私も年をとったためか、郷土を読んだ「上毛かるた」のことが気になって昨年から少し調べ始めました。自宅にはこのかるたが無かったので書店で買い求めました。群馬県の書店ではどこでも手に入れることが出来ますが、東京では神田のカルタ専門店「奥野かるた店」で購入出来るはずです。
今月は群馬県庁二階の県民コーナーで「上毛かるた原画展」が開催されたので見学に行きました。原画は水彩絵の具で描かれ、絵札の大きさは2L程度、箱の絵はB5位でした。他に県内各地のご当地カルタ30種を見ることが出来、県民のカルタ好きを改めて確認することが出来ました。その中で一番自己主張が強かったのが館林で作られた「足尾鉱毒事件 田中正造かるた」です。三國連太郎主演の映画『襤褸の旗』や佐野市の田中正造旧宅のことも思い出しました。
さてこの「上毛かるた」の誕生の経緯は西片恭子著『上毛かるたのこころ─浦野匡彦の半生』を読んで知ることが出来ました。
『上毛かるた制作趣旨書』
終戦直後の国内の混乱と退廃は、その起因とする処郷土愛の欠如に在ると言って過言でない。
烈しい祖国再建の意欲は、郷土を再認識し、郷土に対し敬愛の念を抱くことによって盛り上がるものと信ずる。
特に夢を失った若き者達に郷土愛を植えつけ、彼等に崇敬と憧憬のの対象を与えることこそ国家百年の大計ではあるまいか。
ここに本会が「上毛かるた」を発行せんとするのは、我等を育んだ郷土の風物、先駆者、歴史等から幾多の希望と教訓とを汲みとり、祖国再建の原動力となさしんとするするものに他ならない。
然して、その発行による収益は、戦争の打撃に依って窮乏の生活にあえぐ多くの犠牲者の更生の機会と意欲を与えるべき援護資金に充当し、より平和な郷土を、ひいては新しき日本の建設に役立しめ様とするものである。
このかるたが制作された当時(1947年)の社会情勢が色濃く反映された趣旨書です。この本には明言されていませんが編集者達の頭には長野県の県民歌「信濃の国」
や秋田県民歌
があったと想像されます。「信濃の国」は以前から知っていましたが、秋田県民歌の存在を知ったのはつい最近です。念のために秋田の知人にメールで問い合わせると彼の母校(秋田高校)の校歌にもこの歌の影響があります。しかし佐藤信淵はともかく、平田篤胤まで無理やりに尊敬させらるのはどうかと思う。
群馬の書店では上毛かるたの隣に『群馬のおきて』が並んでいることがしばしばですが、この上毛かるたを「群馬県民の共通言語」として持ち上げています。
でもこれは誇張です。私の学んだ小学校で授業で習ったことはありませんし、地域の子ども会なども熱心ではありませんでした。このことは同級生にも確認しました。家庭では「小倉百人一首」を楽しんだ記憶しかないのです。それでも何となく知っていたのが不思議です。まぁこれらのかるたや県民歌などは地域の「広告」なのだと理解しています。
広告を広告する
ついでだから、ここでちょっと休憩をかねて広告を広告させてもらうと、別に広告というのは資本主義に特有の産物じゃありません。神代の昔からありました。神話というのはだいたい広告的な働きを持ったもので、「古事記」とか「日本書紀」というのはこの国の成り立ちを広告的に書いたものだし、いまの平和憲法だって、日本の国体を内外に広く広告するする働きがあります。天野祐吉『成長から成熟へ─さよなら経済大国』131ページ
それでも気になる札が何枚かあります。
(け)県都前橋生糸の市
(ろ)老農船津傳次平
(わ)和算の大家関孝和
間を見て調べることにします。
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今月は群馬県庁二階の県民コーナーで「上毛かるた原画展」が開催されたので見学に行きました。原画は水彩絵の具で描かれ、絵札の大きさは2L程度、箱の絵はB5位でした。他に県内各地のご当地カルタ30種を見ることが出来、県民のカルタ好きを改めて確認することが出来ました。その中で一番自己主張が強かったのが館林で作られた「足尾鉱毒事件 田中正造かるた」です。三國連太郎主演の映画『襤褸の旗』や佐野市の田中正造旧宅のことも思い出しました。
さてこの「上毛かるた」の誕生の経緯は西片恭子著『上毛かるたのこころ─浦野匡彦の半生』を読んで知ることが出来ました。
『上毛かるた制作趣旨書』
終戦直後の国内の混乱と退廃は、その起因とする処郷土愛の欠如に在ると言って過言でない。
烈しい祖国再建の意欲は、郷土を再認識し、郷土に対し敬愛の念を抱くことによって盛り上がるものと信ずる。
特に夢を失った若き者達に郷土愛を植えつけ、彼等に崇敬と憧憬のの対象を与えることこそ国家百年の大計ではあるまいか。
ここに本会が「上毛かるた」を発行せんとするのは、我等を育んだ郷土の風物、先駆者、歴史等から幾多の希望と教訓とを汲みとり、祖国再建の原動力となさしんとするするものに他ならない。
然して、その発行による収益は、戦争の打撃に依って窮乏の生活にあえぐ多くの犠牲者の更生の機会と意欲を与えるべき援護資金に充当し、より平和な郷土を、ひいては新しき日本の建設に役立しめ様とするものである。
このかるたが制作された当時(1947年)の社会情勢が色濃く反映された趣旨書です。この本には明言されていませんが編集者達の頭には長野県の県民歌「信濃の国」
や秋田県民歌
があったと想像されます。「信濃の国」は以前から知っていましたが、秋田県民歌の存在を知ったのはつい最近です。念のために秋田の知人にメールで問い合わせると彼の母校(秋田高校)の校歌にもこの歌の影響があります。しかし佐藤信淵はともかく、平田篤胤まで無理やりに尊敬させらるのはどうかと思う。
群馬の書店では上毛かるたの隣に『群馬のおきて』が並んでいることがしばしばですが、この上毛かるたを「群馬県民の共通言語」として持ち上げています。
でもこれは誇張です。私の学んだ小学校で授業で習ったことはありませんし、地域の子ども会なども熱心ではありませんでした。このことは同級生にも確認しました。家庭では「小倉百人一首」を楽しんだ記憶しかないのです。それでも何となく知っていたのが不思議です。まぁこれらのかるたや県民歌などは地域の「広告」なのだと理解しています。
広告を広告する
ついでだから、ここでちょっと休憩をかねて広告を広告させてもらうと、別に広告というのは資本主義に特有の産物じゃありません。神代の昔からありました。神話というのはだいたい広告的な働きを持ったもので、「古事記」とか「日本書紀」というのはこの国の成り立ちを広告的に書いたものだし、いまの平和憲法だって、日本の国体を内外に広く広告するする働きがあります。天野祐吉『成長から成熟へ─さよなら経済大国』131ページ
それでも気になる札が何枚かあります。
(け)県都前橋生糸の市
(ろ)老農船津傳次平
(わ)和算の大家関孝和
間を見て調べることにします。
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