白雲去来

蜷川正大の日々是口実

雪の降る町で・・・。

2014-02-09 17:05:54 | インポート

二月九日(日)晴れ。

言葉は悪いが、「雪の朝は乞食も洗濯」と教えてくれたのは、かつての囚友だった。本当に雪の降った次の日は大体晴れる。朝食の後に雪かきに精を出した。何と言っても十何年ぶりの大雪とかで、駐車場や家の前の道路にも、二十センチほども積もって、歩くのももどかしい。


友達とイベントに出かける娘を愚妻がバス停まで送って行ったが、バス停までは長靴を履いて行って後でスニーカーに履き替えたらしい。ご近所さんと一緒に一時間ほど雪かきに汗をかいた。もう二十年以上も前のことだが、網走の大学で流氷とクリオネの研究をしている頃に、「外掃」という仕事をさせられていた。早い話が、舎房以外の外回りの清掃とメンテナンスをする仕事である。


冬になると、ほとんど仕事がなくなり、農場で収穫をした「小豆」の選別作業や、皆が食べる「タクアン」を漬けたりといった軽作業が中心となる。可笑しかったのは、小豆の選別でのこと。四角い缶の蓋に小豆を入れて、欠けていたり、傷がついている物を撥ねるのだが、細かい作業なので、時々、薬物関係で来ている人が、フラッシュバックを起こして倒れてしまうことがある。何と言っても、一日中、黙々とその作業をさせられるので、目は疲れるし、肩は凝るし、寒くても外の作業の方がまだましだった。


雪かきも「外掃」の仕事で、以前はすぐ前を流れている川に雪を捨てていたのだが、自然環境に慮って捨てることが出来なくなった。どうするかと言えば、雪を端に寄せてとりあえず通路を確保する。翌日、所長などの偉い人が、「壁に沿って雪を積んだら、逃亡の恐れがあるので移動しろ」と命令が下り、今度は、その雪を、反対側に移動するのである。


何て事はない。右から左、左から右へと移動するだけのことなのだが、最近は、懲役にも「人権」が取沙汰されているらしいので、穴を掘って、また埋めるといった懲罰的な作業は禁止されているらしい。そこで尤もらしい理由をつけて雪を移動させる。明治に出来た監獄法を墨守しているのだから今も昔も、本質的にはほとんど変わりはない。


「喫食」「喫飯(きっぱん)」「もっそ」「くり込み」「歩調取れ」「願箋(がんせん)」に「袴下(こした)」「メリヤス」。これが全て分かる人は、大体寄せ場の経験がある人。本を読んでも刑務所を実感させられる。野村先生の句に、「鰯雲 文庫本にも獄書の印」がある。そして「番号でわが名呼ばるる梅雨夕焼」。二十年が過ぎても、運転中に、かつての称呼番号と同じナンバーの車を見つけると、何だか親しみを感じてしまうほどに身についてしまうものなのだ。


そう言えば、「ビツクバン」に反対して東京証券取引所に拳銃を持って籠城した後輩の板垣哲雄君は、甲府刑務所に下獄した。その彼の称呼番号が、連合赤軍事件の植垣康博さんの番号のお下がりだと、甲府刑から喜んで?手紙を貰ったことがあった。その板垣君は、八年の刑を受けたが、戦線復帰の一ヶ月前に肝臓癌で八王子の医療刑務所にて死んだ。そんなことを思い出すのも雪のせいかもしれない。

今日も我が酔狂亭で月下独酌。肴は、社友で「フクイのカレー」で有名な福井英史さんから頂いた「鶏のカレー味」。原稿の締め切りが過ぎているので、二日酔いにならない程度に飲むとするか。

 

追記・北海道の刑務所に興味のある人は、「赤い人」吉村昭著・講談社文庫、「破獄」吉村昭著・新潮文庫、「囚人道路」安倍譲二著・新潮社。圧巻なのは、「北海道行刑史」重松一義著・槙書房。刑務所に行く前に、是非、予備知識を。青年は荒野、ではなく牢屋を目指せ。


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