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桜と絵本と豆乳と

風呂場読書で考える

2021年02月16日 | 読書
 雑誌を前ほど買わなくなったものだから、風呂場読書に持ち込むのは新書が多くなった。濡らしたり水没させたりしてもそんなに痛手を感じないから…といっても、お手軽な情報収集だけにとどまらず中味の深い文章に出会うこともたまにはある。読んですぐではなく、何かの拍子に思い出すことがあれば儲けものだ。


負けない技術』(桜井章一 講談社+α新書)

 「伝説の雀鬼」が著すこの本に何を求めるか。「技術」がわかると手にする者は多いかもしれないが、桜井には通用しない。以前読んだ著書でわかっている。ここで肝心なのは「勝つ」ではなく「負けない」という精神のあり方だ。それは「強さ」に通じ、「生きる」に通じていく。小手先の技術は一片も書かれていない。


 世の中で常識になりつつあることへの警告に頷いた。「褒める」「得意なことを伸ばす」…仕事や教育の場では、それらが大きな風潮である。しかし、「褒めてもらおう」という人間関係の卑しさ、不得意の克服に必要な工夫・努力…それらをないがしろにしていることが、社会全体の弱さに結びついているとも言える。



『いい人生は、最期の5年で決まる(桶野興夫 SB新書)

 先月逝去された、町の要職にあった方のことを頭に浮かべた。著者は2008年に「がん哲学外来」を創始した。それは、「薬や医学ではなく、言葉の力だけで患者さんと向き合う」仕事だ。対象者には当然、余命宣告をうけた患者が多いだろう。どう向き合うか…その答は、つまり「いい人生とは何か」を示している。


 結論は「私たちが人生に期待するのは誤り。むしろ人生から『期待されている』のが本当のところです」…この発想転換は、次の一節に結びつく。「世の中のほとんどのことは、余人をもって代えられます。自分にしかできないことは。おそらく一つくらいしかありません」…わからないなら「悩み、静かに待つ」とする。

 
 結構ハードルが高いと思う。通常の日常を送っていれば、その「一つ」との出会いをただぼんやりと考えるだけかもしれない。しかし、「余命」を切迫感と共に生きた人はどう考えたのか。もはやその時点ではそこまでの自らの生き方が問われ、一筋の道しか残っていなかったか。それを真っ当できた最期を称賛したい。