1月5日(木)晴れ。
朝食は、鮭、いくら、ボタン海老の「頭」の味噌汁。昼は、トースト一枚に野菜スープ。夜は、ミスジ、キャベツのコールスロー、イタリアンドレッシング和え、結び白滝の炒め物、錦糸町のキムチ。この錦糸町「223」のキムチは絶品で、豚肉と炒めたり、鍋に入れたりしてあっと言う間に食べてしまう。そういえば民族革新会議の同人の中川明夫さんの奥さんは料理上手で、民革の忘年会などに以前は良く料理を作ってくれていた。その中で、「結び白滝」の炒め物が好きで、見よう見真似で作っているが、中川夫人の域には達しない。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。
私が小学生の頃、昭和30年代。正月の風景と言えば、路地で独楽回し、羽根つき、横浜は三春台という所にある関東学院のグランドでの凧揚げと相場が決まっていた。今のようにファミレスやスーパーなどもなく、正月は、何処のどんな商売も5日ぐらいまでは休みだった。6日頃になると、「初荷」という札を貼ったトラックを良く見た。正月明けで世の中が動き出す息吹を子供ながらにも感じたものだ。そのころに貰う「お年玉」は、百円。本当に「お年『玉』」だった。それを持って近くの駄菓子屋に行くのが楽しみで普段は買えない値の貼るものを買った。今では、日本中、どこの町へ行ってもそんな遊びをしている子供はいないだろう。
俳人の中村草田男の有名な句に「降る雪や明治は遠くなりにけり」がある。彼が大学生の頃、自分が出た小学校の前を通った時、雪が降りだすとともに校庭に外套(がいとう=コート)を着た子供たちの現れるのを見て、着物に下駄だった自分の頃との隔たりを感じ、その思いを詠んだと言われている。雪など降らずとも、私の生まれた昭和がどんどん遠ざかり、その記憶も薄れつつある。