十一月二十七日(水)雨。
今日も雨か。午前中に、掛りつけの内科に行く。先日の胃カメラの検査の結果と、常備薬を貰うため。お陰様で、検査の結果はセーフである。血圧、血糖値もマアマアだった。病院の帰りに「ほっともっと」にて「のりたる弁当」を買い求め朝食。しかし、六十の半ばを過ぎた男が、一人で「ホカ弁」を食すと言うのは、侘しいものがある。昼は、事務所でおにぎり一つ。夜は、「つみれ鍋」を囲んだ。お供は「黒霧島」。
江戸末期から明治にかけて江戸の下町を支配した町火消の大親分に新門辰五郎がいる。『辞世の歌』(松村雄二著・笠間書院)によれば七十五歳で死んだ際の辞世と言うものが、「思いおく鮪の刺身鰒汁(ふぐとじる)ふっくりぼぼにどぶろくの味」と言うものだそうだ。意味は、「最期になってこの世に思い残すことは、鮪(まぐろ)の刺身とふぐ汁、それにふっくらした女性のぼぼに、どぶろくの味である」。
選者によれば、この辞世は、男気の粋な世界に生きた人間らしく、三つ目の「ふっくりぼぼ」を除いて思い出に残る食物や飲物をそのままずらずらと並べただけの歌だが、それだけでも人柄が浮かんでくる。『ふっくりぼぼ』というのは女性性器の隠語。本来詠むべきではない不謹慎な言葉だが、それをマクロの刺身やフグ汁、どぶろくと一緒にして平気で恥じないところが、豪放磊落に生きた親分気質がよく出ている」。と書いている。
新門の親分は明治八年の九月に七十五歳で亡くなったそうだが、そのお歳でお盛んなことは羨ましい限りである。カツオの季節も終わったし、明日の夜は新門の親分の顰に倣い、マグロの刺し身に「どぶろく」いや焼酎にするか。
今日も雨か。午前中に、掛りつけの内科に行く。先日の胃カメラの検査の結果と、常備薬を貰うため。お陰様で、検査の結果はセーフである。血圧、血糖値もマアマアだった。病院の帰りに「ほっともっと」にて「のりたる弁当」を買い求め朝食。しかし、六十の半ばを過ぎた男が、一人で「ホカ弁」を食すと言うのは、侘しいものがある。昼は、事務所でおにぎり一つ。夜は、「つみれ鍋」を囲んだ。お供は「黒霧島」。
江戸末期から明治にかけて江戸の下町を支配した町火消の大親分に新門辰五郎がいる。『辞世の歌』(松村雄二著・笠間書院)によれば七十五歳で死んだ際の辞世と言うものが、「思いおく鮪の刺身鰒汁(ふぐとじる)ふっくりぼぼにどぶろくの味」と言うものだそうだ。意味は、「最期になってこの世に思い残すことは、鮪(まぐろ)の刺身とふぐ汁、それにふっくらした女性のぼぼに、どぶろくの味である」。
選者によれば、この辞世は、男気の粋な世界に生きた人間らしく、三つ目の「ふっくりぼぼ」を除いて思い出に残る食物や飲物をそのままずらずらと並べただけの歌だが、それだけでも人柄が浮かんでくる。『ふっくりぼぼ』というのは女性性器の隠語。本来詠むべきではない不謹慎な言葉だが、それをマクロの刺身やフグ汁、どぶろくと一緒にして平気で恥じないところが、豪放磊落に生きた親分気質がよく出ている」。と書いている。
新門の親分は明治八年の九月に七十五歳で亡くなったそうだが、そのお歳でお盛んなことは羨ましい限りである。カツオの季節も終わったし、明日の夜は新門の親分の顰に倣い、マグロの刺し身に「どぶろく」いや焼酎にするか。