白雲去来

蜷川正大の日々是口実

チョット風邪気味かな。

2009-12-22 09:12:18 | インポート

十二月二十一日(月)晴れ。

 「寒い、寒い」と言う子供達を、「子供は風の子」とはっぱをかけて送り出す。そう言えば、私が子供の頃も、母に同じことを言われて学校に行ったものだ。

 

 昨日、コートを着ずに出かけたせいか、何となく風邪気味である。午前中に細々した用事を済ませて、午後から、忘年会の会場となるお店に打ち合わせに行くつもりで家を出たが、どうも調子が悪い。

 こんな日は、安静にしているのが一番と、薬局で風邪薬と「ユンケル」を買って、自宅に戻った。薬のせいか六時近くまで寝てしまった。起きると、寒気や頭痛が嘘のようにとれている。

 本当は、六時から、友人の忘年会がインターコンチネンタル・ホテルにて行なわれるのだが、こんな体調で出かけて、ぶり返したら大変と、失礼ながら「心参」とした。

 寒いので、夕食は鍋にした。今日は、日本酒鍋である。鍋に日本酒を入れて、アルコール分をとばし、キャベツと豚のばら肉を入れて食べる。ポン酢が嫌いなので、私は、醤油ダシで食べた。さあ最後のうどん、と言う時になって、電話が入り、今日は、七時から、自宅の近くの焼肉屋「清水苑」にて近所のオヤジ達との食事会があり、すでに皆が集っているとのこと。

 慌てて、出かけた。それでも、体調が良くないので、余り飲まずに早々と帰宅。すぐに布団に入った。


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ロコモーションの時代。

2009-12-22 08:50:05 | インポート

十二月二十日(日)晴れ。

 分かっていても、つい「寒い、寒い」という言葉が出てしまう。日曜日だと言うのに、上の子供は部活で学校へ行った。子供が大きくなるにつれて、休みも一緒に過ごすことが少なくなった。せめて日曜日くらいは、部活も休みにして欲しいものだ。

 

 そういう私も、今日は三時と四時と、忘年会が二つも入っている。まずは、三時から藤巻強氏らの忘年会がある。二時半に、松本佳展君に迎えに来て貰い、途中、井土ヶ谷駅にて清和崇君をピックアップして会場となっている、「ニューシフォン」へ。ごく身内ばかりの集まりなので、のんびりしようと思ったのだが、四時から、サリーの友人で「19年会」、つまり昭和19年生まれの人達が主催する年末のパーティーがあるので、皆さんにご挨拶をして中座した。

 

 松本君に送って頂き、関内駅前にあるビルの十一階、「リトル・ダーリン」へ。すでにパーティーは始まっていて、盛り上がっている。いつものサリーファミリーに挨拶して席に着いたが、私達より五、六歳上の人達が元気にバンドに合わせて踊っている。

 

 その中に、歳相応な体を弾ませて、一心不乱に踊っているオバハンが目に留まった。失礼ながらボンレスハムがポシェットをかけて弾んでいるようだ。スゲェーナァーと思って見ていたら、私の視線に気がついたサリーが、「マー坊、あれ○○だよ」。エッーと絶叫してしまった。私が高校生の頃にジャズ喫茶(分かるかなぁー)やディスコなどで見かけた○○だが、当時の面影など全くない。いくらか好きだった分、チヨット悲しかった。それでもお互い様か・・・。

 

 目が慣れてきて、良く見ると、周りは、オジサンとオバサンばかり。還暦前のサリーや私などが若い方なのだから、その場の雰囲気が想像できよう。

 

 携帯電話のCMで、スマップが「ロコモーション」の曲に合わせて歩くものがあるが、その「ロコモーション」という踊りがあるのを若い人は、恐らく知らないだろう。前の人の肩に手を置いて、数珠つながりになって、曲に合わせてステップを踏むものだが、会場に来ている人達の殆どが、踊れるのには、笑ってしまった。スマップのメンバーに教えてやりたいものだ。もちろん私も覚えています。その曲が流行った60年代、確か、日本では、伊東ゆかりがカバーしていた。

 

 それでも、皆さん元気で、バンドも19年生まれの人たちとは思えないほどパワフルで、60年代にヒットした曲を演奏していて、とても良かった。それもかなりオシャレな人達が多かった。きれいに歳をとる、ということを実感したパーティーだった。

 

 二次会には、十人ほどで、尼野保君の経営する、大通公園前の炉端焼き「花笠」へ。古谷喜久男氏が合流。その後、山下町のラッキーの店に寄って帰宅。


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