スカーレット手帖

機嫌のいい観客

【今更】2016年の観劇まとめ

2017-03-14 | 観劇ライブ記
■2016年 観劇記録
12/28 RENT 来日版
12/25 テニミュ六角(東京楽)
12/22 テニミュ六角(東京初日)
12/17 プリシラ
12/11 パタリロ!
12/10 チア男子
12/8  雪組新人公演「ケイレブ・ハント」
12/6  雪組本公演「ケイレブ・ハント」
11/26 あずみ
11/23 マーダーバラッド
11/19 星組本公演「桜華に舞え」
11/12 四季 壁抜け男
10/29 リトグリ 立教大学学園祭
10/19 スカーレット・ピンパーネル
10/14 恋するブロードウェイ♬
9/22 テニミュ氷帝
9/10 リトグリ 清水公演
9/6  インフェルノ
9/4  瞑るおおかみ黒き鴨
9/3  リトグリ 日比谷野音
8/28 テニミュ氷帝(名古屋・マチソワ)
8/6  アイワズライト
7/30 ブリーチ
7/25 三人どころじゃない吉三
7/23 テニミュ氷帝(東京・マチソワ)
7/15 テニミュ氷帝
7/12 エリザベート(帝劇)
7/7  ジャージーボーイズ・白
7/2  bare
7/1  ジャージーボーイズ・赤
6/18 ラディアントベイビー(マチネ)+極上文学「春琴抄」(ソワレ)
6/11 トーテム(シルクドゥソレイユ)
6/8  ラディアントベイビー(RENTコラボ回)
6/7  また逢おうと竜馬は言った
6/5  曇天に笑う
5/21 ドリライ
5/10 1789
5/8  1789
5/4  雪組本公演「るろうに剣心」
4/23 ナミヤ雑貨店の奇蹟
4/17 1789
4/1  Show る・リアン
3/27 弱虫ペダル総北再始動篇(KAAT)
3/21 弱虫ぺダル総北再始動篇(オリックス劇場)
3/19 さよならソルシエ
3/4  四季 ライオンキング
2/14 テニミュ山吹
2/13 テニミュ山吹
2/6  The Love Bugs
1/31 The Love Bugs
1/23 ロボ・ロボ
1/17 真夜中の弥次さん喜多さん

出動52回、大体週1回は何らか観に出かけているような感じであった。
欲を言えばきりは無いけど、2015年の分も含めて、とりあえず当面観たいものは観散らかした、ということかもしれない。
なんとなく自分の好みもわかってチケット取るようになったので、これは大ハズシ、という演目はなかったかなあ。
(あずみぐらいか?予測はついてたけども)
ホントに、観劇はある程度鑑賞の場数をかましてこないと面白みがわからない。
出てる人は基本マイナーだし、かといってメジャーな芸能人が出てるからその演目が面白いわけでもないし、
自分のコンディションもある。人が薦めても、自分がいいと思えないと無駄だったような気になるし、
ルールを作ってもその通りにもいかないし。こればかりはもう自分の嗅覚でやるしかないのだ。
そんなことを思ったので、去年は、好きな俳優が出ているからといって必ず観に行く、という形はやめてみた。
さらに、当初から複数回チケットを取っておくのもやめてみた。
そうすると逆に、行ってみて現場で感動してリピートをかました演目が多かったので
(1789とか、ジャージーとか、ラディアントベイビーとか)、見方としては上々だったかなあと思う。

さらに、思いがけず、
神席(5列目センター)で神というか黄泉の国にひきずりこまれて昇天のエリザベート、
前楽1列目で目が溶ける勢いで泣き続けた星組北翔海莉卒業公演、
というか最前ドセン・カメラ(撮影用)横で興奮し帰りに即発熱して寝込んだ地球ゴージャス、
など、
異常な経験をしてしまうこともしばしばあり、こういう5億円みたいな価値の時間が体感出来ることがあるのでやめられない。ほんとに非日常きわまりない。

ベストオブを決めろと言われると、
まあどの演目もとってもいいんだけど、敢えて私は「パタリロ!」を挙げたい。敢えての。
話全体のバカバカしさがすさまじく、原作の世界を守りながら変態、演者はノリノリで会場もピッタリ、
さらに物販グッズのデザインがすさまじくイケていた。最&高でした。
その他、主演女優:花總まり、主演俳優:中川晃教、新人賞:三浦宏規
というあたりですね。王道中の王道じゃねえか。
あとは鯨井康介の地力を目の当たりにしたり、ライオンキングはやっぱすげえなって言って泣いたり、
リトグリの全員の名前と個性を聞き分けられるようになったりした1年でした。

あとは正直まあこれだけの回数出歩けたのも、環境として

・職場が都心(平日夜が何かと動きやすい)
・東京駅まで定期通してある(有楽町は我が庭)
・重めの残業がストレスとチケット代に化けた(観劇予定をむりやりねじ込んで最悪の場合タクシーで駆けつけてた)

この3点があったことに尽きると思います。
2017年に入って、会社は同じだけど残業のない部門へジョブチェンジしたので
資金の面からまず駄目になっていくと思うのと、
逆にストレスもないので「何がなんでも今これ観ないと心が死ぬ」
みたいなこともなくなるかなという気がしてる。
今後は、あぶりスルメのように1コンテンツを舐め回すようになると思います。


■2016年 その他イベントなど
12/17 雪組橘幸お茶会
11/3  テニミュドリライDVDイベント
10/30 村井ハロウィンイベント
10/1 テニミュ山吹DVDイベント
9/25 テニミュ氷帝千秋楽LV
9/3  ペダステ総北再始動DVDイベント
4/23 雪組橘幸お茶会
3/26  テニミュルドルフDVDイベント

まあほとんどテニミュのDVD関連だけど、イベントも楽しかった。
出演者のみんなおつかれさまです。
毎度毎度言っているが、テニミュはどう考えてもコスパがよすぎる感動演目なので、
ほんとにこれからの生活の中にも自然に組み込んでいきたい。

お茶会は誘われて初めて参加したのだがこれまた独特の世界です。
宝塚の綺麗さで距離感めちゃくちゃ近すぎてもうドギマギする。「うわっ」て言ってしまうよ。
橘幸ちゃんめちゃくちゃかわいい。舞台では芸達者系だけど。
これまたリピートをかましたタイプの世界です。こわいね。


なぜこのタイミングで2016年を今更振り返ったのか、といわれると
「暇だったから」と、「もったいない精神」としか言いようがないのですが、
もし同じような演目を観に行った人がいたら、うれしいです。

1月の観劇「ノートルダムの鐘」「手紙」(後)

2017-02-10 | 観劇ライブ記
前回のつづきです。



ミュージカル「手紙」もなかなかつらい演目であった。

東野圭吾原作で、映画にもなった有名作。
たったひとりの肉親で兄が殺人者となり、突然十字架を背負って生きることになってしまった弟のひたすらに辛い半生を描いた作品。
昨年の初演の好評に引き続いて、再度の上演ということでした。


作中とにかく、世の中から「仕打ち」を受け続ける弟がつらい。上手くいきそうになるたびにくじかれる。いや、もうさっさと兄さんと縁を切ればいいじゃないか、としか思えなくなる。
そこを切ろうとせず、つなごうつなごうとしてくる女と結局は家庭を持つことになるのだが、しかしその生き方は周囲から受け入れられず、家族もろとも追い詰められてしまう という哀しさ。兄との繋がりそのものが、愛情も憎しみも自己嫌悪もすべて籠ったアキレス腱である。

しんどすぎる。


演出が凄かった。演出藤田俊太郎氏。読売演劇大賞おめでとうございます。
日本の原作、日本のエンタメヒット作品からできた純粋なミュージカルを見たのは、「デスノート」に続いて2作目なんですが、(宝塚以外で。宝塚はまたこれ独特の世界観なので、ちょっと横においときますけど。)ここまで成立しているのに驚いた。
喜劇よりは悲劇のほうが作品にしやすいのかな?
私が去年熱狂した)ジャージーボーイズに引き続き、上段・下段をうまく使い、箱型の舞台装置を動かしながら、広くない舞台上が常時動かせる状況になっており、すごいなと持った。
そして息もつかせぬ曲の数々であった。何曲あったのでしょう。全部難しい曲だった。


役者について。
今回、兄を演じていたのは吉原光夫、弟は太田基裕のバージョンを見ました。

兄さんはさすがです。
あとはもう本当に何回見てもピエール瀧を思い出してしまう。歌がめちゃくちゃにうまいピエール瀧に見える。

そして太田のもっくんは、やはり何をしてもたたずまいの「育ちがいい」ので、兄の所業で引きずりおろされて打ちのめされる優等生という姿が似合っていた。そのまま普通に生きていたら使うことのなかったであろう感情のひだを、否応なく引きずり出されて戸惑う青年、という感じだった。
もう一人は柳下大がやっていたということでおそらく、より感受性の強い弟に見えただろうと思う。

もうひとり主要メンバー、兼役もこなしつつ、弟の妻になる小此木麻里ちゃんは小さいけどめちゃくちゃ歌がうまい。ジャージーボーイズにも出てましたね。ラプンツェルの歌担当。さらに戻ると、渡る世間は鬼ばかりの、東てる美の娘役ですよ。そう思うとすげー大きくなったと思う。関西弁でのしゃべり口がめちゃくちゃ流暢で、「あーこういう世話焼きの女、いる」という感じが100%。すばらしい。



それにしても、例えば白夜行とか秘密でもそうだけど、東野圭吾は『肉親』を絡めた「割り切れなさ」「切なさ」を描くのがうまいなあと思う。犯罪やミステリー装置という非日常感と、誰にでもわかる普遍的な人情に訴えてくる泣き所が共存しているので、多くの共感を呼び読者が絶えないんだよなあと思っている。
ちなみに最近、新参者シリーズの「祈りの幕が下りる時」を読んだばかりなのですが、これも本当に、なんとも言えない家族の話でした。こういうの本当にうまいよなあ… 
演劇好きにはなじみのある、浜町の明治座が舞台のひとつになっているのでぜひ。



ということで、長いかな、と思って続編にしたのに短くなってしまった。
単行本の上下巻販売戦略みたいな感じになってしまった。
そんなこともよくあるよね。

1月の観劇「ノートルダムの鐘」「手紙」(前)

2017-02-10 | 観劇ライブ記
なんやかんやありますが、元気に観劇をしています。


私は、自分のことをドメスティック人間アンド穏健な保守派アンド温室育ちという典型的な「善き(という自己認識の)日本人」だと思っており、そして人は善いかもしれないがわりと狭量だと思う。自由でいるつもりだが、経験の幅が広いほうではないので、ちょっとイレギュラーなことが発生するとすぐ動揺するし、なんやかんやで、いつの間にか刷り込まれた「あるべき論」に決断を揺さぶられることがよくある。
大人になってからは、できるだけ自分の中で出来上がった価値観を揺さぶられないように、身を置く集団を注意深く選択しながら生きてきているところもある。常に多数の現状肯定派としての歩みを進めることになるので、それは楽なことではある。一方で、ああ、こうしていろんなものがゆっくりと硬化していくんだろうなあ、という諦めのようなものもある。
動かさない筋肉は鈍くなってしまう。

そんななか、もはや久しく動かなくなった筋肉を内側から刺激してくるような作品を去る1月は連続で見てしまったので、外側からはそうは見えないかもしれないですが結構なダメージを負っている、という話を今からします。



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差別とは、考えるのはもちろん、口にするのもしんどいことである。

が、どんなに理想を語ったところで人間が複数いればどんなに小さい世界にも確実に存在するし、差別がありうる世界で生き抜く一人の者として無意識的にやることは、平たく言って「できる限り終生、自分が差別されないように立ち回る」、ということでしかない。
そう、自分のことをどうにかする、という、シンプルに言えばそれだけ。根本治療は考えられない。幸いにもそちら側に行ったことがない者としては、鬼ごっこから逃げ続けるだけ、という感覚がある。


「ノートルダムの鐘」
は、名作「レミゼラブル」作者のヴィクトル・ユーゴーの作品で、ディズニーアニメで有名。このたび劇団四季でミュージカルになるというので、気になって観てきた。
差別用語に敏感でなかった時代は「ノートルダムのせむし男」という名前で堂々出ていたこの作品。
ディズニー版の、「ほんとはいろいろ言いたいことあったんだけど、うまいこと勧善懲悪でまとめておきました」というハッピーエンドではなく、割り切れなさ満載の、とても演劇的な作品になっていました。
ディズニーのあらすじはウィキペディアしてください。


観劇時のキャストはこちら。




観て思ったのは、
「この作品のメインキャラクターはどう考えても幸せをつかむのが全員厳しいので、見ていてつらい」
ということでありました。


一番びっくりしたのが、

フロローの最愛の弟がジプシー女と出奔した挙句、形見として残された異形の甥=カジモド

という因縁複雑に絡み合った設定。

厳格な聖職者を目指す身でありながら心の底では少し羨ましく感じてしまっていた自由な弟、そして立場上けして許せない憎むべき無法者でありながらも己の眠れる性への衝動をかき乱したジプシー女、その間に生まれた甥が醜い化け物のような姿の子。頼れるものは自分しかいない無力な存在が、激烈な愛情と憎しみと欲望の掛け合わせた化身である、という、この設定だけで普通の芝居の1幕ができてしまいそうな濃さに圧倒されつつもここはプロローグ。これすごくないですか。カジモドとフロローが血がつながってるんですよ。唯一の肉親ですよ。
(ディズニーだと、自ら排斥したジプシーの女が遺した子だった。)

若干、ここの因縁のインパクトがすごすぎて、話のメインのイメージがあった、エスメラルダを軸とした四角関係よりも、この二人の互いの認識はどうなってるのかということにばっかり頭がいってしまいました。
まあカジモドにはその事実は伝えていないと考えても、フロローはどういう意識で「ご主人様」と呼ばせていたのか。呼ばせるたびに嗜虐心が満たされていたのか、いやいや、見ようによっては傷を抉り出す一種の自傷行為のようなものにも見えるけど、フロロー本人は施しを与えて心底満足しているようにも見えるし、真相やいかに。
食事や教育は与えられるものだけで、でもネグレクトされているわけでもないようで、ある程度はかまってくれるフロローに、すくすくと卑屈に育てあげられ、常におびえながらも素直で従順に仕える青年カジモド。
「愛憎あいまみえる甥を塔に幽閉」という、この設定を乗り越えて平然とカジモドを仕えさせるフロローは、ナチュラルに心がある程度壊れた人間ではないか、と思わせ、大変心配になると同時に、「主役はこのおじさんなのではないか」という気持ちが高まる。フロローが自ら内包する慈しみと憎しみの間で揺れるどうにもできない感情を飼いならすように、狭い塔の中に閉じ込められるカジモド。
うーん、やはり主役はフロローおじさんではないか・・・


カジモドは素直な若者という印象。
演じていた海宝くんの好青年感、「陽」の雰囲気にも引っ張られているところが多分にあると思うけど。そして海宝くん、うまいのは知っていたけども、今作では、背中をまげて(つまり常時中腰)顔をゆがめたまま歌が全力で歌えるという驚異的な能力者ぶりを発揮。『無双』という文字を背負っているように見えた。いっぱい客がついているんだろうなあ。たまたま海宝くん登板時に見られたのはよかった。
という中の人話はそれとして。
塔の中にいるカジモドは人間としては清すぎて、「象徴」といったイメージ。「無菌状態」ですね。閉じ込められながらも守られていたのかもしれない。飛び出た瞬間に、人間としての喜びも厳しさも一気に身に浴びることになってしまった。

フィーバス隊長は「俗なお兄さん」という感じ。戦争を生き残った大変さというあたりも描かれており、隠れた陰気さ(トラウマ?)も持ち合わせているあたりがやはりディズニーでは描かれていない。

そして、ヒロインのエスメラルダは、ディズニーの印象だと「いろんな男の心を手玉に取る自由奔放なセクシー美女」という感じだったけど、今回の舞台ではなんというか、「いろんなオタクに女神扱いされるアイドル」みたいな感じでした。
男たちに業が深すぎるせいかもしれない。1幕最後に3人から求められるシーンは「濃すぎるオタクからの熱烈アプローチ」という感じがした。みんな業が深いよ。
ただし、いずれからも「女」や「自由」の理想像として見られていて、あまり本人自身を求められていないようにも見えて、衝撃の最後も相まって、哀しい人に見えました。
3人から求められても、どのルートとも行き交えない感じがつらい。そしてなんだか現実的。


一番最後の「怪物と人間 何の違いがあるのだろう」という問いかけは、こわいですね。
それを歌う人々の演出にも衝撃を受けますが。
表面的には、「怪物と呼ばれ、排斥されるカジモド」と「異形を排斥する側の人間」に何の違いがあるのか、いや、そうではない ということで文字通り、差別問題を提示しているようにも見えるのだけど、それのみなのか、という気もする。
フロローの精神はかき乱され完全に普通の人間のものではない境地に至っていたし、そしてカジモドの最後の瞬間に現れた暴力性もこれもまた「怪物」だったとも感じられる。ぐいぐい入り込んできた割には最終的に地味に日和ってフェイドアウトしていくフィーバスも、静かな怪物ともいえるのでは。

つまり人は、他の人に触れた瞬間人間にもなり、怪物にもなりうる、ということかもしれない。
世に出るのは劇薬に浸かりに行くがごとく、ということなのだろうか。と思った。
ディズニー版の割り切りハッピーエンドは強引だったけど、リアルにやるとみんな受け止めきれないかもしれないから、このようにしてよかったよね、ということかもしれません。


劇団四季なので、めちゃくちゃ歌いまくる(メインキャストの歌唱力は言うまでもないが、今回歌を歌うだけの聖歌隊がキャスティングされていることもあり、こちらに向かってくる音圧がものすごい。壁のよう。)のだが、印象として、私がこれまで見た四季作品の中でも「演劇寄り」のイメージといいますか、歌でストーリーをとりまとめてシャンシャン、大団円、という感じではなく、割り切れなさや観客側への問いかけが大きいため、「うっ、劇団四季は不自然だから苦手」というような意識がある演劇好きには見てもらいたい渋い演目だと思いました。



一気に書こうと思ってたのだけど、めちゃくちゃ長くなってきたので続。
ブログが久しぶりすぎてちょっと改行めんどくさくなってきたので取りあえずアップいたしましたよ。

リトルグリーモンスターと夫と私 

2016-10-13 | 観劇ライブ記
ツイッターで時々ぼやいているのだが、この夏、身近かつ強力なプレッシャーにより、
私はリトルグリーモンスターのパフォーマンスを見ざるを得ない状況になった。

「リトルグリーモンスター」=Little Glee Monster、通称「リトグリ」は
現役女子高生6人組(2016年時点)のボーカルユニットである。

私がこのグループをはっきり認識したのは、若手俳優オタク視聴率100%とも言われた
昨年のTBS系さわやか夏ドラマ「表参道高校合唱部」の主題歌「好きだ。」である。
それ以前もティーン誌やエンタメプッシュ枠で見かけたこともあったが、
名前を見て、おおさすが「Glee」(海外ドラマ。高校生たちがめっちゃ歌う)大ヒットの文脈を押さえるユニットも出てくるもんだなあ
ぬかりのない芸能界よ、という知ったかスタイルでやりすごしていた次第であった。

だので、主題歌として見かけた昨年も、
若手俳優好きとしては普通に
「ああそうか、城田優、志尊淳と同じナベプロなんだな、だから主題歌起用か。
 若々しくて合唱のテーマにもぴったりじゃん。いいね」
という認識ぐらいまでは到達し、
今年に入って
「ヒエーッ ソニーソンポ フゥーッ!!」
でネットの面白扱いに、普通に吹きだしていたりする、
というそんな一般テレビ視聴者だった。



そんな今年のある夏の日、突然夫が

「チケットがとりたい」

と言うのであった。

「リトグリのライブに行きたい」

ということであった。急な話だった。


それ以降、これまで生きるすべてのスタンスが「なんでもいい」という人間だった者が、
充血した眼で日々「リトグリ」と唱えるようになった。
おまえ去年オモコー見てたとき「芳根京子ちゃんかわいい」しか言うてなかったやんけ、
というこちらの思いをよそに、リトグリに夫がどんどんのめりこむ。

・深夜家に帰ってきた瞬間、パソコンを立ち上げて、
 リトグリの人たちがかつて出演していた「歌うまキッズ選手権」みたいな動画をあさる。

・夜中ふと目覚めて、あれ、「居間からズンドコズンドコ音がするなあ」と見に行くと、
 暗闇で「ジャングルブック」の主題歌「君のようになりたい」をエンドレスリピートで聞いている。

・私が「せいせいするほど愛してる」の録画を見ている横で
 「ワラーッ!ワラーハピーデーィイエーッ」という曲を大音量で聞く。
 「ひゅーりらー ひゅーるりらー」×「ワラーッ!ワラーハピーデーィイエーッ」の食い合わせはすごい。

・渋谷であった2マンライブにひとりで出かけ、ファンの女子中高生に混じってノリノリで楽しんでいる。

・リリースイベントで全員と写真が撮りたいからと、新曲のCDを6枚買う。

・いつのまにかワタナベエンターテイメントのファンクラブ組織に参加している。
 それにより、D−BOYS情報などにも通じるようになった。


このような流れの中で、私は9/3の日比谷野音、および翌週の静岡公演の観覧に帯同されることになった。
普段観劇ばかりの私は久しぶりに音楽ライブを見た。
感想はというと、端的に、パフォーマンスにとても魅了された。

彼女たちはアイドルではない。
ひとことでいえば女ゴスペラーズみたいなものなのだが、わりとそれどころではない。
10代特有のフレッシュな爆弾みたいなパワーを持ちながら、歌うときには技巧のフィルターをかけて絞り出してくる。
生絞り凝縮ジュースのような魅力のグループである。すごい訴求力なのだ。
私の現状好きな曲を一部紹介すると下記のようなところである。

「放課後ハイファイブ」
 デビュー曲。雰囲気がそこはかとなく「学園天国」だが、
 フェイクも無理なく入れられる少女たちのため、フィンガー5的なうまさがあり
 よく合っていると思う。

「小さな恋が、終わった」
 サビのハーモニーがすばらしい。ライブでは暗転の中での演出が効いてくる。

「私らしく生きてみたい」
 この夏の新曲であった。最初なんだか普通の曲だなと思っていたのだが、
 『可愛い女の子になりたい でもその前に自分らしく生きてみたい 好きなこと好きと言える私が好き』
 このフレーズにぐっときた。
 こういう、恋愛がどうこうとかいうよりも、等身大の自分の悩みに真摯に向き合う、みたいなのが
 リトグリっぽさであると思う。

なんというかつまり、泣いちゃう。んもう合格。(泣き女唯一の判定基準。)
曲の良さに対してタイトルのセンスがあんまりないんで、
これは制作陣になんとかしていただきたいところである。


ひとりひとりの魅力も、これだけ見ていると少しずつではあるが徐々に見えてくる。
まあ基本、全員ソロでも売れる歌のうまさ。しかも、それぞれ聞いてみると得意分野を感じるものの、
メインボーカルを取るときの声色は謎に似ているのがすごい。
だからハーモニーになってもまとまって聞こえてくるのかもしれない。
正直、女性グループで私が感情移入できたのは「SPEED」が最初で最後になるかな、
と思っていたけれど、20年を経て、彼女たちがその路線に入ってくるかもしれない。

私の思う彼女たちの特徴は 下記の通りであるが、また見ていくうちにわかってくる魅力もあるだろう。
(カッコ内はイメージカラー)
ちなみに名前表記に一貫性がないあたりがなんだか「それぞれの魅力を主張」という意思を感じる。


・かれん(ピンク)
 とくに実力者とみた。歌もダンスも、パフォーマンスに余裕がある。
 他の人があまり歌えない(?)低音を担当することが多く、メインは少な目。R&Bとかグリグリ歌えそう。
 「歌姫」世代だったらエイベックスがソロで売っていただろうなあ という感じ。でもグループで良いところが引き出されている気がする。

・麻珠(赤)
 かわいい。常に泣きそうな顔をしている。トゥーーン という感じで声が意外と強い。
 見てるとなんだか保護した気分になり泣いちゃう。
 多分、一般的に言うところの「リトグリ」のビジュアルイメージの中心地にいる気がする。

・芹奈(青)
 センター。メジャーでCDを売るならば彼女がセンターだよなあ、という感じ。
 アイドル売りの可能性が彼女から感じられる。歌声が応援団っぽい。メインボーカルの一人。

・manaka(紫)
 つよい(うまい)。メインボーカルの一人。
 エレファントカシマシのカバーを歌っても曲に全然負けていない。
 歌がない時代には多分、巫女とかになっていた感じのつよさ。一番若いけどいちばんつよい。
 MCをぐりぐりまわす。伊藤美誠ちゃんと友達とのこと。

・MAYU(緑)
 他のメンバーが濃いため、私は彼女とアサヒの見分けが最後までつかなかった。
 こないだわかった雰囲気としては「親近感担当」かもしれない。

・アサヒ(黄色)
 かわいくて不思議。ももクロでいうところの「れにちゃん」ポジションの人。
 MAYUもそうだが、比較的メインは少なめなのだが、
 そんな彼女でも既存のどのアイドルグループのメインボーカルより歌えている。
 つまりグループ自体の歌の歌え具合がハンパないので、相対的に後ろにまわりがち。


という、本気のガオラー(リトグリファン)からは怒られそうだがそんな印象である。

まあ各個人の天性も相当良い上におそらく相当な訓練を積んでいるため、
これから場数をさらにふんでどんどんと声にも深みが出て、力の抜き方も覚えて熟練されてくるだろうと思う。
なんせ彼女ら「世界をめざしたい」と言っているのである。
そしてこの能力と若さを考えれば、可能性は十分にあるだろう。

だからこそ、逆に全力フレッシュ生絞りあらごし的魅力は今しかみられず、貴重である。
今でも相当うまいんだけど、やっぱ人生経験が若いうちにだからこそ歌える歌があるじゃん。
応援団のような、声を枯らすような、喉のコンディションの後先を考えないような歌ですよ。
実際はそんな勢いで歌ってもぴんしゃんとしているところが「若さ」ですが。

そんなわけで、年始の日本武道館公演も観に行くことにしました。
全員高校生のうちに夢がひとつかなったよかったね。


まあとにかくうちにCDいっぱいあるので、ほしい人は会ったときにあげますね。

アイワズライト

2016-08-08 | 観劇ライブ記
あー舞台見たら「アイワズライト‐アイアムファン‐」
っていうタイトルにしてブログ書こうかな〜あはは、と観る前は思っていたんだけど、
観てみたらなんかそれどころじゃねえな。って感じでした。
ちょっとびっくりするぐらい涙がジョバジョバでした。
観劇中、目頭からも目尻からも飛び出し続ける汁。
漫画にすると「ビエーーーッ」てかんじでした。まじで。
アイワズライト feat.泣き女(私) の感想です。


盲目の若者「マシロ」、彼に寄り添う友人「ハイバ」、
そこにやってきた女「ワスレナ」は、マシロが紡ぎハイバが書きとめる物語を聞きながら
彼らの過去と秘められた真実に触れていく というめちゃくちゃざっくりいうとこんなかんじ。
(ざっくりすぎて何の説明も出来ていないが。)
全てが終わった「現在」と、ワスレナの回顧録として語られるマシロやハイバと出会った「5年前」、
マシロやハイバが中学生だった「15年前」、そして「マシロが語るネバーランド」と、
4つの世界が行き来しながら話は進む。なかなかに複雑。そしてどんどん重くなる話である。
そこを、演者のすばらしい切り替えと生演奏、ときにプロジェクションマッピングといった演出で
緊張感を切らさず、また、陳腐になりすぎずに物語にドライブさせられたな、というかんじ。
クライマックスに向かっての謎解きを一つの山にしながらも、
そこを取り巻く人々のそれぞれの「夢」と「無念」と「希望」が繊細に描かれる。
エムキチビートは初めてみました。元吉さん、ペダルやらカワイクやらの演出助手だったのね。村井くんと長い仲じゃん。


ネタバレ的なところでは、
結局、「マシロ」は本当は「ハイバ」という人物で、
本物の「マシロ」とは、ハイバ(現マシロ)が中学生の頃に、自殺を防げなかった同級生の女の子の名前だった。
自分と同じくいじめの対象になったマシロを助けられなかったハイバは、ショックで精神を病み、
精神病院に入れられ、親にも見捨てられ、そして遭遇した「震災」から助け出されたその日に「マシロ」として生き始めた。
そしていま「ハイバ」と呼ばれている人物は、マシロやハイバをいじめていた中にいた人物。
その過去を悔やみ、施設で職員として働き始め、「震災」でマシロ(元ハイバ)を助け出した時から「ハイバ」となった。

ということだったのだが、
マシロ(元々ハイバでマシロになった彼)のことはよくわかったよ。
でもハイバ(仮)の物語は終わっていないではないか。これは大いに疑問は残る。ハイバ(仮)は何者か。
彼がどのような心情でハイバになることを受けとめ、なりきったままマシロ(リアルハイバ)の物語に付き合い続けることにしたのか、
いじめグループの中でリアルマシロをどのようにいじめていたのか、
リアルハイバとどのような距離感だったのか、というところは詳しくは描かれず、
ごくわずかな独白だか、説明だかで物語は終わってしまう。これはなかなか潔い切り捨てだと思う。
脚本家はたぶんここの説明が足りていないことは分かっていると思うな。
しかしここを掘り下げるとこれ沼だよ。
ハイバ視点で物語が1本書けるぐらいだよな。あと1時間は要るよ。
というわけであまり描き込まれていないハイバなのだが、
それゆえに彼がここまで思い入れを持ってしまう理由は見ているほうに委ねられ、
また舞台上でのマシロとハイバの距離感が近いがゆえに、安易にBのL方面のセンサーも自分の中で立ち上がってきてしまうのだが、
やっぱそういうものでもないな、と思い返す。
この寄り添い方は償いで癒しで、相互依存なので、なんだか複雑な関係である。
ハイバ(仮)はマシロ(リアルハイバ)の物語につきあうことで救われている部分もあり、
砂の城を守り続けるとじた世界の住人だった。面白いな。自分が俳優だったらこっちを演じてみたいですね。

それでもカーテンコールの最後の最後、
ティンクの黒沢さんがノートパソコンを中央に置いてにこっと笑い、その後ふわっと消えたものだから、
その完璧さに私は無音で「ヒィッ」と叫びつつ、涙がとどめのように噴出しました。
誇張じゃねえぞ。本当に、一筋ツーッ、とかじゃなくて涙がジョビジョバだぞ。(傍迷惑)
ほんとのマシロとハイバも、いまのマシロとハイバもこのノートパソコンでつながってたんですよね。
そして現実から逃れて物語に入りこめる入り口もこのノートパソコン。いわゆるキーアイテムですね。
ベタな演出といえばそうなんですけれど、なんか打ちのめされて席から立てなくて、びっくりしました。

それにしても、
「飛べない」という言葉のもの悲しさはなんだろうなあ と今回の作品を見て改めて思った。
文字のまま、アイキャンノットフライの意味もあれば、
もうちょっと詩的に、「思い切れない」とか、あとは、
「成長できない」(鳥は育ったら飛ぶので)⇒「みんなが出来る当たり前のことが出来ない」
みたいなニュアンスもあるじゃないか。(卒業=飛び立つ だし。)
人間は飛べないはずなんだけど、飛びたくなる=どこか知らないところへ行ってみたくなる 気持ちもわかる。
皆が飛び立つ(比喩)中、飛び立っていけない(比喩)自分が取り残されるつらさ、というのもよくわかる。

ピーターパンという物語の演劇への活用され具合もすごいなと思った。
(少年社中のネバーランドも、空想組曲の遠ざかるネバーランドもそうですね)
今回は微妙にセットとかも含めて「遠ざかるネバーランド」の記憶を呼び起こされた。

まあなんせ、今回の作品は公演のタイミングが絶妙すぎたと思う。
震災の記憶とともに、相模原のあの事件や、ちょうどこの週末に改めて話題になった一橋の院生の出来事や、
といった今まさに現実の事件が一気に頭の中に押し寄せてきた。
お話としても苦しかったけど、決して戯曲の中の話とも限らないよな、と思うと、本当に逃げ場がないな、と思う。
いやまあ、悲劇ばかりとは限らないけれど。でも見ていて共感できるということは起こりうることということで。
浮世に起こりうるこういう人間の感情のことを、まじめに取り組んで、
しかも結構重い話なのに物語として構築して、世に打ちだそうとする制作部門の人々、
そしてそれに逃げずに取り組んで(って仕事ですけども)表象して、こちらの感情をガンガンに揺さぶってくる役者の人々、
本当に素晴らしいじゃない。これぞ理想の舞台との関係である。
圧巻の涙ジョビジョバでした。


俳優さんのこと書きます。

謎の不安定ボーイハイバ役の末原拓馬氏は初見でした。
また!細長いタイプの!!うす顔のイケテルお兄さん!!! 
なかなかに大柄なので、細身だけども舞台で映えますね。見たとこちょっと変わったタイプの人ですね。
これは濃いめのファンがついていそうなタイプの人ですよ。

山さんいいね〜 出てきた瞬間、あ、このキャラクター、空気の読めない馬鹿がデフォルメされたやつか・・・寒 と思って
ちょっとガッカリしかけたんですが、芝居が進むにつれてけっこう良識人に見えて来て、
こりゃ脚本演出だけでなく俳優本人の性質も反映されているな、と思いました。
押しの強さのなかにもいい「引き」見えました。
ちょっとアンガールズの山根に似てるね〜 待宮以外で役ついてるの初めてみたけどよかったよ。

黒沢ともよってえらいかわいいな、私てっきりまたハロプロだかAKB系列のアイドルだと思ってたら、声優だった。
しかも「響けユーフォニアム」の主役の久美子ちゃんの子じゃないの!!
あの優柔不断なキャラに合わせた揺らぎのある声に、わたし昨年は毎週泣かされまくっていた。なんとまあ。
今回もお上手だったと思います。声がかわいいしよく通る。

川村ゆきえがいい女優だった。この人何気にいいね。(失礼)
前に戦国バサラですごいキャラっぽい芝居をしているのを見て「うっ」と思った記憶があるが、
今回は役もある意味等身大でよかったのかも。母性っぽいよね。
舞台で輝くグラビア出身というと小池栄子路線だが、彼女レベルまでいくにはもっとグリグリした鍛練が要るかもしれないが、
今舞台業界にばらまかれている女優陣の中では、結構素質があるのかもしれないなあ。

そして名前がよくわかっていないアンサンブルの方々も、みんなイキイキしていた。
フック船長がほぼ「最後のダンス」を歌うシーンは笑ってしまった。メロディライン似過ぎててうっかり本家を歌ってしまいそう。
タイガーリリーもよかった。ええ声です。


あとは、もうねえ、、、

ちゃん村井は本当にスゲエ。
(そろそろ村井先生って呼び飽きたので佐藤貴史にいさんに倣ってちゃん村井呼び)

ちゃん村井が出る舞台を初めて見てからもうすぐ丸5年ですけれど、この人は基本的にずっと安定している。
危なげないところを見たことがない。
たしかに技術面はこう、日々の鍛練で磨いている部分もあるんだろうし、
いろいろ演目見てると徐々に芝居の迫力も大きくなっているような気もするんだけど、
基本のスタンスが昔からあまりぶれていないと思う。印象がいい意味で変わってない。
非常に誠実に毎回役を作ってくるし、ミスしない。だからこちらも安心して芝居に没頭できる。
しかも不思議に「癖がない」。時々のセリフ回しに変わらず「村井節」を感じるところもあるんだけど、それくらいかな。
存在自体がプレーンなんだよな。
舞台の上では、「村井」はどこかにしまわれている気がする。だからいつも役の人、として彼を見てしまう。
村井の器に盛り付けられているから必ず味はついてるはずなんだけど、その村井味がいつも絶妙。
「味」までいかないんだ、「風味」なんだよな。
だからパッと見はふつうの人なんだけど、口にいれた途端味わいの奥行きが深すぎて、泣いちゃう。
うううジョバ〜〜(涙)

今回の「マシロ」は、盲目の青年の役でした。白杖の扱いが難しそう。
(でも結局マシロはハイバだったので、盲目だったのも精神的に思い込んでいたのかな?) 
そして空想の中ではピーターパンでもある。切り替えが難しそうな2役だ。
「なんで飛べないんだ」と叫ぶシーンは本当に涙腺が大決壊しました。
久々に村井くんの全力の芝居を浴びて、そう、本当に「浴びたー」という感じで、ぐわっと持っていかれました。
なんでもできるからハッピーエンターテイナーな村井くんもいいけど、暗い男・溜め込んだ人が似合うと思うよ。

書いてなかったですけど、ちゃん村井の6月の「キム・ジョンウク探し」ももちろん見てましたよ。
2人のベテランにまじって、1人若手 という3人芝居の座組みなんだけど、
最近のちゃん村井はむしろ若手の舞台にいるときのほうが存在感的に違和感を感じるほどの落ち着きだったので、
本当にまったく負けずに溶け込み、ど真ん中で輝いていた。かつての憧れのイケメンと、ちょっと頼りない今時男子の2役を好演。
てか、ちゃん村井、リアルに年上の人と結婚しそうな雰囲気あるよ昔から。お似合いでしたよゆみこさんと。
ちなみに駒田一はマジリスペクトで破竹の24役やってて本当におつかれさまですという感じ。面白おじさん。

次作の真田十勇士は、またもや大作ですね。
「なぜあの作品内容で再演なのか」「日テレの予算スゲエ」「真田特需万歳」
「痛恨の火垂ちゃんキャス変(リアルカレピッピもキャス変…)」
「とはいえ番手の上がる村井くん応援し隊」
という自分会議が引き続き行われており、いまだチケットは未入手の様子見ですが、
まあ〜多分1回ぐらいは行くだろうなあ。KAATにしようかな。


ということで、なんかもう終わらないけども
とにかく、心臓を持っていかれるレベルの演目であった。
暗いから手放しに万人にはオススメできないけど、
ちょっと仲良くなった演劇好きな人にはグイグイおすすめしたい作品といえよう。
千秋楽おめでとうございました!



ホットスポット2016 シアタークリエの翻弄する夏・後篇「ジャージーボーイズ」

2016-08-03 | 観劇ライブ記
怒涛の熱狂はつづくつづく。
6月、夢のように現れた、ポップでアメイジングなアートの世界にあっけにとられていたら
終了翌週には泥臭くもある、汗臭くもある、アメリカンドリームと数々の名曲に包まれた
愛すべき男たちのストーリーが始まっていた。

「ジャージー・ボーイズ」
日本版、初演、である。



今回の公演、TEAM REDとTEAM WHITEのWキャスト制。

私は双方1回のみの鑑賞、
それもREDは本初日、WHITEも2週目という序盤の段階の印象だが、

ザックリいうと、

TEAM REDは「木更津キャッツアイ」である。
TEAM WHITEは「新撰組」である。

どちらもチーム男子好きにはおなじみ、殿堂入りの類型である。


TEAM REDは、
ラッキーチケットでたまたまうまく転がっていくオニイチャンたちの人生のおかしみ。
どこまで行っても足を引っ張ってくる出自の悪さに唾を吐き、
悪態をつきながらも馴れ合っていく4人の泥沼関係に、「アホだな~」と思いながらも
「私たちには立ち入れない絆」と思わせてくるところがある。

藤岡トミーがほんとうに小憎たらしく、たちの悪い地元のあんちゃん、
という感じがあるのが大きい。本当に、日頃から気軽にカツアゲをしていそう。
間違いなく地元の駅に座り込んでいるタイプ。
学校を通じて自宅に通報が入れられるタイプの要注意男である。
また、矢崎ぴろしボビーも、若くて能力と実力はあるのだけど、
なにかどことなく「感性型」という感じが漂っており、
大負けはしないけど、時々興味本位で突っ込んだりはしてしまい、
それでかすり傷とか作っても「てへ」と言ってそうなかわいらしさがある。
(こういうところ本人の気質だと思うけど好きです)
そして一番面白いのが吉原光夫ニック。すばらしいでくのぼうだ。
チーム内の「バカ」がどれぐらい愛すべき存在なのか、というのが
チーム男子にとってはけっこう大事だと思うのだが、
吉原ニックは、アナと雪の女王のオラフ的なマスコット感がある。
めちゃくちゃチャーミングである。
基本的に黙っている年長者なのだが、
「本当によくわからないから黙ってた」
というような雰囲気があって、泥んこ関係の中でほっと息抜きできる。すごい演技力ですね。


TEAM WHITEは、
それとは対照的に、何か「義」のようなものを持って集った集団のように見えるのだが、
全員でその義を追いかけていったら、真ん中が実は空洞だった、というような哀しみ。
守ろうとしていたもの、目指そうとしていたもの、深く見えたががらんどうだった 
というような、男のわびしさを感じる座組みであった。

中垣内トミーは、
「タイミングが合えばヒガシのかわりに少年隊に入れたかもしれない川崎の青年」
という感じである。
虎視眈々と地元にくすぶっているが、策士としての意思よりも、
運命に翻弄される側的な危うさを感じる。映画版のトミーに似ている。
海宝ボビーは「これぞ若手ホープ」ということで、存在感も華もあり歌もうまく、
立ち居振る舞いも理知的、誰もがスカウトするだろう。
ただ、この完璧笑顔が逆に計算なのでは…という肚の中が読み切れないような恐ろしさがある。
そして福井ニッキーがびっくりする。
彼はどう見ても「近藤勇」である。なんならちょっと「ケン・ワタナベ」的でもある。
黙っている年長者だが、吉原ニックとはわけが違う。
場数を踏んできた年長者として背後から見守りつつ、
ひとつひとつの挙動もチームに対する意味のある沈黙、意味のあるGO出しに見える。
(その実、そうでもないとこがおもろいのだが)

これは大いに演者のバランスから私自身が感じたことなので、
全然ちがうやんけ または 最初そうだったけど変わったよ とかいうご意見もあろうことかと思うけれど、
まあそれにしても、同じ役で同じ台本、同じ演出がついても
役者が変わるとこれだけ受けるものが違うのか、という、すなおな驚きに満たされた。
複数キャスト公演はこれまでもよく見ているけど、いつもは「ひとりずつの組み合わせ」が毎回ちがう。
それではなくて、「固定の組み合わせで2チーム」というのは非常に面白いと思った。
そういう意味では、全員いかんなく個性を噴出させていた、と言えるのかもしれない。
とても贅沢なキャスティングだったと思う。
ちなみに個人的には、REDのほうが好みかな、と思う。
馴れ合いが強くてちょっとイライラするけど。(褒めています)

ちなみに歌声のバランスは
赤はわりと自由に、白はキッチリカッチリ という印象だったけど、これはどうかな…
恐るべきことに、歌声の記憶が薄れつつあるような気がする。


なぜかというと、やはり歌声は主役が圧倒的だからなのだと思う。

両方に出演し、すべてのステージで主役を演じきったのが中川晃教なのだが、
ふしぎなことに、別に中川フランキーは、決してそれぞれの「チームの要」ではない。
「フランキー・ヴァリ」という単体で、別格なのだ。
冒頭トワング歌唱で登場するその時点からすでにちょっと人間離れしている。
歌に込める思いが全力すぎて、セリフとかちょっと不思議なところもあるんだけど
声がフワァァァァだからこちらとしてはもう、ひれ伏す。
ときどきちょっと時々ハマケン(浜野謙太)にも見えるけど、全力でひれ伏すね。

天才が似合うと言われる天才、という評は死ぬほど受けてると思うけど、
実感値としてそうなので言わざるを得ない。
中川晃教は「天才が似合う天才」です。


あと、今回超特筆したいことがある。
基本的、兼ね役大嫌いマンとして界隈に名を馳せる私(馳せてない)だが、
なんとびっくり。今回、
≪兼ね役が全く全然気にならない≫
という奇跡の演目であった。なぜだー、不思議不思議。
本当に脇の人たちがみんな絶妙で上手かったし、演出も良かったんだと思う。
あとは、あくまでフォーシーズンズの物語、という組み方になっていたんだと思う。

綿引さやかちゃんなんか、あらゆる女を演じていたのに、混ざらない。
嫁役で「カストルゥッチョ!」「トムーチ!」とか言うところ、好きでした。
(イタリア人は母音が大好き)

太田もっくんについてはこちらで個人的に褒め倒したのでもういいんじゃねーか、
という気もするが、せっかくなので具体的な話をすると、
彼は今回、ボブクルーというフェミニンでスピリチュアルなプロデューサー役のほか、
カメラマンや観客などをやっていた。カメラマン緊張しそう。生撮影だからね。
というか、バランス考えるとボブクルー役って結構重要だし、
昔なじみの設定とはいえもうちょっと年いった人が演じそうなのよね、
そこを敢えて、20代の太田もっくんに任せたあたりになにか本作品の意図を感じたよ。
ほかのアンサンブルでも、例えばジョーペシ役も高校生の石川新太君がやっていたり、
若さがキーポイントだったようだ。「青春」ということですね。
てか、平たく言って彼、今回大抜擢だったんちゃいますのん。
そんでそれを見事に果たしていらっしゃいました。真面目な人だよね。
見た目では、ボブクルーのおべべがようお似合いどした。
おしゃれな白スーツに柄のインナーをしゃらりと着こなしてはりました。
足が、長い。顔が、きれい。


しかし、先月のラディアントベイビーもそうだが、演者は日本人だけど
アメリカ人の話からしかこういうハッピーエキスは得られないのか。
日本人の話でこういうエンタメはないのか。
日本人がスカッとする話といえば、会社の中で追いやられて臥薪嘗胆、不屈の闘志、組織の団結、寡黙な技術者
みたいな、山崎豊子か池井戸潤か、やたらあと戦争か……
ないですかね、、、

あっ、もしかして

それは部活

そうか、テニス自転車よ、野球バスケバレーボールよありがとう。
日本人の青春は部活です。部活が大好き、私です。(おもに水道橋方面に向かって敬礼)



というかですね、今回2つの感想をまとめて書いたんですが、
ジャージーが好きな人は絶対ラディアントベイビーも好きだし、
ラディアントベイビーを見てジャージーを見ていないのは大いなる失点、という感じがするんだよ。
強烈な演目が2か月連続で企画されて、東宝芸能部すごいねって話と
完全に私はターゲティングされてるね、という自意識であふれそうです。

多分、キンキーブーツも同類に楽しめる部類だと思うので、見に行きたいんだよね。
チケットないけど。
8月、ホットスポットは東京中を駆け抜ける。
モンスターボールを投げつけて、早めに捕獲していこう。

ホットスポット2016 シアタークリエの翻弄する夏・前篇「ラディアントベイビー」

2016-08-03 | 観劇ライブ記
とつぜんNHKスペシャルのようなタイトルから始めてしまったのだが、
どうにもその通りなのだから仕方がない。
2016年の6月と7月は、有楽町のシアタークリエに私は釘づけだった。
都会の真ん中に突如現れる2時間半の熱狂空間。
見事に踊らされてしまったものとして、この率直な感想を東宝芸能部に捧げます。
このシアタークリエの企画力がすごい2016、前篇です。
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MOVE&DRAW&MOVE&DRAW &MOVE&DRAW&MOVE&DRAW

MUSIC=SEX=LOVE=LIFE

Hot to mato soup/hot tomato soup
 

プログラムコードでも文字化けでもないのである。
これらはすべてキース・へリングの生涯なのであった。
This is the world of KEITH HERING.
6月公演は「ラディアント・ベイビー ~キース・へリングの生涯~」である。

まず言いたいが、このタイトルはちょっとしたトラップである。
こんな美術館の片隅においてあるアート作品みたいなタイトル、
地味であんまり目に入ってこないじゃないですか。
ひどいトラップです。
蓋を開けたらまさに「るつぼ」なのに。
開けた人だけがわかる混乱の極みに、あっけにとられた次第であった。

内容はまさにタイトルどおり、
実在のポップアーティストであるキースへリングの生きざまを舞台にしたものなのだが、
ちょっと他にはない才能を軸に、はちゃめちゃに転換していくキースの人生が
めちゃくちゃかっこいい。

私、主演の柿澤勇人に対する印象がガラッと変わった。
ハマり役である。
死に直面するキースへリングの周りを行ったり来たりする過去の記憶のなかで、
柿澤キース、歌って踊りながら、だんだんトランス状態になっていく。
身体をバネのようにしならせながら、絵を描いたり吠えたりキレたりしている。
子供達を焚きつける、友人を挑発する、恋人と愛を重ねる。
たぶん、実物のキースへリングはもうちょっとナードというか、
いろんなコンプレックスがあったりして
本人もへなへなだったんじゃないかと思うので、
きっと、柿澤みたいになりたいな、と思う方の人間であるような気がする。
でもフィクションだから見栄えよくなっておりました。非常にかっこいい。

あと、今回松下洸平はじめて見ました。いい男だね〜!(ババアの感想)
色気と危うさ。魅惑の一重まぶた。これは惚れますわ。
芳雄の嫁・知念里奈も初見ンンン
相変わらず独特のハイトーンボイス嫁〜〜
昔プレシャスデリシャスのCD持ってた〜〜多分まだ実家にある〜〜〜〜
平間壮一くんもとても楽しそうだった。
RENTに引き続き、NYのHIVサバイバーを等身大にやっていた。ダンスはもちろんうまい。
有限の人生を悟りながら今を前向きに生きる人間役はもう完璧なんじゃないですか
(そんな役ひんぱんにあるのかは不明だが)

ブリブリ響いてくる生バンドもいちいち鼓動のようで、
その勢いにのってspiとかエリアンナとかMARUとかのアンサンブルキャストが
大迫力のエンタメパフォーマンスを仕込んでくるので、
その舞台からの圧倒的な「圧」に自然と涙が湧き水のように出てくる。感動した。
鮮烈、痛快、やがて悲しき人の世かな、というかんじ。
一番好きなのは内なるアンディーウォーホルとの対話シーンかな…ホトマトスープ。
子供たちの存在もとてもいい。
初回に、ジェニファーの娘のミアちゃんが出ていた。
日本人の達者な子役ももちろんいいのだが、
若干幼さで不安定だけど存在感のある子が一人いると、ぐっと見てしまうなあと思った。

全般的に、もとの脚本がすごい面白いんだと思う。
そしてところどころに、ああ岸谷五朗、という演出満載で(ニホンゴニホンゴニホンゴ〜 とか。)
楽しく、クスッと笑える。
今回の岸谷五朗ガチャ大当たり、というかんじだった。
五朗ガチャ結構当たり外れあるんだけど(個人的な感想です)、
イキイキハッピーなショーアップさせたらこの人は実にすばらしい演出家だよな。
そしてさすがの舞台美術。ポップアーティストをテーマにしただけあって、
小物まで平面図のような作りで面白い。
ラディアントベイビーのモニュメント(?)を、椅子にしたり小道具にしたりと
畳みかけるポップ。


転がる石に苔むさず、太く短く生きろ、
欲しいときに欲しい!!
カラッとした涙のあとあじとともにそんなメッセージを受け取る気がする
すばらしい人生ショーであった。
大阪公演が柿澤氏のけがで中止になってしまったこともあり、
(そりゃあんだけ全力で飛び跳ねてたらたぶんケガするわ)
ぜったいに再演したほうがいいし、ぜったいに見に行ったほうがいいね。


るろうに剣心(思い出し記録)

2016-06-06 | 観劇ライブ記
5/4昼観劇。東京宝塚劇場にて。HP

チケットをもらってしまった。うれしい。
そしてついに東京劇場デビューしてしまった。超うれしい。

約3年ぶりのナマ宝塚観劇、そして壮さんのお披露目以来の雪組。
この3年でまた組の勢力図もいろいろと変わっていたようで、
気づいたら雪組、粒ぞろいの大豊作になっていた。
そしてなんだか注目公演ばっかりやってる気がする。

今回ストーリーはともかく、
男役が美青年ぞろいすぎてちょっともう、ありがとうございますという感じ。

早霧さんはもうJINのときで袴似合すぎてかっこよすぎ失笑という感じだったのですが、

どこからやってきたんだ二番手スターの望海風斗さん。今すぐどこのトップも張れる。
そのまま雪で上がるのか、どんな役でお披露目なのか、
とそんなことまで思いを馳せざるを得ない堂々っぷりでした。華がすごい。
いま調べたらおととし年末に花組から来てるからこのまま上がるんだろうね。
かっこよすぎる。

そして斎藤一役の彩吹さん。「斎藤さんだぞ」感がすごい。かっこええ。
軍服の、なんて言ったらいいの、胸回りがかっこいい。

さらに、すごい角度から剛速球を投げ込まれた感のある御庭番衆のリーダー「青紫」役、
月城かなとさん。
なんだこれー。等身の比率が彼だけおかしい。二次元?顔面きれいすぎ。
フィナーレの燕尾服の中でも一人だけ謎の光を放ちながら群舞していて、
こわすぎるスター性。ありがとうございました。写真買いました。

でも、大湖せしるさんの恵さんが一番よかったかな。
男役時代も見てたからなんとも不思議な気分。卒業おめでとうございました。


あとは、洋館でのパーティーが行われ、
得意分野の舞踏会のシーンが自然にまんまと組み込まれているあたりが
すごいなあさすが宝塚だぜ(もとい、小池修一郎だぜ?)という感じ。(原作通り?)
「あーくそーくざーん」(悪・即・斬)地獄に襲われており、
いまだときどきフラッシュバックが起こります。

宝塚はいいよ。

ナミヤ雑貨店の奇蹟(思い出し記録)

2016-06-06 | 観劇ライブ記
4/23昼観劇。ブルーシアターにて。HP

完全にこれはペダステ鯨井康介効果によるチケット購入でした。
松田凌君も出るっていうし、そういえばちゃんとキャラメルボックスって見たことないし、
行ってみようかなと。
フライヤーのデザインもよかったし。東野圭吾の原作だっていうし。

で、感想は、、うーん、うーん、…いまいち。という感じでした。

挿話が多すぎて、なんか注意力が散ってしまった。
去年のタイタニックでも、そしてあとテキサスでも思ったんだけど、
私は割と名前のある人が「兼ね役」をやることが多い舞台がどうも苦手らしい。
やっている複数役の役柄がすんごいどう見ても違うんだったらいいんだけど、
どうしても同じ人か?とか混同してしまうし、ひと役が軽くなってしまう気がして。
頭が切り替えられないようです。

なので、固定役の泥棒3人組は比較的良かったんだけど、
彼らの会話がふつうすぎてあんまり印象に残ってない。「ああ・・・ふつう・・・」
そして、J-POPの曲ですごいダンスしてたな~とかいう印象だけ残ってしまった。
相棒の捜査一課の方、良かったです。
菊地美香さんはずっとどうにも存在が気になってるんだけど、
見る演目見る演目いまいちすぎて(「マルガリータ」「タイタニック」そして今回)、
どうも私と相性がよくないようだ。
いつかズバーンとはまったところを見たい。存在が気になる。

まあ、演劇は一期一会。懲りずに行こう。
キャラメルボックスは「また逢おうと…」に行こうとしてるし、
鯨井君は「bare」に観に行こうとしている。

SHOW ル・リアン(思い出し記録)

2016-06-06 | 観劇ライブ記
4/1夜観劇。銀河劇場にて。HP

とても楽しかった。レビューショーだった。
小芝居とか設定もいちおう盛り込まれていたけど、音楽の楽しさを邪魔しない程度でした。
映画の有名曲やジャズのスタンダードナンバーなど、名曲がいっぱいちりばめられていて、
めちゃくちゃノリノリで聞きました。
正直日本語詩はあまり好みではないけど、歌ってるの日本人だし、
英語だと発音がぎこちなくてそっちに気を持っていかれるので、
単純に楽しみたいときは日本語詩でよいのでしょう。

村井くんは、誰よりも足が短いのに誰よりもかっこよく、光を寄せ集め、
やはりこの人が本丸の御屋形様だよなあ、と思いながら見ていた次第です。

平方くんは華がすごいよ。彼を見ていると「照り」を感じる。ポジティブな気が良い。

あと、大貫ダンサーかっこよすぎる。芝居はまあ置いといて(?)、踊り狂う大貫勇輔はかっこよすぎる。

青柳塁人はよい箸休めすぎる。彼みたいな人は重宝するよな。これは仕事が途切れないだろうなあとずっと思ってた。


そして何より、14歳のピアニスト奥田弦くんがうますぎる。
うますぎるっていうか作曲家だしプロだけど。
ピアノってやり始めるハードルはそれほど高くないので、
妙にかじっていた感を醸し出してしまうものである。
自分も習っていたし、今でもまあ頑張ったらなにがしかぽつぽつ弾けるかもね、
みたいな感じなのだが、
しかしまあこういう桁違いにめちゃくちゃに弾ける人を目の当たりにしてしまうと、
はっはぁ~ピアノの本来の機能とはこういうものだったのか、
こんな技量にも耐えられる造作物なのか、すごいぜと思うし、
いやはやちょっとかじった程度でほんの水遊びなのに、おのずから分かってる感を
出してしまうとは音楽とは怖いな、という感じにもなる。

怖くて、面白かったです。舞台は、ラフな中に真髄が横たわっていて怖いよ。