ヨシタケシンスケの新作を読む。
『あつかったら ぬげばいい』(ヨシタケシンスケ 白泉社)
15×15㎝のサイズで、『わたしのわごむはわたさない』の感じだろうか、読み聞かせするとすれば、TV画面で映したほうがいいかなと思いつつ、めくってみたら…
これがこれが、なかなかの哲学?バージョンで、『もしものせかい』に少し似通った印象をうける。
題名のように「問い」と「行動」がセットになって見開きで進む。
題名がスタートで、結びは「さむかったら きればいい」だ。
その二つだけで結論付ければ「自然体のススメ」とでも言いたくなるが、そんな単純では、ヨシタケワールドとは言えないだろう。
パターンを探る。
「ヘトヘトにつかれたら」
→「はもみがかずに そのままねむればいい」
これは「休めばいい」の即断かつ具体形である。
「ふとっちゃったら」
→「なかまをみつければいい」
通常「やせればいい」「食べるのをへらせばいい」と流れそうだが、ひねり方が入ってくる。
つまり、結果寄り添い系、発想転換系とでも名付ければいいか。
このパターンは結構見られる。
「なにもかも どうでも よくなったら」
⇒「コンビニで バカみたいに かいものすればいい」
と思うと、かなり提案的な、作戦として効果があがりそうな展開もある。
「だれも きずつけたくなかったら」
⇒「じょうずな うそをつけばいい」
「よのなかが みにくく おもえて きちゃったら」
⇒「ひかる がめんを みなきゃいい」
一貫性や汎用性があるかと言えば、「どうでもいい、楽しいし」と答えてもいい絵本だ。
一番、同感したのは、これかな。
「おとなでいるのに つかれたら」
⇒「あしのうらを じめんから はなせばいい」
地に足をつけなくても生きていけるさ!と思うこと。
違うか。
『あつかったら ぬげばいい』(ヨシタケシンスケ 白泉社)
15×15㎝のサイズで、『わたしのわごむはわたさない』の感じだろうか、読み聞かせするとすれば、TV画面で映したほうがいいかなと思いつつ、めくってみたら…
これがこれが、なかなかの哲学?バージョンで、『もしものせかい』に少し似通った印象をうける。
題名のように「問い」と「行動」がセットになって見開きで進む。
題名がスタートで、結びは「さむかったら きればいい」だ。
その二つだけで結論付ければ「自然体のススメ」とでも言いたくなるが、そんな単純では、ヨシタケワールドとは言えないだろう。
パターンを探る。
「ヘトヘトにつかれたら」
→「はもみがかずに そのままねむればいい」
これは「休めばいい」の即断かつ具体形である。
「ふとっちゃったら」
→「なかまをみつければいい」
通常「やせればいい」「食べるのをへらせばいい」と流れそうだが、ひねり方が入ってくる。
つまり、結果寄り添い系、発想転換系とでも名付ければいいか。
このパターンは結構見られる。
「なにもかも どうでも よくなったら」
⇒「コンビニで バカみたいに かいものすればいい」
と思うと、かなり提案的な、作戦として効果があがりそうな展開もある。
「だれも きずつけたくなかったら」
⇒「じょうずな うそをつけばいい」
「よのなかが みにくく おもえて きちゃったら」
⇒「ひかる がめんを みなきゃいい」
一貫性や汎用性があるかと言えば、「どうでもいい、楽しいし」と答えてもいい絵本だ。
一番、同感したのは、これかな。
「おとなでいるのに つかれたら」
⇒「あしのうらを じめんから はなせばいい」
地に足をつけなくても生きていけるさ!と思うこと。
違うか。