漫画家の故・土田世紀氏の編集王という作品で、宮沢賢治の詩、「告別」を知った。
漫画家を志す山形青年と、彼の才能を愛してはいるが、雑誌を売るため読者に迎合し、山形青年の作品掲載をあきらめて、エッチな学園物漫画の連載を始めた編集者の疎井。
その二人が離別する場面で背景に流れる。
何度読んでも感動するシーンだ。
その中で、「ひとさえへひとにとどまらぬ」というフレーズがあるのだが、その意味するところの解釈ができず、ネットで検索していたら、宮沢賢治について意外なことを知った。
1)宮沢賢治の実家は裕福だった。
2)高校教師として5年ほど勤務したが、当時の高校教師はエリートだった。
3)楽器はあまり上手ではなかったが弾くことができた。
意外なことばかりだった。
貧しくて不器用な人、のようなイメージを持っていたが実際はそうではなかったよだ。
賢治は5,6年で高校教師をやめて自作農民として暮らし始めたのだが、そのための家や農地も実家から与えられたものだったという。
当時、周囲には金持ちのボンボンの道楽、と批判する者もいたらしい。
また「告別」には特定のモデルがいて、沢里武治という賢治の生徒だという。
彼は絶対音感の持ち主だったが、農家を継ぐため音楽の勉強を続けることができないのである。
生徒、沢里に教師、賢治の贈る言葉が「告別」だったのだ。
「おれはもう四月には学校にいないのだ」という言葉が急にリアルになってくる。