白雲去来

蜷川正大の日々是口実

考えただけでも恐ろしい。

2018-03-24 07:03:42 | 日記
三月二十三日(金)曇り後晴れ。

午前中は、まるでマラソンマンのように慌ただしく、郵便局、銀行、事務所と廻った。なにしに?、もちろん来週早々の支払いの手当てである。神風が吹いて、慢性金欠病を吹き飛ばしてくれる日は、いつ来るのか。

午後から、私が役員の末席を汚している大行社の幹部会議のために東京行き。悪い癖で、自宅を出る直前にバタバタする。スイカは、目薬は、スマホは、マスクは・・・。読みかけの文庫本は何処に置いた。いつも家族を煩わせ、怒られる。結局、文庫本が見当たらないままに駅へ。

電車の時間が二十分程あったので、駅の本屋で電車の中で読む本を物色。目についたのが『独裁国家に行ってきた』(MASAKI著・彩図社刊)帯には「十四の独裁国家に潜入。これぞ命懸けの旅行記」とある。旅と釣りと飲食に関する本が好きだ。旅に出なくても、飲んでいなくても、空想で心が満たされるからだ。駅中のコーヒーショップで、アイスコーヒーを飲みながら読んでいたら、他の席が空いているのに、ジジイが二人、両隣に座り、それも二人ともカレーパンにピザを食べている。匂いが気になって、本に集中できない。私もジジイなので安心して側に来たのかもしれないが、いい迷惑だった。

本は、面白かったが、あえて危険を犯しに行っているようで、蛮勇に近く、あまり感心できなかった。そんな思いをして外国が見たいのか、と。まあ私が、危険を犯している訳でもなく、書いた人の「危険」を読んで楽しんでいるのだから、文句も言えまい。でも七百円では安い。ラーメンかこの本かと言ったら、迷わずこの本を買う。

大行社の会議で、挨拶をした四宮正貴先生が、「自民党を全て支持するわけではないが、もし自民党が野党となった時に、志位や枝野、福島瑞穂、山尾志桜里、蓮舫、辻元清美などが閣僚に入ったら・・・。」と言うようなことを話した。考えただけでも恐ろしい。

夜は、おとなしく酔狂亭で、月下独酌。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

細かい字が読みづらい。

2018-03-24 06:33:37 | 日記
三月二十二日(木)曇り。

弘明寺商店街にある(「そごう」にも支店がある)「藤方豆腐店」。ここの豆腐はもちろん、私が好きなのは「厚揚げ」である。沸騰したお湯で、「油落とし」をしてから、オーブンで外側がカリカリになるまで焼く。刻みネギを載せて醤油で食べる。絶品である。スーパーの物が、逆立ちしようが、とんぼ返りをしようが、まずかなわない。厚揚げの横綱である。今日は、その厚揚げをメインに「赤ウインナー」に目玉焼き。みそ汁は、生ワカメ。昼は、おにぎり一つ。

午後から、所用あって「みなとみらい」へ。ことのほか時間がかかり、事務所から自宅に戻ったのは、七時を過ぎていた。酔狂亭での夜は、ナスと豚肉のオイスターソース炒め。ナスをさっと素揚げしてから味付けするのがコツだ。もう一品は「煮カツ」。お供は、思い切って「農林二号」。一杯やりながら、久しぶりに開高健の『オーパ、オーパ!、アラスカ編ー海よ、巨大な怪物よ』を読む。大判の紀行文と写真集なのだが、何と、字が小さくて読みづらい。その本を買ったのは、もう三十五年も前のこと。私は、三十二歳。当時は、両目とも一・五で、小さな字を読むのに何の不自由もなかった。仕方がないので、拡大鏡を出して読んだが、疲れて仕方がない。ハズキルーペでも買うか。参ったな。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大悲といふ道に大悲の春の雪

2018-03-22 13:29:58 | 日記
三月二十一日(水)名残の雪。

朝の六時過ぎに新聞を取に出たら、霙が降っていた。朝食を済ませてまったりしていると、霙が雪に変わった。昨日は、車にクーラーをかけていたのに今日は、雪か。野村先生の、「大悲といふ道に大悲の春の雪」という句が浮かぶ。大悲とは、「衆生の苦しみを救おうとする仏・菩薩の広大な慈悲の心」である。五・一五事件の三上卓先生の雅号は、大夢と大悲。大夢は岐阜の花房東洋先輩が継いで「大夢館」があり、大悲は、野村先生が継ぎ、大悲会を興した。私は、野村先生に言われて、大悲会の第二代の会長となった。

今日は、私の誕生日である。六十七歳となった。門松ではないが、この歳になれば誕生日も「冥土の旅の一里塚」である。正に、嬉しくもあり、嬉しくも無し。の感あり。早生まれなので、同級生よりも一つ若い。若い頃は、嫌だったが、この歳になれば、一つ若いだけで、何か嬉しい。大日本千鳥足の会の札幌総本部長や、栃木本部長、日本下戸の会(今作りました)の豊橋本部長などからお祝いが届き、恐縮する。

夕方になり、雪が雨に変わった。四時半より、東京のホテルにて「本間吉氏を偲ぶ会」があり出席。新橋の駅にて、盟友のO氏、大熊雄次、松本佳展の両氏と合流して会場へ。懐かしい方々が大勢来ていた。テーブルには、「魔王」「獺祭」の焼酎、「マッカラン」、ワイン、スパーリングワインなどが並ぶ。僭越ながら、私が献杯の音頭を取らせて頂いた。解散後に、近くの居酒屋にて、大熊雄次氏らが、誕生会を催してくれた。久しぶりの大破・轟沈の夜だった。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

両人対酌すれば山花開く。

2018-03-22 13:05:42 | 日記
三月二十日(火)雨。

雨が降ると、花粉が飛ばないのか、少し調子がいい。朝食は、メザシ。見た時はとても美味しそうだったのだが、食べたらがっかり。厚化粧の年増のようだった。みそ汁は、ホタテの稚貝。これは随分前に、小樽の青塚食堂で初めて知ったものだ。愚妻が好きなので、見つけると必ず買うことにしている。昼は、上の子供と、事務所に寄りながら、ベローチェで、ハムサンドとコーヒー。夜は、古い友人が来訪して酔狂亭で一献会。「そごう」で魚を仕入れたが、他の刺身は良かったが、カツオは、良くなかった。

食事をするについて、美味いだろうとあてにしたのか不味かったら「期待外れ」、美味ければ「期待通り」。不味いと承知で行って不味ければ「期待通り」でなくて「案の定」。不味い覚悟で食べてみて美味かった場合、何と言うか。「案外だった」は両様の意味に取れそうだし、「案の外」は馴染まない。一番ふさわしいのは結局「思いの外に」だろうか、そうすると、「期待」と「案」と「思い」とどこがちかうか。よく分らない。とは、阿川弘之先生の『阿呆列車』の書き取り。

お腹が一杯になれば何でも良い。というのは論外だが、「期待通り」の食事がしたい。酒もそうだ。決して高い物でなくとも良い。自分が美味しいと思えばそれで良いのだ。そう思いつつ、今日も、友と酔う。両人対酌すれば山花開く。一杯一杯また一杯。我酔うて眠らんと欲す卿且く去れ。明朝意あらば琴を抱いて来たれ。と九時過ぎに解散。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この荒野で君はまだ戦えるのか。

2018-03-20 10:16:14 | 日記
三月十九日(月曇り。

今日の産経の「正論」は出色だった。先崎彰容(せんざきあきなか・日大教授)氏の「この荒野で君はまだ戦えるのか」というもので、西南戦戦争の考証である。(詳しくは、ウェブサイトで読んで頂きたい)平成七年三月に、西南戦争の激戦地田原坂を訪れた江藤淳は、思いがけなく、田原坂公園にひっそりとたたずむ蓮田善明の歌碑に江藤は衝撃を受けたそうだ。

 ふるさとの 驛におりたち 眺めたる かの薄紅葉 忘らえなくに

「若年の三島由紀夫を見いだし、『花ざかりの森』の文芸誌掲載を実現した蓮田の歌碑は、はからずも西郷隆盛ー蓮田善明ー三島由紀夫という近代日本の歴史を考える一つの水脈の存在をはっきりと告げ知らせていた。西郷は西南戦争で官軍に敗れ、蓮田は敗戦の報を聞いて、ジョホールバルの地で自殺を遂げた。そして三島は、明治以来の近代化を全否定すべく、自衛隊に決起をうながし鬼籍に入った…。

江藤は西郷隆盛のなかに、普遍的価値への抵抗の精神を見いだした。確かに世界は帝国主義の時代、植民地獲得のための膨張主義の時代に入ている。しかしだからといって、日本人自身がやすやすとこれまでの価値観を投げ捨て、喜々として文明の輸入に明け暮れる必要はないではないか。たとえ文明の導入が必然だとしても、最後尾からついていく精神の構えをとるべきではなかったか。
 そう思う江藤にとって、西郷に比類される人物こそ、蓮田であり三島であった。では彼らが不在の現在、いったいこの国はどんな風景になっているだろうか。荒涼とした精神風景があるだけではないのか。この荒野で私たちは、何をなすことができるだろう」。
 
根っからのアホなので、これを読んだ時の感激を上手く表現できない。とにかく全文を読んで頂くことに尽きるが、先崎氏が上梓した『未完の西郷隆盛』(新潮選書)を早速購入したいと思っている。

一日事務所で仕事。夕方、長女とファーストキッチンでお茶。晩酌の肴を買って帰宅。安物の「カツオのタタキ」で独酌。お供は「農林二号」。美味しすぎて、四合瓶を空けそうになった。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする