271828の滑り台Log

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福島原発と女川原発

2011-04-09 09:05:07 | Weblog
今度の震災で歴史的な原発事故に至った福島第一原発よりも震源地に近かった女川原子力発電所は緊急停止し、ステーション・ブラックアウト(全交流電源喪失)に至る事態にはなりませんでした。

福島では半径20km以内の住民を避難させたのに、女川では敷地内の体育館に360名もの住民を収容し、炊き出しまで行うことが出来ました。この違いは何なのだろと思わざるを得ません。東京電力と東北電力の違いなのでしょうか?

航空写真で見ると原子炉がやや高い場所に建設されていることが分かります。海面から14.5m高いところであることは東北電力のレポート「女川原発における津波に対する安全評価と防災対策」 (PDF)に図示されています。また今回の地震の前から注目されていた貞観地震(869年)にも言及されています。従って女川では設計段階で三陸という立地を考慮して地震・津波対策がある程度為されていたと想像出来ます。
福島第一原発の稼動開始は1970年、女川は1984年です。この14年間にどのような改良が為されたのでしょうか?原子力についは無知に等しいので、原子力百科事典を調べてみました。

まず気がついたのは原子炉のモデルとその格納容器の違いです。以下に示します。

福島は Dresden-2、女川は図にはありませんが、改良型のバーモントヤンキーです。そして原子炉格納容器は同じ Mark-1でした。

従って仕様もほぼ同じと見て良いでしょう。

違うのは着工の時間差です。

アメリカの開発の2年遅れで設計・製作・施行が進行している様子が分かります。設計がGE、製作が東芝、施行が鹿島でした。殆どのパーツが原子力向けの特注品だから描かれた図面は数万枚でしょう。
自動車の部品点数は2万/台、車は2円/gと大雑把に理解していますが、原発のグラム当たりの単価はちょっと想像出来ませんが、お高いのでしょうね。
営業運転が1970年なら、GEから青焼きの図面を受け取り、トレースして、必要な施行図まで書き上げるのは数年かかると見るのが適当でしょう。1960年代後半は高度成長期で、アメリカに追いつけの時代です。GEの技術者の指導の下にあった日本の技術者も設計段階で色々疑問をもったに違いありません。でも押し殺して仕事を続け福島原発を作り上げました。

日本の技術者も現場を踏んで、実際の営業運転からノウハウを蓄積します。同じ原子炉と格納容器であっても日本的な改良が加わり、東芝が主導権を持って、地震・津波対策をかなりやれたのが女川原発だったのでしょう。アメリカ人には地震・津波の怖さが分からない。

トヨタの車のアクセルペダルが戻らないとして社長が議会の公聴会に呼ばれました。日本も国会にGEの責任者を呼んでサプライヤーとしての責任を問うべきでしょう。

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