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コトバを杖にする

2017年08月29日 | 読書
 『杖ことば』とはまた絶妙なネーミングである。中に収められているのは、耳に馴染んでいる「金言」「格言」「諺」などである。それを人生に躓かないための支えにしたり、歩み進むための足がかりにしたりする。言葉と切り離せない暮らしを送る大多数の者は、知らず知らずのうちに、そんな「杖」を持っている。


(2017.8.26 OOMAGARI №3 終了後に花火師やスタッフにエール)

2017読了87
 『杖ことば』(五木寛之  文春文庫)


 第一章で真っ先に取り上げられたのは「転ばぬ先の杖」。まさにこの本を象徴するような格言である。一般的な意味はわかるが、著者の問いかけはウイットが効いている。「転ぶ前から用心して杖をついたほうがいいのか、それとも、転ばないために、毎日足腰を動かして、筋力を衰えさせない努力をするのがいいのか


 それは「社会には、まだまだ段差というものがたくさんある」事実と対応している。本文では物理的に歩行の障害になるものという記述である。しかし精神的な面においても同様であることを連想させる。バリア・フリーな環境を目指してはいても現実社会はそうはいかない。その時に「杖」をどう考えるか、である。


 著者は造詣の深い仏教の経典や説話などを紹介しながら、「杖ことば」の効用を説く。ただその「扱い」に関してこのように語っていて興味深い。「私はそのフィクションをさらに我流にデフォルメして受けとっています」。諺には正反対の意味を持つものも多くある。結局自分なりの解釈をして心の中に位置づけることだ。


 この本に紹介された諺等でなく、著者自身の言葉として書かれた中から、三つばかり自分の「杖ことば候補」を挙げておきたい。「養生は一生のためではなくきょう一日のための養生である」「もっとも良い『お世辞』は、一分の真実と九分の誇張」「他力は自力の母」…これらをさらにデフォルメして、心に位置づけたい。