白雲去来

蜷川正大の日々是口実

福田和也氏の訃報に驚く。

2024-09-21 11:11:36 | 日記

9月20日(金)晴れ。

今日は、古い同志であった折本満さんのご命日。平成28(2016)年の今日、すい臓がんで亡くなられた。享年64歳。また、16日は、元展転社の藤本隆之さんのご命日。二年前に亡くなられた。享年60歳、今年は三回忌。また3日は私の父の命日。7日は見沢知廉さんのご命日。30日は中村武彦先生のご命日。中村先生を除いて皆、私より若くして亡くなっている。

そう思っていたら、ネットニュースで文芸評論家の福田和也さんの訃報を知った。保守派の論客として知られた文芸評論家で慶応大名誉教授の福田和也(ふくだ・かずや)さんが20日午後9時47分、急性呼吸不全のため千葉県浦安市の病院で死去した。63歳。東京都出身。葬儀は関係者のみで行う。喪主は妻圭子(けいこ)さん。文芸評論家の江藤淳さんに才能を見いだされ、若くして論壇と文壇の双方で活躍。「日本の家郷」で三島由紀夫賞、「甘美な人生」で平林たい子文学賞(評論部門)を受賞した。人物評伝から食を巡るエッセーまで幅広いテーマで執筆活動を展開。慶応大で教壇に立ち、テレビやラジオのコメンテーターも務めた。「地ひらく」で山本七平賞、「悪女の美食術」で講談社エッセイ賞を受賞。以上、ネットニュースから。

以下は、楚昨年の6月に書いたブログから。過日、産経新聞の書評欄で、久しぶりに福田和也氏の名前を見た。一時期は、保守の論壇の寵児として、様々な媒体で活躍しており、決して大げさではなく福田氏の文章や名前の見ないことはなかった。それが、いつの日からか、全く、名前を見なくなった。(私の勉強不足だったら許してください)どうしているのだろうかと、心配していた。

福田氏は、平成10年に開催した野村先生の追悼集会「群青忌」の第五回横浜集会で追悼講演をして頂いた。それ以降は個人的なお付き合いはなかったが、最後に本を読んだのは『日本綺人伝』(廣済堂新書)か。またもう13年も前だが福田氏が『週刊新潮』で「世間の値打ち」というコラムを連載していた。その第四百九回(8・26号)が「忘れられた横浜の怪人・田中平八の足跡を訪ねた」というものがあり、野村先生のご両親の眠るお墓のある横浜市西区にある東福寺、通称「赤門の寺」を訪れたことが書いてあり、ちょっと感慨深かった。その福田氏の新刊本と言うのが、『保守とは横丁の蕎麦屋を守ることであるーコロナ禍「名店再訪』から保守再起動へ』(河出書房新社・1870円)。

明治大准教授の酒井信氏の書評を一部紹介させて頂く。

福田和也が本作でいう「日常を大切にし、それを文化とする心」は、彼の旺盛な執筆活動=生き方と深く関係する。冒頭の東京・大井町、丸八のページには、2度揚げされたとんかつへの「等身大の愛」が綴(つづ)られ、神保町の名店ランチョンやキッチン南海のページには「取り替えのきかない郷愁」があふれる。馴染みの店でのひと時を、読者の食欲をそそる「臨場感あふれる言葉」で綴る福田の日常に根差した文芸は、福田恆存の言う「文化」の域に達している。

表紙の痩せた福田和也の姿を見て、読者は驚くだろうか。コロナ禍の飲食店を訪ねるこの連載中に3度倒れ、3度救急搬送されたという。ただ本書でも、「批評の目玉」の鋭さは健在で、福田という「とんかつの衣」から「中の人=真打ち」が出てきた印象さえ受ける。読んでいて何度も涙がこぼれた。「日常の精神の安寧」を尊ぶ福田らしい「生きた文学」で、彼の弟子であることを誇らしく思う。※第五回・群青忌のポスター。

 

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