白雲去来

蜷川正大の日々是口実

関内「はいから市」へ。

2011-11-04 13:25:30 | インポート

十一月三日(木)曇り。明治節。

 良い天気かと思ったら、一瞬の内に曇ってきた。今日は、明治節である。言うまでもなく明治天皇のご生誕の日。これがなぜ「文化の日」か、祝祭日が、その本来的な意味がなくなり、単なる休日となってしまうのは、伝統と文化の消失と思うが、どうだろうか。

 

 顔を洗い、口をすすぎ、玄関に日の丸を掲げ、明治神宮を遥拝した。万葉集に出ている「防人の歌」の、

  今日よりは 顧みなくて大君の 醜(シコ)の御楯(ミタテ)と 出で立つ我は

 が好きだ。

 

 午後からは、愚妻と共に、関内や馬車道で行なわれている「はいから市」に出かけた。生憎と天気は曇り。このお祭りは「馬車道まつり」に合わせて、隣接する弁天通りでも、古物商や飲食店のブースなどが設置され、「サリーズバー」や私の徘徊の縄張りである弁天通のお店が様々なブースを出している。

 

 骨董市などもあって、中学、高校の同級生が経営する古美術のお店も出ている。到着した時には、サリーズバーのお馴染さんが大集合という感じで盛り上がっていた。特に、サリーを会長とする女子会の「てきとう会」のメンバーが揃うと、ヘタな男などはたじたじである。

Photo ※関内の弁天通りです。

Dscf3832 ※サリーとその仲間達。

Dscf3833 ※サリーとその仲間達のⅡ

 

 その内に、仲良くさせて頂いている石橋卓次さん夫妻や、古谷喜久男夫妻、あるいは私の同級生などが集まってきてすごいことになった。公私共にお世話になっている藤木の会長や市会議員の松本研氏などにもご挨拶させて頂いた。

 

 四時に解散。寒くなってきたので、カメ&アコちゃん。松本君と小枝ちゃんらを誘って藤棚の「やまと」へ転戦。ここに大工の秀ちゃんが合流。しかし、さすがに軽く飲んだだけで解散した。七時過ぎには、眠くて布団に入ってしまった。


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二矢忌

2011-11-04 12:15:24 | インポート

十一月二日(水)晴れ。二矢忌。

 今日は、五十一回目の「二矢忌」である。すなわち山口ニ矢烈士の命日。烈士は昭和十八年二月二十二日東京生まれ。二男で、二月二十二日生まれと「二」の字が続いたことから、父は「二矢(おとや)」と命名したという。

 

 昭和三十五年十月十二日、烈士は日比谷公会堂で演説中の浅沼稲次郎を刺殺、現行犯逮捕された。烈士は当時十七歳であった。携行していた檄文には、「汝、浅沼稲次郎は日本赤化を謀っている。自分は、汝個人に恨みはないが、社会党の指導的立場にいる者としての責任と、訪中に際しての暴言と、国会乱入の直接の煽動者としての責任からして、汝を許しておくことは出来ない。此処に於て我、汝に対し天誅を下す。 皇紀二千六百二十年十月十二日  山口二矢」と認めていた。

 

 烈士は、同年の十一月二日、東京少年鑑別所の個室で、支給された歯磨き粉で壁に「七生報国 天皇陛下万才」と記しシーツを裂いて縄状にし首を吊り、自決した。

 
 昨年は、日比谷公会堂において、烈士の五十年祭が盛大かつ厳かに執り行われた。

 

 昼間は、愚妻と共に一時間半ほど歩いた。原稿を書かなければならないのだが、どうも調子が出ない。たいした枚数でもないのに呻吟している。頑張らなくては。

 

 夜は、久し振りに友人等と東京で待ち合わせての一献会。もう最後は何処で飲んだのか記憶が無いくらいになって、深夜三時過ぎに自宅に戻った。久し振りの大破・轟沈である。


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