スカーレット手帖

機嫌のいい観客

テニミュ氷帝 ー驚愕の踊る若様跡部と周到な八代目引退興行ー

2016-07-26 | テニミュ
さて、氷帝である。
テニミュ、14年目の氷帝である。
東京公演に行ってきたよ。(7/15そして7/23昼夜)



とにかく今回は「踊る跡部」なのである。
それも尋常でなく踊るのである。
17才、バレエダンサー、跡部である。
すごい。
全然、先代をなぞっていない。
14年を経ても決して攻めの姿勢を忘れないテニミュには
だからこそ幅広い人材が集まってくるのかもしれない。

圧倒的に踊る、というか、舞う。
先代跡部の青木くんは圧倒的に顔面が綺麗でその点でひれ伏してしまうタイプの跡部だったが、
サードシーズンの跡部は圧倒的な舞踊型である。
あんなに手先足先まで神経が通っていて優美な動き、目を離したら3回転ぐらいしている人間には
ひれ伏すしかない、ということである。
やはり跡部は一点圧倒的ということが必要なのか。
演じる三浦宏規くんは、昨年「恋ブロ」で『もうすぐ17才』を歌い踊っていた少年である。
見ていてよかった若手俳優。

そして、17才はすばらしい。
顔も、舞い踊る姿も美しさのなかに幼さが香り、何よりも強いオーラになっている。
これまでのイメージにもまして、跡部の「若様」感がすごいのである。
樺地を引き連れている理由がわかるのだ。
「血統がよく、今後のポテンシャルにも多くの期待が持てるが、
 まだ一人で市中に解き放つのには心配になる若さなので、ボディーガードがついている」
という感じがすごくする。

そして特筆すべきは、すごく良い樺地だということだ。樺地がすごい。単体でも良いし、跡部とのバランスもよい。
若様跡部の味わいを引き出すキャスティングと演技指導、そして何より本人の資質に乾杯。演じるは八巻貴紀。
何を考えて樺地像を作り上げて来ているのか、ヒアリングに入りたい。
一緒に観劇に行った友人と「サードシーズンは跡部=牛若丸、樺地=弁慶」説にたどり着き、
ものすごい勢いで腑に落ちた。
多分、これもやっていくうちにバランスが変わってくる可能性があるので、
早めに見ておいてほしい。

あとの氷帝メンバーは、今の所申し訳ない、まだ目に入ってこない。
歌が音程リズムともとても難しそうで、懸命に食らいついているというのはわかる。
テニミュも14年ともなると、あらゆる王道メロディーは出尽くしたのか、
混み入った曲が増えるのだな。



さらに、青学で言っておきたいのは、
「きたか、中の人折り込みソング」である。
古田一紀である。
卒業祝いである。

・何もわからずラケットを振っていた時もベストテンションだった
 →オーディション?合宿?

・初めてコートに立ったとき、緊張したけど嬉しかったぜ
 →お披露目?不動峰初日?
 ※リョーマは多分緊張しないんじゃないかと思うので、
  初見時、ここで私は歌詞の違和感に気づいたのだった。

・それから繰り返している毎日、1日たりとも気を抜いたことはない、いつもベストテンションだぜ
 →それって、リョーマを極めて馴れ合わないように敢えて共演者とべたべたしないようにしてみたり、
  マチソワの間の過ごし方と睡眠のパターンをいろいろ検証して自分の最適解を見つけ出そうとしたりしていた
  古田一紀物語じゃないのか…

・スイッチは完全にオン
 →ねつしかねえ

バラードでしみじみとあの日の幻を振り返った2年前の小越勇輝卒業物語とはまた違う、
疾走感とつんのめり感の中に隠した達成の喜びの香りに、おばちゃん(私である)は泣いてしまう。
そして(あくまで場面との合致点を歌詞にしてるとはいえ)
そんな前向きな歌詞を振ってもらえるほどには、
古田氏もスタッフ陣に認められた座長になっていたのかなと思うと、涙が止まりませんよ。
セカンドシーズンの完璧リョーマの後任という、誰も怯むであろうポジションに対し、
野生の越前リョーマらしきものを捕獲してきた、という感じに
シーズン当初から期待と不安の両方を抱きながら見つめてきたが、
「自覚的なつもりで、抗いながらもいつのまにかテニミュの文脈の中心に飲み込まれていく主演俳優」の面白さという
新しい楽しみ方(逆にアイドルドキュメンタリーのようでもあった)を提供してくれた古田リョーマの
また一つのゴールを見届けることができそうで感無量であります。
※そういうブランディングもテニミュ側がやっているような気もするけど。おもしれえな。

そして、まだ聴けていないけどやはり青春学園の学校としての卒業ソングもあるようで。
これはまた楽しみにしておきます。

満を持して公式試合の手塚渾身の「一騎討ち」(ザイキいよいよ本領発揮である。さすが演歌事務所の若手)や、
フィナーレの「Do Your Best」(名曲すぎる)、
そもそも曲として泣いてしまう「夢をつなげ」(8代目のゴールデンペアが大好きな私だ)、
冒頭のストレートすぎるM1「オールフォーテニス」(すばらしいM1)など、
のっけから最後までまあ本当にこれでもかと卒業祝え、泣け、という周到な製作陣の意思をビンビンと感じる
サード関東氷帝である。
そしてまんまとそのフォーマット通りに泣いてしまう自分も愚か者め、という感じだが
いつものことだがテニミュには泣きに行っているようなものなので、
9月末の終幕まで、あと何回泣きに架空の関東大会の参観に行けるのか、自分でも非常に楽しみである。
目元の化粧は控えめにして、可能な限り劇場に足を運びたい。



みんな、テニミュ見てね。

鯨井康介くんのこと

2016-07-20 | この人のこと

まんまとお誕生日です

鯨井 康介(くじらい こうすけ)
生年月日:1987年7月20日
身長:178cm
血液型:B型
出身:埼玉県
所属:プロダクション尾木
google検索件数:約 63,100 件
(2016年7月時点)


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例えばわかりやすく対比するならば、
彼と同時期にテニミュにて同じ青学をやっていた城田優という俳優は、今帝国劇場でメインを張っていたりするのだが、
彼が舞台上手から現れ下手に向かってゆるりと歩みを進めながら客席を見つめるのに応じて、
その視界の範囲に捉えた最上手席から下手席に向かって座っている客がドミノだおし式に順番に死んでいく、
という、一網打尽方式の狩猟スタイルを持つ色男である。
加えてウインクなどした場合には、一族郎党がただちに安らかな眠りにつけるほどだ。

それに比べて鯨井氏は、
「1階E列24番」を狙い撃ちにするタイプのスナイパーである。
彼はまず、登場した瞬間に、「1階E列24番」の額の中心にパチンコ玉を当ててくる。
その後、同じ場所にとどめのごとくダーツの矢をすごい勢いでぶっ刺す。
そのようにして「1階E列24番」の視点を『鯨井固定』させたのち、
「1階E列24番」の肩口をトカレフでパンパンと打ってゆさぶり、
脛に長槍で傷をつけて立ち上がること能わず状態にした上で、
いよいよクライマックス、「1階E列24番」の心臓めがけて至近距離から短刀を差し込む。
そして最後の仕上げに腹のなかに時限爆弾をぶち込まれた状態で
「1階E列24番」は帰宅することになる。
嗚呼「1階E列24番」のダメージいかほどか。
帰宅後も弾け続ける鯨井爆弾、おそろしいことである。
その比類なき恐怖と力を周りに語らずにはいられない。
しかし周りにはその攻撃は行われておらず、彼女ひとりがその真髄を知るのみである。
そして繰り返される彼女の熱烈かつ迫真の解説によってひたひたじわじわと広がる鯨井殺法…

こわいな〜やだな〜こわいな〜



のっけから客席の殺し方のお話で失礼つかまつる。
あるいは長年の鯨井ファンからはこの見方、大きな「NO」をくらう可能性も高いが、
大変申し訳ない。鯨井康介氏、私は2016年に突入するまで、彼のことがざっくりとしか見えていなかった。
ただやはり名前は特徴的であるため、
若手俳優オタクの基礎練習としてのWikipedia巡り・WEBパトロールは過去に幾度も行い、
しかもなんなら何作か出演作は見ていたし、脇役で渋い演技をするのも見届けていたのだ。

それでもミーハーな私らしく、ようやく鯨井くん単焦点でカチリと視点があったのは、
この春の「舞台弱虫ペダル」のことだった。
ちなみに、「この人のこと」をいろいろ書いてきたが、
弱ペダを通じて唯一無二の部分が見えてくる人というのはとても多い気がする。
「舞台弱虫ペダル」、あらゆる若手俳優の魅力解像度向上装置としてものすごい威力を果たしているコンテンツだと思うぞ。
私自分の思い入れも相当強いからという気も存分にするが。
今後もテニミュと両輪で、極力シリーズの進行を見つめ続けさせていただく。


で、鯨井康介に焦点が合ってしまった私だが、
その感想としては、ひとことで集約すると「てえへんだ」である。
とてもやばいことになる、と思った。

しかもそのやばさといったら、
「南部鉄器最後の後継者」とか「江戸流和金の平成唯一の飼育者」とかに
惚れてしまったときのようなタチの悪さを感じたのであった。
すなわち、何かと言うと、「職人」に惚れる心境である。
※職人の例はめっちゃくちゃイメージです。

職人は厄介だよ。
職人に惚れると、彼と私が主体−客体の存在ではなく、
どちらかというとその職人が何を極めようとしているのか、寄り添いたい気持ちになる。
なぜならば、彼が興味があるのは私ではなく研究対象物だからである。
俗なものを持ち込んではいけない気持ちになる。
道を極めようとしている人はその求道の精神が美しいのであるからして、
俗人が邪魔をしてはいけないではないか。
そして、職人が極めようとしている対象物を後方から一生懸命眺めるような、
最終的に誰よりも尊い修行者のようになってしまう。


さて、例えにつぐ例えで、自分が一体何を言いたいのかどんどん分からなくなってきているのだが、
とにかくスナイパー俳優職人にロックオンされた私のビジョンにはこの春以降鯨井ズームが搭載された。
弱虫ペダルの次作「ナミヤ雑貨店の奇蹟」そして次次作「bare」をまんまと見に行ったのだが、これはやばい。

舞台上の彼は際立って美しいではないか。

この人はまず、頭身がおかしい。
まあそのことには弱虫ペダルの時に気がついていたのだが、頭が小さく脚が美しすぎる。
スタイルに見とれてしまう。でも決して非現実的なたたずまいではなく、ちゃんと生きている人間を感じる。
そして発声がとてもしっかりしているので、身動きするたびに光を振りまくかのごとくである。
直近のbareでは学校一のイケメンという設定であったが、
舞台に出てきた瞬間、制服を着崩して尚決まるその容姿のフォルムと振る舞いの完璧さに、本当に
「ハアァ〜どんな女も一旦は惚れる」という気持ちでブンブンと首肯したほどである。
いや逆にこの華をどうやって隠していたのか、そちらの技法を小一時間ほど問いただしたい気持ちでいっぱいである。
脇のときにはスッと引けるのだし、前に出るときには風呂敷をこれでもか、どひゃーと広げられるのだし、このバランス感覚は本当に職人だ。
鯨井くんは日本舞踊の素養があるということで、そうか、こういうところからもなんだか職人性を感じるのだろうな、と思う。
あとは、声優などの仕事のイメージも職人感を強めている気がする。
そして、本領は芝居だ。すごくうまい。ここまでの3本、作風がどれも違う中で、とりあえず毎回泣かされている。
しかもあまり意識していない時代もデスティニーの役とかよかったなという記憶があるくらいだ。
そして本人が芝居を好きなのはよくわかる。
ただ啖呵を切る際の音色に若干、平泉成を感じることもある。おもしろい。
彼は多分、このキャリアの長さからいうとまあ本当に数々のいろんな仕事をやってきたので
何を今更だと思うが、私はことごとく見逃しているので、朗読劇などでじっくり見せていただきたい。

あと特筆すべきは文章がうまい。
若いときからのブログの痕跡が残っているが、読み込んでしまう。
最近のSNSでも簡潔におもしろい。無駄なことを書いていないのにユーモアがある。
おそらくとても頭がいいんだろうと思う。
そしてそれと関連するのか、人との距離感がすばらしくよい気がする。
男性はもちろん、女性共演者とも自然な距離感で慕われている様子がよくわかる。
人生経験が同世代の1.8倍ぐらいあるのではないか。
職人かつ溢れ出る人間味。恐ろしいハイブリット機能の持ち主だ。このやろう、今後も見るしかない人ではないか。



ちなみに、毎回思うのだが、
このようにいきなり魅力に気づくとなぜ前回まで自分の視野に靄がかかっていたのか、
その時に戻って己を全力で張り倒したい気持ちになる。
ほんとうにまあ、このことについてはオタクの道を分け入り進めば進むほどに
毎度デジャヴのように起こる事象である。
「いきなり恋してしまったよ 夏の日の君に」(夏の日の1993)といったような
突然の助平丸出しになるよ。

しかし人生とは総じてそういうことなのかもしれず、実はほとんどのことには靄がかかっているのだろう。
今見えているものも、そのうちに靄がかかってしまうかもしれないのだ。
そして、視界だけではなくて記憶にもどんどん靄は立ち込める。
今見えているものも今感じて考えているものも、絶対にこれは重要だと思っているものも、
だいたい気づけばうっかり遠く、靄の中にある。
このまとめの段階に入って突然の文学的表現はなにゆえ、といった感じだが、
これは最近会社の引越しで重要書類をダンボールに詰めたら、蓋を開けないまま数ヶ月難なく乗り切ったことがあり、
「ああ、人間は見えないといらなくなるんだな」としみじみ思ったわけである。
そういうわけで、是非焦点があっているうちに、好きな自覚があるうちに、
むしろ意識のあるうちに、様々なものを見届けに行く必要がある。
見つけたその日が見に行くべき日ということであろう。

ということで、鯨井康介さん29歳のお誕生日おめでとうございます。

太田基裕くんのこと

2016-07-14 | この人のこと

太田の時代がくるぞ

太田 基裕(おおた もとひろ)
生年月日:1987年1月29日
身長:178cm
血液型:A型
出身:東京都
所属:株式会社アバンセ
google検索件数:約 195,000 件
(2016年7月時点)


事務所プロフィール
本人ブログ



女子の15歳のピチピチフレッシュ感は男子の20歳に通ずるものあり。
女子の20歳の無敵感は男子の25歳に通ずるものあり。
女子の25歳のピーク感は男子の30歳に通ずるものあり。

女は早熟だが、その勢いに乗って、心身ともにあらゆる過渡期は早めにやってくる。
25を超えた女子は、ゆるやかな世の中の強制力で「おとな(女)」というものにシフトしていって、
仕事、結婚、出産、生活、それぞれ
「やりようと目的は人それぞれだけど、なんかそろそろマジでかからねばならない」
というフェーズに入っていく。(と実体験も交えて思う。)

男はもう少しあとだ。問題は30だ。
女より5年「遅い」のか、5年「猶予がある」のか。そこらへんものは言いようという感じだが、
まあまあとにかく男子は30まではいかようにしていてもヨシ、少年でいてもやむなし、ざっくりそのような認識だ。

逆に、30からどのようにブーストをかけて本格的にふかしていくのか、男の生きざまを見たくなる。
見てどうするのか、と言われるだろうが見たいのだ。私はまあまあ暇なのだ。
30過ぎて男の人が自分の人生のハンドルを握っていなさそうな様を感じるとやや幻滅する、とも言える。


そんな勝手にキー年齢・30歳を目前に、
地道に用意してきたパズルが突如として揃いだす予感がするのが太田基裕だ。
2016年夏、リーチがいっぱい揃ったビンゴカードを握りしめる男、
今回はそんな太田くんについて、考えを述べたいと思います。

私が初めて太田くんの存在を認知したのは弱虫ペダル初演時のお知らせだったと思うが、
当時(2012年冒頭)の私はまだ舞台系若手俳優の世界の扉を開いたばかりで、
若い男子の個体識別能力が著しく低く、
とりあえず現役テニミュメンバーを覚えることで必死だったため、直近のOBである彼については
実のところ、特徴がよくわかっていなかった。
その後、2013年4月〜「あまちゃん」の北三陸観光協会に置いてあるうちわの人、として
顔面イメージだけを結構な頻度で接触した後(※)、
その夏から劇場で観始めたペダステインハイ編以降、定期的に活躍をチェックする中の一人になった。
※NHKのバラエティ番組「祝女」の中のユニット「無限男子」のうちわが小道具として置いてあったのです 
 暇と録画がある人はご覧ください 結構映っています

それから3年。
弱虫ペダルシリーズをはじめとして、つかず離れず彼の活躍の様子を観てきた。

正直に言うと、彼、太田基裕は、当初このような印象の人であった。

・綺麗で感じのいいお兄さん、だが整いすぎて味がみえない
・背は高くて小顔だけど線が細い
・モデルでもない、ダンサーでもない、演技めちゃうまなわけでもない、歌手でもない
・ただし『特に欠けたところもない』

この、突出したところはないけど平均点は高め、というパーソナリティ、
フレッシュさの中にもキラリと光る一点突破の魅力、または
ある種の「未熟さ」を愛でたくなるのが主流の若手俳優のファンの中では、
幾分か地味な立ち位置な気がしていた。
好きな人は好き、な「閉じた」タイプの人気といいますかね。

ただ、そんな太田氏、若手俳優の中でもSNS支持率が高い。
積極的に共演者とのやりとりを発信しては、ファンにがっつり刺さっている。
ただ、あまり強いポリシーや抱負を述べてファンを引きつけたり、ヒヤヒヤさせたりするタイプではなく、
たわいもない、日常的なふわふわしたことをつぶやいている。
そして、そんなふわふわした姿勢を含めて潜在ファンがそこそこついている。

そんな言動をしばらく見つめているうちに、だんだんわかってきた。
彼の魅力のコアは、「目元から薫るタイプの、隠しきれない育ちの良さ」である。
表情や立ち居振る舞いからも、本来的に育ちがいいのが隠せていないように思う。
笑顔でできる目尻のシワの中に、「品」が幾重にも織り込まれている。
金持ち!とかそういうのじゃなくて、ふつうに、しっかりした家庭で大事に育てられたタイプの、育ちの良さである。
言動が多少不明な時があったとしても、基本的には満たされた、安定した、そして真面目な人格なのだろうことが窺い知れる。
実際、舞台の上でも育ちのよさそうな役との合致感がすごくいい。本人に近い物があるからだろう。
この「にじみ出る、育ちの良さ」は、地味ながらも今後長年にわたって生きる強力な武器になるだろう。

そしてもう一つのギフトは、「ナチュラルに綺麗」である。
綺麗で特徴がない、を逆手にとった、「ひたすらに綺麗」な男性であるということ。
顔が小さく手足が長く、化粧も映える女顔なので女形もいける。
この分野では、割と同世代の中でも無双なのではないか。
マグダラなマリアシリーズなどで女性の格好をした際のSNSの拡散力は素晴らしかった。
本人もよくわかっているのだろう。

その一方、毎度新しく作品を観に行くたびにどんどん声が出るようになっているのは、
実務の中での地道な訓練の積み重ねを感じる。
根本的に、訓練して会得するのが身についているタイプの人間なのだろう。
ここにも教育が行き届いている家庭の存在を感じずにはいられない。

2.5次元ジャンルの隆盛の中、波に乗っていろんな作品を実体化させ、
細々とした客演もこなし、月1回レベルの勢いで新しい作品に出続け、
そのようにここ数年せっせと貯めたリーチがここにきてビンゴ待ち状態になってきた2016年夏、太田基裕は辿り着いた。
東宝作品「ジャージーボーイズ」日本初演キャスト。場所はシアタークリエであります。
しかも、何気に番手が準主役級である。
品の良さとしなやかさ、その2大魅力がハイブリッドで迫り来て、舞台上で連日確変を起こしている。
スパークする魅力。すばらしい。
歌も芝居も、芯が見えてきて、そのまっすぐさが心地よい人である。


冒頭で男は30だという話をしたのだが、なんだろう、太田くんを見ていると、
「若手社会人の、会社での戦い抜き方」みたいなものを感じる気もするのだ。
いつもの俳優陣を応援する気持ちとは、似ているようで少し違う。
同世代として発奮させられる気分になる、ということだ。彼の生き方は、大いに参考になる。

大博打は打たない(いや打ってるのかもしんない、ほんとはオーディションとか受けてるのかもしれない わからんけども)ながら、
自分が求められる場にはしっかり細かく応え、とにかく打席に出て行く、そしてバットを振っていく、
その中で経験を積んで人脈を広げて、能力を少しずつ開花させていく。
多分、くさりたくなる仕事もタイミングもあっただろうが、一個ずつ片付けていく。
そうして数をこなすうちにいつのまにか少しずつ、仕事のボトムラインをあげて行く。
自分の魅力を生かせる可能性の糸を、どんどん太い綱に練り上げていく。
いやはや、そのような着々としたところがすごい。そのような働き方ができるのも、育ちがいいからだろう。
(何を言っても今回はこの結論に結びつける予定だということがひしひしと伝わっているでしょうがその通りだ)

真面目である。顔の綺麗な人というのは基本的にあまり人情を感じられないものだが(ひどい)、
情の有無はともかく、努力の積み上げの姿勢に人間味を感じるひとだな、というふうに思う。


芸能は水物、人気は株式市場動向みたいなところがあると思うが、
太田基裕、彼は完全に今「買い」でしかない男である。
この後は梅芸作品、そして新国立での主演も控える。
いま見つめ始めたら最後、
ここから先しばらく連発されるであろう爽快なビンゴを、身内の気持ちで寄り添いながら見届けることができるだろう。
You can't take your eyes off of Motohiro Ota.


ということで、
そんな太田くんは2016年7月いっぱいシアタークリエの舞台でお待ちになっているので、
とにかくみんな、一刻も早く有楽町に行ってほしい。ジャストナウ。

観劇との関係の近況

2016-07-13 | わたくし

わたくし、本格的に東京に来て、2年ほどたちます。

うっかりすると息を吸うように連日劇場に足を運べてしまうこの街が怖い。
あれほど非日常だった「好きな俳優を見る」「気になる演目を観る」が、
一大決心もなしに出来てしまう。恐ろしいことです。
離れたところから自分勝手に妄想をたぎらせる暇もないままにひとまず実体があり、
見てしまわざるをえない状況である場合に私が出来るアウトプットというのは、
それはもう理想もくそもない、そのご本尊様の今のありようの写生・賞賛、という感じになってしまいます。
この距離の縮まりについては嬉しくもあり、寂しさも感じています。
まず、こちらとしてはどんどん情報量がたまっていくのに、
目撃する一挙手一投足の価値が、機会拡大により有無を言わさず単価が下がっていく感じになるのがつらい。
そして、人間関係を営んで生きているものの哀しい性として、
対象者との物理的に距離が近くなると、次は心理的な距離を詰めなければいけないような気がしてくる。
でもそれはなかなかかなうものではない。その感覚は、正直とてもしんどい。
1週間に3回見れたとしても、結局は3か月に1回見ていた時と関係性はなにも変わらないのだから。

このような心境と距離感の中、
それでも飽きずに劇場に足を運ぶという状態を保つためには、
あえて少し心を不感症に保っていなければいけない、そんな気がしています。

・・・ただね、観劇なんていうのはそもそも、
金を払いながら、自分の精神状態を嬉々として素っ裸の過敏症状態にしに行っているようなものなので、
無理やり丸呑みするかのような味わい方でないと日常生活に支障が出るというのは、本末転倒というか、
なんなの。好きっていえない女子高生なの。哀しすぎるやん。やっぱ好きやねん。

まったく求められていないとしても、君かその周辺かなんかしらんけど誰かに届け。
自分の中に脈々と続く妄想と思いこみによる大仰な言い回し、
静かなる熱狂のちんどん屋的散文で私を取り戻してみたく、
やはり文章を書いていこう。ふつふつと溜まっている思いなどをもとに、
「この人のこと」などもふたたびしばらくやってみようと思います。