『杖ことば』を読んでいて、格言・金言のことが頭にあったからか、最近聞いたある言葉のことが浮かんだ。成人式で、挨拶に立たれた議員さんが好きな一言として紹介したもので、初めて聞くなあと思いメモしておいた。それは「昨日は夢 今日は可能性 明日は現実」という一言。出典は何だろうと調べてみた。
ネット検索で多くはヒットしなかったが、アメリカのアポロ計画時のスローガン的な一言のようだ。おそらく同源と思うが「昨日の夢は今日の希望、そして明日の現実」という表現もあった。1960年代、冷戦下の宇宙開発競争に打ち勝とうとしたアメリカが自らを鼓舞するための、典型的な言葉遣いのように感じる。
一人前の社会人として歩み始めた、または歩む準備をしている世代に向けるには、確かにふさわしい。ただ辛辣な言い方をすれば「夢」を持てる昨日であったかが問われなければならないし、「可能性」を実現に向けられる今日であるのかという問いも浮かぶ。もちろんその責任の大半は、私も含めた大人世代にある。
「夢」を持つためには抑圧があった方がいい気がする。不自由さや貧しさ、乗り越えなければならない壁のような存在が、物理的にも精神的にも必要だ、と言い切るのは乱暴だろうか。戦後の歩みのなか、親の世代や私たちは、延々と障害や困難を退けることに心を砕いてきたが、その弊害が明らかになって久しい。
昨朝、日本上空を飛び越したミサイルを放った国は「昨日は夢 今日は可能性 明日は現実」の具現化を目指しているに違いない。その夢の中味は滑稽に見えるが、とても笑えない。そして自ら夢を描き可能性を伸ばすことが困難な国では、強い願いを持ち迫りくる国の現実に対抗できない。とんだ話になっちまった!