スカーレット手帖

機嫌のいい観客

天邪鬼

2015-09-23 | 観劇ライブ記
ようやく「柿喰う客」の劇団本体の公演を観ることができた。
それも下北沢。演劇っぽ~い。
「天邪鬼」観ました。てごわい。てごわかった。渋柿だった。
難しかった。頭痛がした。そして途中ちょっと寝た、ごめんなさい。


「五歳児のごっこあそび」のテイをした大人のあそび、
を模した複雑な環境の子供たちの道化、のふりをした異常な戦争下の状況、
かもしれないけど本当は嘘かもしれない、という感じで
めくらましにつぐめくらまし、天邪鬼じゃなくてマトリョーシカ状態で
どこまで剥いても本質が終点がわからない。
クラムボンはカプカプ笑ったよ。の、宮沢賢治の話(「やまなし」)を読んだときのような
めくらまされ気分になりました。

八百屋舞台で発表会のような幕で囲われた舞台の上と、その外側
という、ある意味観客も含め「中と外」というテイで見ているもののルールを
積極的にぼかしていく感じの仕掛けが考えさせられる。
それは開演前のお知らせから始まっているし、
舞台セット上にいる人が操り人形にみえるようなところもあるし、
学芸会の子供のような服装をした出演者がケープをつける・はずすというとこにも
何か意味があるかもしれないし、ないかもしれないし、
ますますわからない。
メッセージは「天邪鬼」の舞台の中でだけ有効なのかもしれないし、
社会風刺なのかもしれないし、
いや、むしろまっすぐに「演劇稼業をやっているわれら柿喰う客」からの自虐と自負と挑発なのかもしれないし、
ほんとうにわからないよ。

でも以前からこのHPみてて、
どこまでもこの目に優しくないショッキングピンクを突き通すあたり、
とっつきやすそうなふりして毒とトゲと攻撃、そんな爆弾を抱えている集団なんだろう
という気もするので、渋柿さもありなん。


ただもう、何よりも肉体の説得力というものはすごい。玉置玲央しか見たことなかったけど、全員すごい。
言っている台詞の内容はほぼ理解・首肯しがたい・あまり聞きたくないような辛いことが多いのだけど、
演じる役者の体の動きと声の勢い、伝えるんだ、この柿食え食え食え食えという感じが
ものすごい説得力でやってきて、見てしまった。

あと、しみじみ思ったのだけども
この、なんというか台詞とかそういう目の前の部分は具体的なようでいて、根本的に概念というか解釈がホワッとしている演目を脚本を、
演じる人々が全員共有して同じように力強い熱で表現する って恐ろしく高度というか職人芸というか集団芸というかあうんの呼吸というか、
この人たちはなんかすごい集まりやんけ
というシンプルな感想に至りました。


そんなわけで、90分、とにかくうったえかけられすぎて、
私はつかれました。
人間の圧がこわい。しかし、それが演劇だ

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