9月15日(金)晴れ後雨。
17日は下の子供の誕生日。東京で友達と一緒に生活している下の子供が久しぶりに我が家へ。夜、横浜駅のセルテというビルの中にある焼肉「叙々苑」にてお祝いの食事。上の子供は、会社から直接お店に来た。家族四人での食事は久しぶりである。さすがは叙々苑。値段なりに美味しかった。支払いは、上の子供がカードで。「いや三人でワリカンにしようよ」と言うと「当然じゃん」。しょんぼりした。
群青忌の案内状を私の分担文400余枚出した。何しろ五年ぶりのことだ。事務所に行くと10通程度「あて所に尋ねあたりません」とハンコを押されて戻って来たのが15枚。仕方がないが、住所録の整理にもなる。
ちょっと買い物で外に出た時に携帯を忘れた。そんな時に電話がかかってきて、帰宅していた下の子供が出た。電話の主は、元野村先生の担当公安だった警視庁の「S信」さんの奥さんだった。野村先生が亡くなられてからしばらくして定年退職したことは知っていた。群青忌のたびに案内状を出しており、記憶が正しければ、最後にお会いしたのが10年前の20年祭だった。今回も案内状をお出しした。「S信」さんの奥さんの話では、「二年前に亡くなられた」とのこと。どのような状態で亡くなられたのか、私が電話に出たわけではなかったので聞きそびれた。
奥さんの話では、「野村先生のDVDを棺に入れようと思って探したが、どうしても見つからなかった。先日、何気なしに再生デッキのスイッチを入れたら、そこに入っていました」。子供からその話を聞いたとき、思わず落涙しそうになった。野村先生が亡くなられてから30年が過ぎ、親しかった人たちの多くが鬼籍に入られた。時が過ぎるのではなく、人が去って行く・・・。その思いを強くした。