十二月一日(土)曇り。
絶不調である。多分風邪の前兆だろうと思うが、寒気がして体がだるい。朝食はお粥にして、食後も布団に入っていた。しかし、今日は、六時から東京で古い同志の笹井宏次郎さんの送別会がある。出席すると返事をした以上、ドタキャンするわけにはいかない。午後一番で近くにあるサウナ付の銭湯に行き、汗をかこうと思って出かけた。
愚妻に車で送って貰い、風呂へ。この時間帯に風呂に入っているのはご隠居さんばかり。横浜の南区でも温泉が出る。鉄分の多い、鉄色をした風呂や、ジェットバス、檜風呂など四つも風呂があってサウナが付いている。風呂とサウナの両方に入って七百円。これが高いか安いかわからん。
私は、風呂や温泉があまり好きではない。誤解の無いように言うと、風呂には毎日入るが、大体十五分か長くて二十分程度。長風呂が嫌いなのである。従って、わざわざお金を出してまで風呂や温泉に行来たくないのだ。どうも、まったりできない。温泉の楽しみは酒に肴。さっと風呂に入って早々と一杯やりたい。それが楽しみで温泉に行く。と言っても自分からは行かないで、誘われた時だけである。風呂に入って、さあ一杯。早い話が、温泉の良しあしなど全く気にしない。
自分では、風呂に入ってからサウナ、を二回繰り返してから迎えに来てもらったが、愚妻曰く「全くカラスの行水。お金がもったいない」とのこと。着替えをして、ホカロンをセーターの中に貼り付けて一路新宿へ。大崎を過ぎてメールをチェックしたら、何と会場が新宿から高田馬場へと変更になっている。良かった途中で気が付いて。新宿から山手線で二駅。お店は駅前の居酒屋。会場に着けば、すでに皆さんがお揃い。あれれと思ったら、何と五時からとのこと。六時と思い込んでいたので一時間の遅刻。皆さんすでに出来上がっていた。
笹井さんと初めて知り合ったのは、今から三十五年ほど前のこと。私が横浜の西口にあったフラワールームという貸部屋で横浜青年政治研究会という勉強会をしていた頃である。その後、笹井さんは志を立ててブラジルに移住。邦字紙のサンパウル新聞の編集に携わったり、日本テレビのコーディネーターなどをして地盤を築き上げていた。
三年前に帰国して「国体文化」という雑誌の編集長として頑張っていたが、後進が育ったという事で、妻子のいるブラジルに帰国することになった。笹井さんと親しい人たち二十人ほどが集まって思い出話や、ブラジルのことなどを肴に盛り上がった。しかし、体は正直なもので、体調が悪いので酒が旨くない。お湯割りをニ、三杯飲んだだけで後がすすまない。二次会に誘われて、当初は参加するつもりだったが、外に出たら寒気がするので、失礼してお暇した。帰宅してから薬を飲んですぐに寝た。