので何冊も集まっている…。しかしこの新書は、表紙カバー裏に記された見出しに、心から救われた。

 これまでの整理法は、どう頑張っても挫折する運命にあった

 そうなのだ。自分が悪いのではなく、どうやら「これまでの整理法」に責任があるようなのだ。「どう頑張っても」だめなのだ。「挫折する運命」に従っただけなのだ…と、どうしようもなく責任転嫁している心を、実は嘲笑いつつ、「これならできる!」と自信たっぷりに書く内容に、大きな期待を寄せて、読み進めた。



 いやあ勉強したあ!「整理の歴史」から始まるアカデミック(笑)な展開がいい。「①整頓の時代→②収納の時代→③整理の時代」と歩むステップは、まさに歴史の中の「モノと人間の関係」の象徴であり、その結果、人間がたどり着いた極意「大事なモノは蔵の中へ」に妙に納得した。そして今は「新・整理時代」となる。


 極意は「技術編」「心編」で構成され、なかなか面白く展開する。技術編の肝は「材料モノ・道具モノ・愛着モノ」という区分にあり、「見える・動かす」という二つの原則で進められる。そして心編は「欲求ピラミッド」との相関だ。大方理解できたが、さて実践。挫折せずにできるか…希望が、いや肝心なのは決心だ。

間違いを一緒に楽しむ

2017年06月05日 | 雑記帳
 「注文をまちがえる料理店」…その奇妙な店名に少し驚いて、ネットニュースを開いたら、その中身に深く感心してしまった。
https://news.yahoo.co.jp/byline/mamoruichikawa/20170604-00071670/

 この中にあった実行委員の一人TVディレクターの言葉を紹介する。

Volume53
 「法律や制度を変えることももちろん大切だと思いますが、私たちがほんのちょっと寛容であることで解決する問題もたくさんあるんじゃないか。間違えることを受け入れる、間違えることを一緒に楽しむ。そんな新しい価値観をこの不思議なレストランから発信できればと思います。」



 法律や制度の動きが、今「非寛容」に向かっていることは明らかで、これは注視しなければならない。
 どんなに安全・安心を叫んでも、結果的に相互監視や行動委縮に結びつくようであれば、それはきっとこの国にとって「いつか来た道」になる可能性が強まると懸念を覚える人は多いだろう。

 一方で、私たちはごく身近なことに関して、実はもう「非寛容」さが蔓延していることを自省する必要がある。

 昔の思い出話を語るとき、その多くはイイカゲンさを浮かび上がらせていると言ってもよいが、それを包む温かさのような空気を懐かしむことを抜きには成立しないだろう。

 学校でも社会でも、間違いや失敗は誰にもあるものだと言いつつ、実際に結果重視主義、成果第一主義の傾向を強めてきたことは否定できない。


 そういった世の中に対して、最大限の皮肉ともとれる店名をつけたレストランの試みは単発的であるけれど、その発想の素晴らしさと温かさが、この固まりすぎた世の中に、じんわりと浸透していってほしいと心から願う。

心を行き交った言葉

2017年06月04日 | 雑記帳
 「グッドデザイン」…昔からGマークモノには興味があった。先日、東京駅隣のビルにオープンした店舗に行って、数々の陳列されている商品等を見て、改めてそれらのシンプルさを痛感した。使う人間の動作や心理を考えれば、複雑さはそぎ落とされ形を成す。デザインとは「者を想う物」が具現化すること。



 「万灯」…米澤穂信の短編集にあった題名の一つ。「まんとう」か「まんどう」か確かめようと電子辞書で調べた時、広辞苑に「(東北地方で)非常に明るいさま」と意味が載っていて、そうそうと思い出した。昔はよく「部屋をマンドーにして」というふうに使った。環境の変化によって忘れ去られた言葉の典型だな。


 「具現化」…新潮社のPR誌に同封されてきた小冊子の題名にびっくり。商品カタログで、よく「大人の逸品」「ワンランク上の〇〇」というような値の張る品物を扱っている類だ。魅力的なモノが並ぶが、容易には手を出せない。それにしても、題名が「優越感具現化カタログ」では、どこか馬鹿にされている気もする。


 「名人」…ここ数年毎度予定があって行けなかった柳家小三治独演会にようやく足を運べた。人間国宝とは、そこに存在するだけで有難い。微妙な間合いは、計算なのか天然?老化?なのか。どちらにしても観客を幸せな空気に包んだ気がする。それが名人の定義か。一番の驚きは、前座が柳家三三であったこと。

お金の、答え。の行方

2017年06月03日 | 雑記帳
 久しぶりに買った雑誌BRUTUS、何故かひと月ほど書棚で寝かせたままだった。特集は「お金の、答え。」。なんとなくBRUTUSのイメージとは違うような気もしたが、読んでみるとそこはやはりBRUTUS流?の味付けがなされている。「はじめてのお金の授業。」と題されたページは10時限と補講、放課後があった。


 (私と同い年の50円硬貨。穴なしでしたね。懐かしや))

 5時限目以降は「お金を増やす」ことの講義だ。興味があるから雑誌を手にしたわけだが、具体的な行動(株、為替等)は無理という頭があることにも気づき、この「授業」の価値は自分のなかでぐっと下降気味になった。ただ、概論的な話の「お金の使い方」「お金の機能」は生活を振り返るにはとても役立つ内容だ。


 例えば「お金の『使い方』には、投資、消費、浪費がある。」ふだん行っている消費は「買ったもの=支払った金額」であり、投資と浪費はその二つに不等号が入るということだ。浪費が「買ったもの<支払った金額」は確かであり、投資は、その逆を「目指す」ことになる行動だ。それは「時間がジャッジしてくれる


 「たった3つの『お金の機能』」が4時限目。誰しもわかる「交換」。これはふだんの「買い物」に該当する。次に「尺度」。金額という数字が価値を決めるということである。確かに目安としてよく使われる。もう一つは「貯蔵」。保管し、必要な時に利用できる。この3つの機能を掛け合わせるとパワーアップするという。


 そう言われても、凡人は日々の交換やささやかな貯蔵で精一杯だ。幼い頃10円玉を握りしめ、駄菓子屋に入って品物を選び、手の中で熱くなった銅貨数枚を出す時の喜びはどこに消えたのか。そこからの道筋をたどれば、お金の偉大さを認めつつ、お金以外による多様な「交換」「尺度」「貯蔵」に目を向けるのは当然だ。

偉そうな私の困り事

2017年06月02日 | 雑記帳
 「それで、困ることはありますか」…そんなふうに医師に訊かれるのは二度目である。たった2回で判断はできないが、この言葉は常套句なのだろうか。昨年と今年なので、最近の傾向だろうか。もちろんたまたまかもしれない。こんな問いにひっかかりを持ってしまう自分の心の狭さを自覚しつつ、えぐってみたい。


 ドッグの検診で何か気になる症状がないかを訊かれ返答したら、冒頭のように問い返されたわけだ。この言葉は、二つのパターンが考えられそうだ。一つは症状をさらに追究し改善のための方策を授けようとする方向、そしてもう一つはおそらく、さほど困らないのに気にすることはないという遠回しな助言である。


 (山法師、咲きました)

 大方は前者の方向だろう。ただ、二度とも私の返答が「特に…、ただ~~場合があるくらいですかねえ」となんとも深刻さに欠けたものだったからか、対した医師は、どちらも軽く頷き「それならいいじゃないですか」というニュアンスを口にした。そこで「今、困っていないからいいのか」という感情が湧いてくる。


 健診は、病気予防のためであることは間違いないわけだから、実は、この問診が一番ダイレクトで重要じゃないかという気がしてくる。つまり「気になること」が、将来「困ること」にならないために、様々な想定をめぐらせてみるということである。「気にしない」ことの有効性も認めるが、そちらが優先ではない。


 現在ではなく将来困った事態に陥らないために関連しそうなことへ警戒を促す。「困っている」ではなく「困りそうだ」に目を向ける。「困」という漢字は成り立ちから「門限」を指す意味がある。ゆえに人生の門限は迫ってからでは遅すぎる!と、偉そうな私を「だから何度も言ってるだろ」と検査データが見つめている。

ドッグでひたすら活字

2017年06月01日 | 読書
 2年ぶりの宿泊ドッグ。この期間ほど読書に没頭できる時間はない。テレビやネットも最低限にして、待合室の椅子や個室のベッドで活字を追う。硬軟混ぜて持ち込んだが、やはりこういう時は小説がいいようだ。内視鏡を入れられても「あの展開は…」と気を紛らわすのに役立つ。ただし、医療ミステリは×だな。



2017読了59
 『戦後リベラルの終焉』(池田信夫   PHP新書)

 かなり個性的な論客である。プロローグが「私が左翼だったころ」であるところに現在の立ち位置が想像できる。政府、政党だけでなく新聞、メディア、進歩的文化人などについて批判の矢が止まらない。自分の目を通した戦後史という趣きもある。しかしそれはまた、文中にあるように「角度をつけ」た論評である。


2017読了60
 『リバース』(湊かなえ   講談社文庫)

 今年初めての湊作品。現在の新聞連載は読んでいない。この作品は珍しいことに、男性主人公でその視線で通して描かれる。正直少し物足りない部分を感じながら読み進めたが、最後の最後にさすがの展開、結末が待っていた。やはり巧みだなと思う。「リバース」(反転)と名づけられた意味を噛み締めながら読める。


2017読了61
 『爺の暇つぶし』(吉川潮×島敏光  ワニブックスplus新書)

 共に60代後半の著名人。演芸やメディアとのつきあいも多彩な方々なので、ある意味予想通りのアクティブな時間の使い方が披露されている。都会に住んでいればなあと思ってしまう記述は仕方ないところか。「暇」の捉え方はなかなか難しいが、「モテアマスよりモテアソブもの」という考えは言い得て妙と感心した。


2017読了62
 『満願』(米澤穂信  新潮社)

 短編6篇のうち4篇まで進んだところでドッグ終了。自宅に帰って残りを読了した。初めて読む作家は、あの星野源イチオシだったので購読してみた。さすがの「山本周五郎賞受賞作」であった。人間の「悪」「醜」「弱」の描き方が秀逸ながら、仕上げのタッチは意外とサラリとしている。長編も読んでみたくなった。