白雲去来

蜷川正大の日々是口実

私にとっては宝物だが・・・。

2014-02-15 17:29:32 | インポート

二月十二日(水)晴れ。

午前中は病院で定期健診。「名医」?の評判ゆえか、いつも混んでいて一時間半ほど待たされる。風邪でもうつされたら嫌だな、と思っても狭い待合室で待つ以外に方法がない。ようやく順番が来て、血糖値の検査などを行って、常備薬を貰っていったん帰宅。

 

事務所にて、先日、小早川先生宅から頂いて段ボールに入れたままになっている雑誌などを整理した。しかし何年も書棚に置いたままになっているらしく、埃がすごい。もう少し、暖かくなってからでないと、全部の整理は無理かもしれない。埃をはたきながらの作業は室内では無理だ。

 

頂いた物のほとんどが私にとっては宝物だが、興味のない人には、ただの紙屑でしかない。今回開けた段ボールの中にも、昭和十六年十二月二十八日に発行された「週刊朝日」や犬塚博英民族革新会議議長などが新宿駅頭にて行っていた街頭活動の「演説集」。犬塚議長に聞いた所、編集、デザインは元楯の会の故阿部勉さんが行ったとのこと。松本効三、横山武彦、四宮正貴、犬塚博英の諸先生の「名演説集」がまとめられている。

Photo ※開戦直後の「週刊朝日」。見出しは、「皇軍の士気太平洋を呑む」とある。うーん随分とその主張は変わったものだ。

Photo_2 ※「青空議会」の演説集。

 

特に嬉しかったのは、三上卓先生の句集「無韻」があったことだ。野村先生が師と仰いだ、五一五事件の指導者であった三上卓先生。その句集は、非売品であったため、ほとんど書店に出回っていない。随分前に、亡くなられた生産党の北上清五郎先生の事務所で見かけたが、さすがに「下さい」とは言えなかった。ダイジェスト版は事務所にあるが、単行本が手に入ったことは正に僥倖。

Photo_3 ※三上卓先生の句集「無韻」の見開きにある三上先生の代表句とされるもの。「野火赤く人渾身のなやみあり」。


夜は、恒例の「蜷川政経懇」を市営地下鉄「吉野町」駅上の「一銭」にて開催。その後、有志らと関内の「HIRO」へ転戦。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

建国記念の日、紀元節おめでとうございます。

2014-02-15 15:35:06 | インポート

二月十一日(火)晴れ。紀元節。

雲に聳(そび)ゆる 高千穂の 高根おろしに草も木も なびきふしけん 大御世(おおみよ)を 仰ぐ今日こそ たのしけれ

 

今日は、建国記念の日、紀元節。起床後に玄関に国旗を掲げ、神武天皇肇国の昔を偲び、橿原神宮を遥拝。輝く皇紀は二六七四年。皆さん。紀元節おめでとうございます。

 

若い頃は、大磯にある大日本殉皇会の小早川貞夫先生が昭和四十七年から主催していた「紀元節奉祝神奈川県大会」に参加した。この大会は、現在も神奈川県維新協議会の同志の人たちによって続けられている。私が初めて参加したのは昭和四十八年の第二回大会だった。当時神奈川には民族派団体の数も少なく、街宣車も殉皇会の所有するものが一台だけという時代だった。大磯の駅前から、約三キロぐらいの距離を徒歩行進し、その後は車両によるパレードを行ったが、参加人数は十五人程度で、街宣車は一台、その後ろには各自の乗用車に日の丸を貼って走った。のどかな時代でもあった。 

S48211 ※昭和四十八年の紀元節奉祝神奈川県大会の参加者。前列、右端が藤田誠一郎氏、隣が先日亡くなられた小早川恒夫さん。後列、左から三番目が二十二歳の私。後列、右から三番目が、故小早川貞夫先生。国府津駅にて。

 

午後から、事務所にて「燃えよ祖国」の別冊「白雲去来」の製本。早い話が、私の酒中日記で、「日々是好日」ではなく「日々是口実」の備忘録である。その八、九、十月三か月分を一冊にまとめた。今月後半に完成する機関誌「燃えよ祖国」の第二百一号と一緒に送付するつもり。夕方までかかって、ようやく完成。ホッとした。しかし、慌てて作ったせいで、恥ずかしいことに誤字、脱字が多く、正に赤面、汗顔の至りです。

8910 ※私の酒中日記が完成しました。


夜は、手羽餃子、湯豆腐と焼き鳥少々を肴に酔狂亭で月下独酌。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする