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白雲去来

蜷川正大の日々是口実

札幌へ。

2011-12-12 10:03:03 | インポート

十二月九日(金)曇り。

 明日の「北海道青年フォーラム」に出席するために今日から札幌行きである。当日出発だと、この時期、雪で飛行機が欠航したら大変なので、一水会の木村会長と打合せをして、今日に何も予定のない私が先行することになった。横浜も寒い。

 

 何の支度もしていなかったので、朝からてんてこ舞いである。一眼レフのカメラやテレコ、田中清元和尚に依頼された「燃えよ祖国」五十部、そして着替えなどを入れるのに、普通のバックでは収まりきれず、海外用の大型カバンにした。

 

 十一時半に松本佳展君に迎えに来て頂き、一路羽田へ。道路が空いていたので、あっと言う間に羽田着。とりあえずチェックインして、出発祝いと言う事になった。その昔、「風の会」の選挙の折に、沖縄行きの飛行機を待つ間、安岡力也さんと一緒に空港で飲んでいて、つい酒がすすみ飛行機に乗り遅れそうになったことがあった。羽田で一杯やっていると、そんな昔のことを思い出す。

 昨日、遅くまで仕事をしていたので、軽く飲んだだけでいい気持ちになっり、飛行機に乗った途端に寝てしまい、目が覚めた時は千歳だった。私は、このような飛行機の乗り方が一番好きである。JALの国内線は酒のサービスがなくなった(他の路線は知らないが)ので、最近は乗る前に一杯やることにしている。さすがに北海道は寒い。外の温度は零下三度。

 

 空港には、社友の石澤博文、梶浦直樹の両君と、国の子評論の山本和八君が迎えに来てくれていた。梶浦君と山本君とは十月の野村先生の墓前祭以来、石沢君とは、三月以来の再会である。まずはホテルへ。

 

 六時から、薄野の「大助(おおすけ)」という居酒屋で安着祝い。この席に、梶浦君から紹介された愛国党の雪田顕正氏が合流。楽しい酒席となった。その後、一軒転戦して早目にホテルに戻った。


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今次大戦の呼称を大東亜戦争とする。

2011-12-12 09:12:36 | インポート

十二月八日(木)晴れ。

 今日は、大東亜戦争の開戦から七〇周年という節目の日である。しかしマスコミは、この意義のある日のことを報じようとはしない。あるテレビ局が、「今日十二月八日は・・・・」というで、おおっと思ったら、「ジョンレノンの命日です」。もちろん私もビートルズ世代だから、彼が撃たれて死んだことはショックだったが、日本の歴史とはまったく関係がない。

 

 産経新聞が、「主張」で日米開戦七〇年で、先の大戦を「日本人自らの目で検証」をとして、さらに「日米同盟の強化」を論じていた。個人的に言えば、あの戦争の意味と意義をもう少し論じて欲しかったと思った次第。

 

 わが国のマスコミは、先の大戦を等しく「太平洋戦争」と呼ぶ。日本には、反米勢力のくせに、戦後アメリカから押付けられた現在の憲法を金科玉条のごとく「護れ」という、いわゆる護憲勢力、護憲政党という不思議な人達が存在する。共産党や社民党、民主党の一部、自民党の中にも、そういうバカがいると聞く。その根拠が、「戦争放棄」と「軍備を保持しないこと」にあるから笑わせてくれる。

 

 「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」誰でもが知っている日本国憲法の前文である。わが国の固有の領土である尖閣諸島の周辺の海底に豊富な資源があると知ると、突然「わが国の領土」と主張する中国、竹島、北方領土を実効支配している韓国とロシア。何の罪もない国民を拉致する国がある。どこに「平和を愛する諸国民の公正と信義」があるのかと「護憲」を口にする連中に聞きたいものだ。

 

 開戦の四日後の、すなわち昭和十六年十二月十二日の帝国議会において、この戦争をどう呼ぶかということが議決された。それには、「今次ノ対英米戦争及ビ今後情勢ノ推移ニ伴ヒ生起スルコトアルベキ戦争ハ、支那事変ヲモ含メ大東亜戦争ト呼称ス 」とある。

 

 今日は、「大東亜戦争の開戦から七〇周年」なのだ。国の誇りを取り戻さなければならない。

 


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