白雲去来

蜷川正大の日々是口実

藁焼きの鰹のたたき。

2021-11-18 11:08:42 | 日記

11月6日(土)晴れ。

家族の休みの朝は、起きるのも食事ものんびりと。昼食に近い朝食は「紅鮭」、わかめの味噌汁。夜は、古い友人から高知の「鰹のたたき」をご恵送頂き、近くのスーパーに行って、国産のニンニク、新鮮なネギを買ってきて、友人に感謝しつつ楽しんだ。「鰹のたたき」は、近所のスーパーなどで見ると、4、5百円程度だが、高知の藁焼きの急速冷凍の物は半身の半分(四分の一)程度で、3千円から5千円くらいする。金のことはあまり言いたくないが、私は、ペロッと一腹食べてしまうので、私一人のために取り寄せるのは、どうも家族の手前気が引ける。

ニンニクのスライス、ポン酢、ネギのスライス、ポン酢に飽きたら無「塩」で食べる。酒はもちろん焼酎。至福の時間である。ああ高知の「ひろめ市場」が懐かしい。ちなみに横浜市戸塚区の国道1号「戸塚町」交差点に富塚八幡宮がある。そこに有名な芭蕉の「鎌倉をいきて出てけむはつ松魚」の碑がある。「松魚」は「鰹」の古語。


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伊勢佐木町の思い出。

2021-11-18 10:32:23 | 日記

11月5日(木)晴れ。

朝食は、メンチカツ、マカロニサラダ、目玉焼き。昼は、ちょっと忙しくて「カップ麺」で済ませた。夜は、友人らと関内のイタ飯屋「ビートレ」にて一献。私の中学、高校の同級生が某商店街の会長をしている。その町内会が「アド街天国」とかいう番組に取り上げられ、町会長としてその番組に協力することになった。ついでと言っては何だが、関内のサリーズバーに仲良しさんたちが集まって1960年代の伊勢佐木町の話をすることになって。一杯飲みながら歓談。

伊勢佐木町には、私の子供の頃は、「赤灯台の松喜屋」、「野澤屋」から名前の変わった「松坂屋」といったデパートがあり、ハレの日には母に連れられてそれらのデパートの食堂で、食事をするのが、楽しみだった。今は死語となったのが「イセブラ」。伊勢佐木町をぶらぶら歩くことで、今でいえばウインドー・ショッピングか。その伊勢佐木町の関内駅を背にして左側の路地には、怪しげなバーや様々な飲み屋があって、通称「親不孝通り」などと呼ばれていた。喫茶店は、有隣堂近くの「蜂」、「カトレア」(二階が同伴席だった)、長者町の交差点の近くには「ニュースエズ」。

伊勢佐木町の有名なジャズ喫茶「ピーナツ」、「アダムとイブ」、「ワシントンス・クエアー」。福富町には「ヨコハマMUGEN」と並びに「樽」、「JIGEN」などのディスコティックがあった。そんな思い出話で盛り上がった。

その後、愚妻も合流して、サリーズバーの前にある「ビートレ」にて食事会。思い出話に花が咲き、飲んだビールが5万本。(こういう歌があった)。楽しい一日だった。


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