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未練のピックアップ③

2017年06月19日 | 読書
 作家平野啓一郎の書いた「私とは何か~個人から分人へ」という考えに関心を持った時期がある。
 それを、いわば「私」の横軸的な考えととらえると、縦軸的な考えもあるかなと思った。
 縦軸は個人で完結しない考えになり、それは大きく生き方に関わってくるだろう。



Volume56
 「子供は『私』なのだと僕はみなしています。子の私、孫の私、ひ孫の私と、私を渡しながら続いていくのが「私」。私を厳密ではなくアバウトに見て、子も私とみなそうという見方を持ち込んでいます。こういう『私』観が今こそ大切だと思うのです。」

 『ゾウの時間 ネズミの時間』で有名な生物学者本川達夫の言葉。
 生物の本質は「ずっと続く」ことと言い、子供を作るのは「体を定期的に更新する」システムだと考える。
 そう思えば、子供は「私」というみなし方もできるわけである。

 このような『私』観を持てば、将来の環境保護やこの国の赤字国債のことも、違った視点でとらえることができるかもしれない。
 オレが…ワタシが…ジブンが…そんな言い方は、結局その場限りの「私」だけであり、もっと広げ、アバウトにしていくことで、考え方は豊かになる。

 かの永六輔は「この地球上に命が生まれてから私はずっと生きている」という考え方をしたそうである。
 その意味がじいんと噛み締められる。

 「今、ここ」にいる私だけが、大事ではない。